AIいらずのフェイク動画「チープフェイクス」の号砲で2020年の幕が開く

ABC News/Twitterより筆者撮影

AIいらずのフェイク動画「チープフェイクス」が新年早々に拡散し、元副大統領を“白人至上主義者”に仕立てる――。

AIを使った高度なフェイク動画「ディープフェイクス」が注目を集める一方で、AIいらずの初歩的なフェイク動画「チープフェイクス」の影響力にも、改めて懸念の声が上がっている。

2019年に話題となった米下院議長、ナンシー・ペロシ氏の「酩酊動画」に続き、年明け早々に拡散したのは、米大統領選の民主党有力候補で元副大統領、ジョー・バイデン氏の「チープフェイクス」だった。

動画の再生回数は拡散開始から1日で160万回を超す勢いに。

拡散した動画は、15分近い元の動画から19秒分を抜き出しただけのもの。だがそれによって、バイデン氏を“白人至上主義者”と印象づけるには十分だったようだ。

米大統領選をめぐるフェイクニュースの拡散の再来が懸念される2020年の幕開けを、その懸念通りに「チープフェイクス」拡散で迎えたことになる。

●“白人至上主義者”の発言

拡散の経緯は、CNNワシントン・ポストニューヨーク・タイムズなどが相次いで伝えている。

バイデン氏のチープフェイクス動画が拡散し始めたのは、米東部時間で1月1日午後8時43分。

1万2,000人を超すフォロワーを持つ匿名アカウントが、19秒のバイデン氏のスピーチ動画とともに、こうツイートした。

バイデン氏は米国のアイデンティティが“欧州”にある、と主張しているぞ:「我らの文化はアフリカのどこかの国から持ち込まれたものではない」

するとその45分後、黒人女性のアイコンを使った1万7,000人超のフォロワーを持つアカウントが「この人も今や完全な白人至上主義者だ」とのコメントをつけてリツイートしている。

最初の匿名アカウントからのツイートは、1日で2,000回ほどリツイートされ、黒人女性のアイコンからのリツイートは、さらに4,000回ほどリツイートが繰り返されている。

その結果、ツイートに添付された動画の再生回数は、1日で160万回を超える拡散ぶりを見せた。

19秒の動画で、バイデン氏はこう述べている。

我らの文化、我らの文化。それはアフリカのどこかの国やアジアのどこかの国から持ち込まれたものではない。それは我らの英国法に由来する文化、我らの欧州の文化です。

これに対して、最初の匿名ツイートから2時間後、CNNの記者、ダニエル・デール氏がファクトチェックをツイートする。

●CNNのファクトチェック

デール氏は、「まったく別の文脈に歪曲されたバイデン氏の動画がツイッターで出回っている」と指摘。こう説明した。

バイデン氏はニューハンプシャー州で10分超のスピーチをし、ドメスティックバイオレンスと性的暴行に対する自身のこれまでの取り組みを語っている。この中でバイデン氏は、これが“文化的問題”であり、その起源はこれを許容してきた英国のコモンローにまでさかのぼるということを、繰り返し述べている。

バイデン氏は今回の動画が拡散する2日前の2019年12月30日、ニューハンプシャー州の町、デリーでスピーチを行い、ABCニュースがそれをライブ中継していた

この中で、聴衆から性的暴行の問題への取り組みについての質問があり、バイデン氏は、問題の源流として、14世紀の英国法が妻に対する夫の暴行を許容していたことを挙げて、このような説明をしている。

皆さん、これは文化を変えていくという取り組みです。我らの文化、我らの文化を。これはアフリカのどこかの国やアジアのどこかの国から持ち込まれたものではない。それは我らの英国法に由来する文化、このようなことを許容してきた我らの欧州の文化です。

その発言の前後が削除された動画として拡散することで、女性への暴行問題についてではなく“白人至上主義の発言”として、拡散の推進力になったようだ。

この動画への批判に対して、発信元のアカウントは、こう反論している。

私が投稿したのは、まがい物ではない完全に正真正銘のジョー・バイデン氏の動画で、まったく編集や改ざんなどはしていない。キャプションも事実に間違いはない正確なもので、バイデン氏自身の言葉だ。短く切り取った動画のクリップではあるが、編集や改ざんはしていない。

送信元の匿名アカウントはこのほかにも、1日午後から夜にかけて、この同じABCニュースのライブ動画から数秒単位の動画を切り出し、バイデン氏をあてこするようなコメントとともに、少なくとも7本のツイートをしている。

