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新型コロナ接触確認アプリ、「普及率6割必要は間違い」なぜ?

平和博桜美林大学教授 ジャーナリスト
(写真:西村尚己/アフロ)

新型コロナ接触確認アプリの「普及率6割」必要は間違い――この研究結果発表した英オックスフォード大学の研究チームが、そんな指摘をしている。

日本でも接触確認アプリ「COCOA」が6月19日にリリースされ、21日17時現在で241万件のダウンロード数が公表されている。日本の人口の約2%に相当する。

報道では「6割以上の普及めざす」「英オックスフォード大の研究では、全人口の6割以上が導入すれば地域的流行を抑えることができるとされる」などと伝えられている。

だが、当のオックスフォード大学研究チームの広報担当、アンドレア・スチュワート氏は、「MITテクノロジーレビュー」のインタビューに、こう答えている。

アプリの効果と普及率について、多くの間違った報道がされてきた…アプリは60%に普及しなければ、機能しない、と―それは事実ではない。それよりはるかに低いレベルでも防止効果は出始める。

「6割」の何が間違っているのか?

※参照:新型コロナ対策「接触追跡アプリ」が迷走する理由(05/15/2020 新聞紙学的

※参照:新型コロナ感染:接触追跡アプリに潜む意外なハードル(04/21/2020 新聞紙学的

参照:新型コロナ:「感染追跡」デジタル監視の新たな日常(03/25/2020 新聞紙学的

●オックスフォード大のシミュレーション

安倍首相は6月18日の記者会見で、「6割」に触れ、これに先立つ5月25日の会見でもこのオックスフォード大学の研究に言及している。「オックスフォード大学の研究によれば、人口の6割近くにアプリが普及し、濃厚接触者を早期の隔離につなげることができれば、ロックダウンを避けることが可能となります」

「6割」の出元は、オックスフォード大学ビッグデータ研究所教授のクリストフ・フレイザー氏らの研究チームが4月16日、英保健省と国民健康サービス(NHS)のテクノロジーユニット(NHSX)に提出した「デジタル接触追跡アプリの効果的な設定」と題した報告書だ。

我々はスマートフォンの全ユーザーの80%、すなわち全人口の56%がアプリを使えば、感染を制圧できることがわかった。

ここで言う「全人口の56%」が「6割」の根拠だ。

だが、フレイザー氏は「MITテクノロジーレビュー」のインタビューで、6割という数字が独り歩きしたとし、こう述べている。

この件は、メディアでの伝わり方をコントロールするのがいかに難しいかを示している。

スイス政府によるアプリ導入への助言も行っている感染症研究者でスイス連邦工科大学ローザンヌ校准教授、マルセル・サラテ氏も、科学専門誌「サイエンス」のインタビューで、「60%が必須」とのメディア報道は「明らかな間違い」だと指摘する。

オックスフォード大のフレイザー氏らは、英情報通信庁(Ofcom)のデータから、スマートフォンユーザーが人口の69.5%だったとして、その80%という計算(69.5%x0.8=55.6%)でこの数字を示している。

では80%という数字は、どこから出てきたのか。それが、フレイザー氏らが行ったシミュレーションの結果だ。

シミュレーションは、英国の人口構成をもとにした人口100万人の都市を舞台に、35日間のロックダウン(都市封鎖)が解除され、感染第2波に備えるという想定で行われている。

フレイザー氏らは、そこで接触追跡アプリが、スマートフォンユーザーの0%から80%までのそれぞれの普及率だった場合に、感染の抑制にどのような効果があるのかを検証している。

●「ロックダウン不要」のシナリオ

シミュレーションでは、アプリの普及率以外に、アプリの運用方法によって5つのシナリオと、感染者の倍増ペース(倍増時間)を3日と3.5日の2通りを設定した。

すると、いずれの場合もアプリの普及率80%では顕著な抑制効果が見られ、このうち倍増ペース3.5日の2つのシナリオでは、ロックダウン(感染者数が人口の1%で発動の想定)をしなくても、第2波を抑え込むことができた。

ただ、このシナリオの設定は、日本が導入した接触確認アプリとは、かなり異なっている。

想定されているのはブルートゥースを使ったアプリだ。GPSによる位置情報は取得していない。だが、アプリ同士の接触データは、政府の中央サーバーで管理する「中央集中型」だ。

これに対して日本の接触確認アプリ「COCOA」は、接触したアプリ同士で交換する匿名キーは各端末の中でのみ保存されるという、グーグル・アップル方式の「分散型」。

また、ロックダウン不要となった2つのシナリオは、いずれも感染者による自覚症状と感染の自己診断の段階で濃厚接触者に通知が送られ、自己隔離の対象となるという運用。さらにその範囲には、直接の1次接触者だけではなく、その接触者と濃厚接触をした家族などの2次接触者まで含まれている。

