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90秒アニメで「フェイクに予防接種」、ウクライナ情報戦の次の一手とは?

平和博桜美林大学教授 ジャーナリスト
By EU ECHO (CC BY-ND 2.0)

90秒のアニメ動画で、フェイクニュースへの「予防接種」を広める――。

ケンブリッジ大学、ブリストル大学とグーグルの研究部門「ジグソー」が、ユーチューブユーザー540万人を対象にした、そんな大規模実験の結果を公表している。

フェイクニュース(誤情報・偽情報)は、ウクライナ侵攻をめぐり、主にロシアの情報戦の「武器」として使われ、世界的に拡散する。

フェイクニュース拡散への対抗策として国際的に取り組みが進むのが、ファクトチェック(事実検証)だ。

これに対して、フェイクニュースが拡散する前にその手口を暴露し、「予防接種」効果を狙う取り組み「プレバンキング(事前暴露)」に注目が集まっている。

ケンブリッジ大学などによる90秒アニメ動画は、この「プレバンキング」の効果を調べた大規模実験だ。「ジグソー」は実験結果を受けて、すでに「プレバンキング」のアニメ動画を欧州で導入中という。

ウクライナ侵攻をめぐる情報戦に対して、アニメ動画で広がる次の一手とは?

●5%の能力向上

私たちは、人々が誤情報を見抜くために、これらの動画が制御された実験環境だけでなく、現実世界でも役立つことを発見した。ユーチューブ広告として私たちの動画を視聴することで、ユーザーが誤情報を見分ける能力は向上した。

ケンブリッジ大学社会的意思決定研究所所長のサンデル・ファン・デル・リンデン氏らの研究チームは、アカデミックメディア「カンバセーション」への8月24日付の寄稿で、そう述べている。

研究チームが説明しているのは、学術誌「サイエンス・アドバンシズ」に同日付で掲載した「プレバンキング」の大規模実験の結果だ。

実験ではユーチューブ上で540万人に対して、フェイクニュースの典型的な手口を解説した2種類の90秒のアニメ動画のうち1つを、広告として表示。このうち96万7,000人が実際にアニメ動画を視聴した。

動画では、「感情的な表現」でユーザーの怒りや恐怖を刺激したり、極端な2つの選択肢のみを示すことでユーザーを誘導(偽りの二分法)したりするフェイクニュースの典型的な手法を、ユーモラスなアニメに映画「スター・ウォーズ」の一場面などを交えながら解説している。

この動画を視聴したユーザーのうち30%を対象に、アニメ動画視聴から24時間以内にフェイクニュースの識別能力を問うテスト問題に回答してもらった(*回答数1万1,432人)。

同じテスト問題を、アニメ動画を視聴しなかったユーザー(*回答数1万1,200人)にも回答してもらい、比較したところ、アニメ動画を視聴したグループは平均で約5%、フェイクニュースの識別能力が向上していたという。

研究チームは、ユーチューブでの実験に先立ち、6回にわたってより小規模な実験も実施した。

この中では、「感情的な言葉」「偽りの二分法」のほか、「人格攻撃(アドホミネム)」「一貫性のない主張」「スケープゴート攻撃」など、フェイクニュースやプロパガンダでしばしば使われる手法を取り上げている。

実験で使った「プレバンキング」のアニメ動画は、専用サイトで公開。動画には、「スター・ウォーズ」のワンシーンのほか、「ファミリー・ガイ」「サウスパーク」「ザ・シンプソンズ」などの著名なコメディアニメのシーンを取り込んでいる。