そしてその多くは、動画の視聴回数が数万に及んでいる。

送信元の人物は、民主党の大統領選候補者争いでバイデン氏の対抗馬であるバーニー・サンダース氏を支持する内容のツイートもしている。

ただ今回拡散したツイートに対しては、デール氏によるファクトチェックのツイートも1日で4,000回以上リツイートされ、「チープフェイクス」拡散に対する歯止めの役割を担った。

●「チープフェイクス」の拡散力

2020年は米大統領選の年。2月3日のアイオワ州の党員集会を皮切りに、3月3日のカリフォルニアなど14州での予備選挙、スーパーチューズデー、そして11月3日の投開票まで、9カ月に及ぶ選挙戦が続く。

そして、フェイクニュースの氾濫が選挙戦の混乱を招き、ロシアによる介入疑惑が大きな政治課題となった、4年前の再来が懸念されている。

この4年で大きく変わったのはAIテクノロジーの進展、そしてそれに伴う高度なフェイク動画「ディープフェイクス」の登場だった。

※参照:96%はポルノ、膨張する「ディープフェイクス」の本当の危険性(10/23/2019

だがその一方で、「ディープフェイクス」登場以前の編集ツールを使った初歩的なフェイク動画「チープフェイクス」の拡散も、リアルな影響を及ぼした。

「チープフェイクス」は「シャローフェイクス」「ダムフェイクス」とも呼ばれる。

「ディープフェイクス」が、なお一定の知識と機材、編集に要する時間が必要とされるのに対し、「チープフェイクス」は作成のハードルがずっと低い。

最も注目を集めた「チープフェイクス」は、トランプ大統領の弾劾裁判を決めた米下院議長、民主党のナンシー・ペロシ氏の「酩酊動画」だ。

これは、同氏の実際のスピーチ動画をもとに、その再生速度を75%ほどに落とし、声のトーンを調整しただけの、シンプルな編集による改ざん動画だった。

だが、これが2019年5月23日にソーシャルメディア上で公開されると瞬く間に拡散。

トランプ大統領の公式アカウントがリツイートしたこともあり、翌月末までで630万回視聴されていた。

また、トランプ氏の当選後初の記者会見で、「フェイクニュース」との攻撃の矢面に立ったCNNのホワイトハウス担当記者、ジム・アコスタ氏をめぐる「チープフェイクス」も拡散した。

2018年11月8日、ホワイトハウスでのトランプ大統領の記者会見の席上、質問を続けようとするアコスタ氏のマイクを、インターンが取り上げようとした場面があった。

この場面の動画にコマ落としの編集を加えることで、アコスタ氏がインターンの腕を強く振り払っているように見せた改ざん動画が公開され、これを当時のホワイトハウス広報官、サラ・サンダース氏もツイッターの公式アカウントで共有。

一時は、「女性に手を上げた」としてホワイトハウスがアコスタ氏のホワイトハウス入館証をはく奪する事態となった。

このように、「チープフェイクス」のようなローテクな動画改ざんでも、政治的な場面においては、十分なインパクトを持つことが、すでに示されている。

そして今回のバイデン氏の「チープフェイクス」だ。

●「ディストピア」の幕開け

今回のバイデン氏の「チープフェイクス」について、プリンストン大学の歴史学教授でCNNの政治アナリスト、ジュリアン・ゼリザー氏はこうツイートしている。

バイデン氏に対するミスリーディングな動画の拡散は、2020年の大統領選を彩るであろう、ディストピアのほんの前触れに過ぎない。改ざんされ、大幅に編集され、あるいはもっとずっと手の込んだ加工が施される動画が、米国政治の新たな対決の舞台となるのだ。

さらに悲観的な見方もある。英ガーディアンやワイアードのコラムニスト、シヴァ・ヴァイディアネイサン氏は、ゼリザー氏のツイートへのリプライで、こう指摘している。

これはもはや2011年以降の標準的な展開となっている。同様のことはエストニア、ポーランド、ウクライナ、インド、イタリア、フィリピン、そしてブラジルで行われてきた。我々には防御策はない。まったく。民主主義と動画は、基本的に相性がよくないのだ。

また、ニューヨーク・タイムズのホワイトハウス担当記者、ケイティ・ロジャース氏は、こうツイートしている。

このようなことが、こんなに簡単にできるとすると、私たちはこの先、とても対応できる状況ではない。

このように、2020年の幕が開けた。

(※2020年1月3日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)