今を生きて~ 優を追って15年 ~

2千人の観客を前に歌う優

 新型出生前診断が開始されて5年。この診断をきっかけにダウン症などの障がいがわかった人の9割が中絶を選んでいる。それぞれの家族の決断に周りが言うことは何もない。ただ今後、胎児の段階でわかることが増えると予想される中、障がいのある人たちの日常が、もっと伝わることは大事だと思う。

 

 一人のダウン症のある青年のことを伝えたい。待寺 優(まちてら ゆう) 28歳。

 私たち映像チームが出会った時、彼は13歳。毎日、学校から帰ると5時間も6時間も歌って踊っていた。踊るのが楽しくてしょうがない。そんな姿を見ているとこっちが元気をもらった。このパワーは何だろう?それが撮影を始めたきっかけだった。以来、ダンスで次々とチャレンジする彼を追いかけて、その成長に驚かされたり、いろんなことに気づかされたりするうちに、いつしか15年たった。

 

 そして今また、優は新たなチャレンジを始めた。

ダウン症のある息子と共に

 ダウン症は21番目の染色体が1本多いために、身体的にも知的にも発達がゆっくりだ。同じ年齢の健常児と比べると遅れてはいるが、それぞれのペースで成長していく。

母 幸さん
母 幸さん

 優は3人兄弟の末っ子として生まれた。ダウン症とわかった時、両親は大きなショックを受けた。当時は今以上に社会の偏見が強く、ダウン症についての情報も少なかった。周りが暗黒の世界になったと言う母親の幸さん「かなり落ち込んでいましたから2人とも。はっきり言って顔は見たくなかった・・・。家で仕事をしていましたから 奥の部屋にベッドの中に入れて・・入れっぱなし・・・・(中略)だから何時間も放りっぱなしにしていたら加湿器(の蒸気)で一杯になっちゃって顔も見えないぐらい・・・今考えるとなんであんなひどいことしたのかなと思う・・・」と涙ながらに語ってくれた。そんな時、実家の母から「この子はあんたの家の宝だからね。大事に育てなさい」と言われて勇気づけられ、そして息子が一生懸命生きようとする姿に気持ちが変わっていった。

 優は合併症で心臓に穴があった。9ヶ月の時、容態が急変して生死の境を彷徨い、5時間に及ぶ手術を受けた。小さな身体でその手術を乗り越えた息子を抱いた時、父親の高志さんは「涙がとめどもなく溢れて出てきて」周りに人がいる中で大泣きしてしまったと言う。

「やっぱり命というものの重さっていうかな。生涯何があってもこの子と一緒に生きていくんだと決意した。」

 そして今、幸さんは言う「家族の原点は優ですから。優からエネルギーをみんなもらっている」と。

優 13歳
優 13歳

出会いとチャレンジの日々

 優はダウン症のある人のエンターテイメントスクール「LOVE JUNX(ラブ ジャンクス)」の設立から参加。ここで大きな出会いがあった。スクールの代表で、現在はAKB48への振り付けをはじめ振付師としても活躍する牧野アンナさんとの出会いだ。牧野さんは、かつて沖縄アクターズスクールのチーフインストラクターとして、安室奈美恵、DA PUNP、三浦大知はじめスターを育ててきたが、ダウン症のある子供たちへの指導を頼まれた時、自由奔放に踊る彼らに魅了されて人生を大きく転換。2002年にラブジャンクスを立ち上げ、ダンスでダウン症のある人たちの可能性を追求してきた。中でも当時12歳の優を見た時、何時間も楽しく踊り続けられること自体が才能だし大きな可能性を秘めている子だと思ったと言う。ダウン症のある人の多くは筋力が弱いと言われるのだが、ブレイキンが好きな優は、腹筋などのトレーニングを頑張り、毎日踊ることで、お腹が割れるほどに鍛えられた身体になった。そしてラブジャンクスの活動の先頭にたって、様々なイベントにも出演。アンナさんと共に、道を切り開いてきた。