フェイクニュースやプロパガンダを排除する際、ユーザーの心理的なハードルを下げる試みとして、「ユーモア」「笑い」を絡めることによる効果が期待されている。

実際にウクライナや台湾をめぐるフェイクニュース対策では、ユーモラスな「柴犬」のキャラクターを使ったキャンペーンも展開されている。

※参照:「柴犬のアイコン」がウクライナ侵攻の最前線で飛び交う、その狙いとは?(09/02/2022 新聞紙学的

「プレバンキング」動画に著名なコメディアニメを採用したのも、そんな狙いがありそうだ。

●ファクトチェックと「プレバンキング」

フェイクニュースへの対抗策として、主に知られてきたのは、メディアなどが事実をもとにその内容を検証するファクトチェックだ。

ロシアによるウクライナ侵攻では、侵攻開始前後から、フェイクニュースを「武器」として使った激しい情報戦も展開されている。

※参照:ウクライナ侵攻で氾濫する「フェイク動画・画像」の3つのパターンとは?(03/04/2022 新聞紙学的

これらフェイクニュースの氾濫に対し、検証サイト「#ウクライナファクツ」では、世界の70を超すファクトチェック団体が2,300件を超す検証結果を公開している。

ただファクトチェックには、フェイクニュースと同等の波及効果は期待できず、フェイクニュースによる悪影響への抑止効果にも限りがある。

ファクトチェックがフェイクニュース拡散の事後対策で、「デバンキング(debunking, 虚偽暴露)」とも呼ばれるのに対し、フェイクニュース拡散前の対策として注目されているのが、「プレバンキング(prebunking, 事前暴露)」だ。

フェイクニュースの手口や実例を「予防接種」によって事前に認識しておくことで、実際のフェイクニュースを見分けるための「免疫」をつけ、安易に信じたり、拡散したりしないようにする、という対策だ。

ウクライナ侵攻をめぐっては、すでにその実例もある。

米国政府は侵攻開始前の1月半ばから、ロシアによるウクライナ侵攻の口実づくりの工作「偽旗作戦」について、機密情報(インテリジェンス)を事前に公表する「プレバンキング」を実施している

またロシアによるウクライナ侵攻後の3月半ば、「偽ゼレンスキー大統領が降伏宣言を表明」というAIフェイク動画「ディープフェイクス」が拡散されているが、ウクライナ政府はその2週間前、すでにこのフェイク動画についての「プレバンキング」を公開していた。

感染症におけるワクチンと免疫の関係を情報に適用した「接種理論」は、1960年代から提唱されてきた。

特に新型コロナ禍では、フェイクニュースの拡散がワクチン接種意欲の低下につながることが、インペリアル・カレッジ・ロンドンなどの研究で明らかにされている。

また、ケンブリッジ大学などの研究では、ゲーム形式の「プレバンキング」が新型コロナのフェイクニュース抑制に効果があることも示されている。

ただこれまでの研究では、「プレバンキング」の効果が、巨大プラットフォームで大規模に実運用された場合の効果については、明確ではなかった。

私たちの研究は、心理的な接種理論が、世界中の何億人ものユーザーに容易に拡大できるという、重要な概念実証を示している。

ファン・デル・リンデン氏はケンブリッジ大学のプレスリリースの中で、そう述べている。

●東欧3カ国での実践

ケンブリッジ大学のプレスリリースやブルームバーグの報道によれば、ジグソーは8月末からポーランド、スロバキア、チェコの東欧3カ国を対象に、複数のプラットフォームで「プレバンキング」動画のキャンペーンを展開しているという。

焦点はウクライナ難民をめぐるフェイクニュースだ。

国連難民高等弁務官事務所の調べでは欧州のウクライナ難民はすでに700万人を超えている。その中で、「難民ヘイト」を煽るフェイク動画などが氾濫しているという現状がある。

※参照:ウクライナ侵攻「難民ヘイト」煽るフェイク動画、その隠された狙いとは?(04/01/2022 新聞紙学的

ファクトチェックの検証作業と合わせて、「プレバンキング」による「免疫」効果が期待される。

(※2022年9月12日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)

桜美林大学教授 ジャーナリスト

桜美林大学リベラルアーツ学群教授、ジャーナリスト。早稲田大卒業後、朝日新聞。シリコンバレー駐在、デジタルウオッチャー。2019年4月から現職。2022年から日本ファクトチェックセンター運営委員。2023年5月からJST-RISTEXプログラムアドバイザー。最新刊『チャットGPTvs.人類』(6/20、文春新書)、既刊『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書、以下同)『信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体』『朝日新聞記者のネット情報活用術』、訳書『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』『ブログ 世界を変える個人メディア』(ダン・ギルモア著、朝日新聞出版)

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