日本の場合は、感染者がPCR検査によって陽性と判定されてから、濃厚接触者に通知が送られる。また、アプリでは2次接触者の追跡は想定されていない。

5つのシナリオの中でも、効果が限定的だったのは、「2次接触者を含まない」ものと、「2次接触者を含むが、通知は検査による陽性判定後」の2つ。

日本の接触確認アプリの方式と運用は、5つのシナリオには入っておらず、さらに緩やかな「2次接触者を含まず、通知は検査による陽性判定後」だ。

アプリの方式も運用方法も、そもそも大きく違った想定なのだ。

●「6割以下」での効果

だが、フレイザー氏らの研究の主眼は、接触追跡アプリは運用形式や普及率によって違いは出るものの、「アプリなし」に比べて、大きな感染防止効果が期待できる、という点にある。

普及率によるシミュレーションを見ると、スマートフォンユーザーの普及率0%に比べて、「新規感染者数」「死亡者数」「ロックダウン発動までの日数」のいずれも、普及率上昇に応じて、感染防止効果は確認されている。

また、このシミュレーションには、従来の人による聞き取り調査での感染追跡など、アプリ以外の感染防止策が含まれていない。「アプリのみ」でどれだけの効果が期待できるか、という検証だ。

実際には、店舗などでの飛沫防止シートの設置など、このシミュレーションが想定していない感染防止策なども広く実施されている。

日本の場合は、シミュレーションの想定より緩やかな運用であるため、効果は限定的ながら、普及率上昇に応じたそれなりの感染防止効果を期待することはできそうだ。

●英国もグーグル・アップル方式に

研究チームが報告書を提出した英国の接触追跡アプリの計画も、ここにきて大きな方針変更を行っている。

英国はこれまで、「中央集中型」でアプリ開発を進め、実証実験にも乗り出した。

だが、プライバシーへの懸念の声もあり、日本なども採用する「分散型」のグーグル・アップル方式との比較検討を続けていた。

その結果、アプリのダウンロード率や、接触検知の精度の問題などから、当初の開発計画はいったん撤回。

英保健省は18日、改めて、グーグル・アップル方式によるアプリを検討する、と発表したのだ。

オックスフォード大学の研究チームのシミュレーションは、今のところ、英国のアプリ開発計画にはうまく活かされなかったことになる。

●「6割」の現実味

一方で日本のアプリは、多くが指摘するように、普及率「6割」の達成の現実味は薄い。

「COCOA」はスマートフォンであれば利用できるというわけではない。iPhoneの場合は、iPhone 6S以降(iOS 13.5以上)Androidの場合はAndroid 6以上が対象だ。

発売から6年近いiPhone 6及びそれ以前のスマートフォンでは、OSが対応せず、アプリを使うことができない。

アップルが公表している6月17日現在のデータによると、iPhoneのうち、iOS 13がインストールされているのは81%、iOS 12が13%、それ以前のバージョンが6%となっている。

また、グーグルが公表している6月1日現在のデータでは、Androidのうち、Android 6から最新のAndroid 9までの割合は75%、Android 5以前のバージョンが25%となっている。

これはグローバルのデータで、ここには最新バージョンにアップデート可能だが、していないユーザーも含まれる。ただ単純計算でも、おおむね2割強のユーザーは、現時点で「COCOA」をインストールできないということになる。

日本政府の新型コロナウイルス感染症対策テックチームは5月26日付で「接触確認アプリ及び関連システム仕様書」を公表している。

スマートフォンの国民の個人保有率が64.7%(令和元年版情報通信白書)であるので、最大で国民の6割以上が導入することを目指す想定で基盤等の拡張性を確保する。

スマートフォンの保有率を64.7%とすると、OSのバージョン非対応分2割を除く(64.7%x0.8=51.8%)と、人口比で51.8%。

インストール可能なスマートフォンの全ユーザーがダウンロードするとしても、「6割以上」という普及率はあり得ないことになる。

「国民の6割以上が導入」というのは「基盤等の拡張性を確保する」ための目安、という以上の意味がないことが分かる。

●一つの目安として

ただ、オックスフォード大学の研究チームのシミュレーションは、アプリの導入には感染防止効果が認めら、普及率の上昇に伴ってその効果は強まることがデータからわかるという点では、参考になる。

そして、シミュレーション上の一つの目安としてアプリの普及率80%(人口比56%)を念頭に置いておくことも意味があるだろう。

だが、目標として「6割」を考え、達成しなければ「失敗」と見るのは、現実的ではないように思える。

(※2020年6月22日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)

桜美林大学教授 ジャーナリスト

桜美林大学リベラルアーツ学群教授、ジャーナリスト。早稲田大卒業後、朝日新聞。シリコンバレー駐在、デジタルウオッチャー。2019年4月から現職。2022年から日本ファクトチェックセンター運営委員。2023年5月からJST-RISTEXプログラムアドバイザー。最新刊『チャットGPTvs.人類』(6/20、文春新書)、既刊『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書、以下同)『信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体』『朝日新聞記者のネット情報活用術』、訳書『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』『ブログ 世界を変える個人メディア』(ダン・ギルモア著、朝日新聞出版)

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