牧野アンナさん
牧野アンナさん
優 ブレイキン
優 ブレイキン

17歳の時、プロの舞台から声がかかった。優は特別枠だったが、とは言ってもレベルが違いすぎる。父親は心配して反対する中、優は「やりたい」と言ってチャレンジが始まった。しかし振り付けには全然ついていけないしセリフも覚えられない。

  アンナさんも練習に参加して彼につきっきりで指導した。優にとって新しいことを覚えるのは簡単ではない。何度も何度も練習を繰り返してやっと身につく。幾度も落ち込みながらも、人の何十倍も練習して覚えていった。

 迎えた本番で、優はやりきった。そしてダウン症のダンサーとして注目されるようになった。   しかしこの後・・・。

葛藤の日々

 舞台が終わったあと、優は燃え尽き症候群かのように元気がなくなり、あんなに毎日踊っていたのに家で踊らなくなった。両親は、このままうつ状態になってしまうのではないかと本当に心配した。アンナさんも、彼に期待をかけて無理をさせてきたのではと葛藤していた。やがてハードな練習でホルモンなど身体のバランスが崩れたことが要因とわかった。また思春期で人の目も気になり、皆から注目されてダウン症と言われることに引け目を感じるようになっていたようだ。この時、彼は自分の障がいに向き合っていたのかもしれない・・・。

今を生きて

 昨年、これまで以上のチャレンジが始まった。

 ダウン症のある人達への理解を広げる為に、歌を作りCDにしてメッセージを発信しようというプロジェクトが立ち上がった。その趣旨に賛同したPaniCrewメインボーカル/ダンサー植木豪さん、作詞・作曲家 井出コウジさんはじめ第一線で活躍するプロたちが集結、歌うのはリズム感があるからと優に決まった。しかしダウン症のある人の多くは、口の周りの筋肉が弱かったり、口腔機能、聴力、語音の認知能力など複合的な要因で発音が不明瞭になったり、音程もとりにくいことがある。そんなハンディがありながら果たしてうまく歌えるのだろうか?

 優は母親が大きく書いてくれた歌詞を壁に貼り、毎日福祉作業所から帰ると5時間あまり練習を続けた。そんな彼を家族は全力でサポート。母、幸さんは「ダウン症は老化が少し早いと言われていますので、息子がいつ、もう僕踊れないと言うかもしれない。それは明日かもしれないし1年後かもしれないし、10年後かもしれない・・・本人が楽しく、輝いていられる時まで支えてあげたい」と言う。

 レコーディングまでの3ヶ月間、何万回練習しても発音しにくく、言えないフレーズがある。どうしてもできない・・・。自分ができないことに直面している優・・ そんな彼を見てアンナさんは、プレッシャーが大きくなり過ぎているのではと葛藤しながら「これまでもう無理じゃないかと思うことも、彼は何回も何回も練習してハードルを乗り越えてきた。その姿を見ているので、今回も彼を信じて、できる限りのサポートをする。そんな優だからこそ伝わるメッセージがあると思う。」と彼を見守った。

 そして優はあきらめなかった。 「練習すればできる。やればできる。」と自分で自分を奮い立たせて練習を続けた・・・

 その一心に努力する姿は、周りの皆の心をうった。

 そしてレコーディングを乗り越え、二千人あまりの観客の前で歌う日が来た。ステージに出た途端、彼は堂々と歌い始めた。舞台を歩き回ってのパフォーマンスも。本番に強い。それは観客の拍手や期待されている嬉しさ、喜びがエネルギーになってパワーが出るのだろうか ? こう見られたらかっこ悪いとか、先のことを不安に思って立ちすくんだりしない。歌うのが楽しい。

 今、この瞬間を精一杯生きている。そんな姿が上手い下手を超えて、人々の心を掴むのだと思う。

 

 「ひとりにひとつの命だから その種を育んで百年咲かせて

  誰のものでもない空に叫ぶよ 僕は僕のままでいいんだ」

 これからも優のチャレンジは続く。

ステージで歌う優
ステージで歌う優

    

以下は優に15年間密着したドキュメンタリー動画です、是非ご覧ください。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の動画企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、取材費などを負担しているものです。

 この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】