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新型コロナウイルス:「生物兵器」の陰謀論、政治家やメディアが振りまく

平和博桜美林大学教授 ジャーナリスト
新型コロナウイルスの感染源とみられる武漢の華南海鮮卸売市場=1月10日(写真:ロイター/アフロ)

新型コロナウイルスの感染源をめぐり、これが「生物兵器」だとする陰謀論拡散が続く

ネットを舞台とした拡散に加えて、メディアや政治家などが、それを後押ししていることも大きい。

そして拡散の背景として、中国政府の情報開示への不信感もつきまとう。

だがこのような陰謀論の氾濫は、結果として人種差別を呼び起こしたり、感染拡大を悪化させてしまう危険性も指摘される。

19日には公衆衛生や感染学の専門家である著名な科学者ら27人が、この陰謀論を否定する共同声明を英医学誌「ランセット」に発表。陰謀論の拡散を批判している。

リアルの感染拡大と陰謀論の拡散。その二つを結びつけるのは、なお正体が明らかにならない新型ウイルスへの不安感だ。

●上院議員と「生物兵器」

新型コロナウイルスと「生物兵器」を結びつける陰謀論は、米国のテレビ4大ネットワークの一つ、FOXでも取り上げられている。

共和党の上院議員、トム・コットン氏はFOXニュースに16日夜に出演し、新型コロナウイルスについて、中国・武漢のウイルス研究所からの「流出疑惑」を主張した。

コットン氏は、新型コロナウイルスの感染源として、ツイッターなどで武漢の「ウイルス研究所」を名指ししてきた

現在、世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルスの感染源としているのは、武漢市江漢区にあり、野生動物なども取引されてきた武漢華南海鮮卸売市場だ。

コットン氏はFOXニュースの中で、感染源は海鮮市場ではない、と述べる。そして海鮮市場から数マイルの場所に「バイオセーフティレベル4の感染症の特別研究所がある」としている。

コットン氏が名指ししているのは、長江を挟んだ対岸、12キロ(7.5マイル)ほど南東にある武漢市武昌区の中国科学院武漢ウイルス研究所の施設「武漢国家生物安全実験室」だ。

「武漢国家生物安全実験室」は危険度の高い病原体を扱うことができる安全対策が施された「バイオセーフティレベル4(BSL-4)」の研究所。日本では国立感染症研究所村山庁舎(東京都武蔵村山市)がBSL-4施設だ。

コットン氏は、断定はしないものの、新型コロナウイルスと「武漢国家生物安全実験室」について、こう発言している。

この感染症の感染源がここ(ウイルス研究所)だという証拠はない。ただ中国はこの問題発覚当初から、二枚舌とうそばかりだ。我々は少なくとも証拠をもとに問いただしていく必要がある。だが中国は、そのための証拠すら一切明らかにしようとはしていない。

●メディアが火をつける

新型コロナウイルスを「武漢国家生物安全実験室」や「生物兵器」と結び付ける陰謀論は、すでに様々な専門家から繰り返し否定されてきている

だが、これに火がつくきっかけの一つが、メディアだった。

英大衆紙のデイリーメールは新型コロナウイルスによって武漢市の「封鎖」が始まった1月23日、「武漢国家生物安全実験室」のことを取り上げている

記事の中で同紙は、同研究所が2018年に中国初のBSL-4施設として稼働する前、病原体の「流出」を懸念する声が米科学者らから上がった、などと指摘。また、地図付きで海鮮市場と実験室の位置関係も掲載している。

さらに、中国では2004年に北京の研究所でSARSウイルスが「流出」した経緯がある、などとしていた。

デイリーメールの記事には、いくつかの事実がある。

一つは2017年2月の科学誌「ネイチャー」の記事で、「武漢国家生物安全実験室」の安全性に米専門家らが懸念を表明していた点だ。

さらに、2004年に北京でSARSの集団発生が起きた際には、北京の国立ウイルス学研究所で、BSL-3の実験室のSARSコロナウイルスを、一般の実験室に持ち出して実験に使ったことが感染源となったことも、公表されている事実だ。

ただ、今回の新型コロナウイルスの感染と「武漢国家生物安全実験室」を結びつけるデータは、これまで明らかになっていない。

また上述の「ネイチャー」の記事には、2020年1月付で「編集者追記」が掲載され、新型ウイルスと「実験室」を結びつける証拠はなく、新型ウイルスの感染源は市場と見られている、と述べられている。

●陰謀論、拡散と否定

米保守紙のワシントン・タイムズは2019年1月26日、イスラエルの軍事専門家のコメントとして、新型コロナウイルスの感染源が「武漢ウイルス研究所」の可能性があり、同研究所が関わる「生物兵器計画」とつながっている、などと報じている

この記事を、トランプ政権の元首席戦略官兼大統領上級顧問で、右派サイト「ブライトバート・ニュース」の会長だったスティーブン・バノン氏が、自身のポッドキャストで拡散しているという

さらに1月31日、インドの研究グループが、新型コロナウイルスに、HIVウイルスとの「異様な類似点がある」などとする論文を公開。ウイルスへの「人為的操作」の憶測が拡散する。

だが、調査手法や結論に関する専門家らからの批判を受け、論文は2日後に撤回されている

刺激的な情報は広く拡散する。

ネット調査会社「バズスモー」のデータによれば、デイリーメールの最初の記事はフェイスブックで20万回以上共有され、ワシントン・タイムズの記事もやはりフェイスブックで16万回以上共有されている。

撤回されたインドの研究チームの論文も、フェイスブックでは2万回以上共有された。

中国の崔天凱・駐米大使は2月9日、米CBSの報道番組「フェイス・ザ・ネイション」に出演し、新型コロナウイルスと武漢の研究所を結びつけることを批判し、こう述べている

憶測やうわさを扇動し、人々に拡散させるのは極めて有害で、危険なことだ。それらはパニックを引き起こしてしまう。そして、人種差別、外国人差別を煽ることになる。これらはウイルス対策への協力態勢を著しく損なうものだ。

ただ混乱の背景には、中国の情報開示についての不信感も影を落とす。

象徴的なのが武漢の眼科医、李文亮氏のケースだ。

李氏は「原因不明」だった今回の新型コロナウイルスについて、2019年12月30日という早い段階でネット上で感染への注意喚起をし、警察の事情聴取を受けた。さらに李氏は、自らも感染し、2月7日に亡くなっている。

FOXニュースに出演したコットン氏も、李氏のケースを取り上げ、中国政府の対応を批判した。

●27人の専門家が否定する

新型コロナウイルスの感染源をめぐるこれらの陰謀論やデマの氾濫に対し、世界的に知られる公衆衛生の専門家27人は2月19日、英医学誌「ランセット」に共同声明を発表した

共同声明に名を連ねているのは、SARSの感染源とコウモリを結び付けた研究など知られる国際NPO「エコヘルス・アライアンス」代表のピーター・ダスザック氏、全米科学財団(NSF)長官などを歴任し、ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院特別教授、沖縄科学技術大学院大学学園理事なども務めるリタ・コルウェル氏、英医学研究支援団体「ウェルカム・トラスト」代表で、2003年にベトナムでSARS患者の治療にあたったジェレミー・ファラー氏、元米国立感染症センター(NCID)所長で米エモリー大学大学院教授、ジェームズ・ヒューズ氏ら。

声明は、各国の専門家による研究は、いずれも新型コロナウイルスが野生生物由来だと指摘。さらに、陰謀論の氾濫について、こう述べている。

陰謀論は、ただ不安やうわさ、偏見をかき立て、今回のウイルスに対する世界的な協力の取り組みを危険にさらす。科学的エビデンスと、虚偽情報や憶測への団結した取り組みの推進。我々は、WHOのアダノム事務局長によるこの呼びかけを支持する。

●陰謀論の被害

陰謀論やデマには、具体的な被害が伴う。

今回の新型コロナウイルス感染拡大にともなって、中国人を中心としたアジア系に対する差別や排斥の動きが欧米などで広まっている

また、感染症に関するデマの拡散によって適切な対策が取られず、感染そのものの拡大に悪影響を及ぼす。

そんなシミュレーション結果を英国立イーストアングリア大学教授で感染症を専門とするポール・ハンター氏らが発表している

※参照:新型コロナウイルス:デマの氾濫は感染拡大を悪化させてしまう(02/15/2020 新聞紙学的

ただ、従来のデマや陰謀論がそうであるように、新型コロナウイルスをめぐっても、情報戦の様相もある。

感染源にまつわる陰謀論には、バリエーションがあり、その一つが、米国の陰謀である、とするものだ。

フォーリン・ポリシーによれば、ロシアメディアでは、新型コロナウイルスが、米国の「生物兵器」、もしくは米国の製薬会社による策略、との陰謀論が流布している、という。

不安の拡大には、それに乗じた様々な意図も入り込む。冷静さは常に必要だ。

(※2020年2月22日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)

桜美林大学教授 ジャーナリスト

桜美林大学リベラルアーツ学群教授、ジャーナリスト。早稲田大卒業後、朝日新聞。シリコンバレー駐在、デジタルウオッチャー。2019年4月から現職。2022年から日本ファクトチェックセンター運営委員。2023年5月からJST-RISTEXプログラムアドバイザー。最新刊『チャットGPTvs.人類』(6/20、文春新書)、既刊『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書、以下同)『信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体』『朝日新聞記者のネット情報活用術』、訳書『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』『ブログ 世界を変える個人メディア』(ダン・ギルモア著、朝日新聞出版)

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