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性犯罪者と“富豪慈善家”、エプスタイン被告の巨額寄付が巻き起こす波紋

平和博桜美林大学教授 ジャーナリスト
(写真:ロイター/アフロ)

14歳の少女らへの性的虐待で逮捕・起訴されながら、拘置施設内で自殺した米富豪のジェフリー・エプスタイン被告。

トランプ大統領、クリントン元大統領から英国のアンドルー王子まで、その政財界を中心とした交友関係が国際的な注目を集める

一方で、エプスタイン被告は科学分野の著名研究者らにも幅広い人脈を持ち、豊富な資金が広く流れていたことも、波紋を広げている。

マサチューセッツ工科大学(MIT)は22日、同大学がエプスタイン被告から合わせて約80万ドル(約8400万円)の寄付を受けていたと公表した

その寄付先の一つ、同大学の先端テクノロジー研究所「メディアラボ」では、所長の伊藤穣一氏が自らの個人ファンドを含めて、エプスタイン被告から資金を受けていたことを公表、謝罪したほか、同研究所の創設メンバーの一人で、「AIの父」ともいわれる故マーヴィン・ミンスキー氏が、エプスタイン被告から性接待を受けていたとの疑惑も浮上。これらを受け、メディアラボの有力研究者らが辞任を表明する事態となっている

エプスタイン被告が複数の財団を使って行ってきた寄付は、判明しているだけで過去20年間で総額3000万ドル(31億6000万円)。大口の寄付先としては、ハーバード大学などの名前が挙がっている。

このほかにも、エプスタイン被告の交友関係では、「クォークの父」といわれるノーベル物理学賞受賞者、故マレー・ゲルマン氏や英国の理論物理学者、故スティーブン・ホーキング氏など、著名科学者の名前が次々に報じられている

性犯罪で実刑判決を受け、性犯罪者登録もされていた人物が、政財界のみならず、”富豪慈善家”としての顔と資金を看板に、世界的な著名研究者らにも人脈の根を張る――そんな構図が浮かび上がる。

●揺れるMIT

MIT学長のラファエル・レイフ氏は8月22日、学内関係者へのメールで、同大学がエプスタイン被告から、過去20年にわたり、約80万ドル(約8400万円)の寄付を受けていたことを明らかにし、このメールそのものも一般に公開した

この全額は同大学のメディアラボと、量子コンピューターの研究などで知られる機械工学部のセス・ロイド教授に配分されていたという。

レイフ氏はこの寄付金が、MITの正規の手続き経ていたにもかかわらず「判断に誤りがあった」として、学内の調査チームにより、その経緯について検証を始めるという。

メディアラボ所長の伊藤穣一氏はこの1週間前の同月15日、メディアラボの公式サイトで、エプスタイン被告からの資金受領と交友、さらに同被告の被害者らへの謝罪を表明していた

それによれば、伊藤氏とエプスタイン被告が知り合ったのは2013年。カンファレンスで「信頼できるビジネス上の友人」に紹介された、という。そして、エプスタイン被告の複数の財団からメディアラボへの寄付を受け、さらにMITとは別に、ベンチャー投資を行う伊藤氏の個人ファンドに対しても、資金を受けていたとしている。

伊藤氏は、エプスタイン被告をメディアラボに招いたり、同被告の複数の居宅を訪れたりしたという。だがその犯罪行為については、関知していなかったとしている。

エプスタイン被告からの資金の総額は明らかにしていないが、メディアラボへの寄付金と同額を人身取引の被害者支援のNPOに寄付し、個人ファンドへの資金はエプスタイン被告側に返還する、という。

また、セス・ロイド教授も8月23日、ブログサイト「ミディアム」上で被害者への謝罪を表明した

エプスタイン被告とは、2004年に科学者が集まるパーティーで知り合ったといい、2012年と2017年の2度、同被告の財団から寄付を受けていた、としている。

●有力研究者の退任表明

エプスタイン被告をめぐっては、メディアラボの創設メンバーの一人であり、2016年に死亡した故マーヴィン・ミンスキー氏の名前も取り沙汰されていた。

ネットメディア「ヴァージ」は8月9日、エプスタイン被告の被害者の法廷証言資料をもとに、この被害者が十代の時に、同被告の自宅で性的行為を強要された相手として、英国のアンドルー王子や元米ニューメキシコ州知事、ビル・リチャードソン氏らとともに、ミンスキー氏の名前が挙げられている、と報じていた

ミンスキー氏はMIT人工知能研究所(現コンピューター科学・人工知能研究所[CASIL])の共同創設者であり、「AIの父」とも呼ばれる。

エプスタイン被告の問題の影響は、メディアラボの研究者にも及ぶ。

メディアラボの准教授で同ラボ傘下のシビックメディアセンター所長、イーサン・ザッカーマン氏は8月20日、自らのブログで、年度末にあたる2020年5月をもってメディアラボから退任する、と表明した。

ザッカーマン氏はポップアップ広告をつくり出したことでも知られる著名なメディア研究者。社会正義や倫理などをテーマにしており、エプスタイン被告との関係が明らかになったメディアラボで活動を続けることはできない、と述べている。

メディアラボでは2017年から「不服従賞」を主催。2018年の受賞者はタラナ・バーク氏ら科学教育(STEM)分野を含む「#MeToo」運動のリーダーたちに贈られており、「悲惨な皮肉だ」とした。

また、シビックメディアセンターの客員研究員のネイサン・マティアス氏も、この問題を受けて、ザッカーマン氏と同様、年度末をもってメディアラボを辞任するとしている

●ハーバード大学で

マイアミ・ヘラルドによれば、エプスタイン被告が、過去20年間に自らの3つの財団などを通じて政財界や科学界に提供した資金の総額は、わかっているだけで3000万ドル(31億6000万円)にのぼる。ただ、残る一つの財団の支出はわからず、全体像は把握できていないという。

同紙によると、その流入先はハーバード大学にも及んでいる。

ハーバード大学がエプスタイン被告から受けた寄付として認めている総額は、650万ドル(6億8500万円)。

ハーバード大はエプスタイン被告からの資金はすべて支出済みで、エプスタイン被告側への返却の予定はない、と回答しているという

マイアミ・ヘラルドが上記3つの財団の支出の内訳を調べたところ、ハーバード大学に関して把握できた総額は209万ドル。1998年から2008年にかけて毎年定期的に寄付が行われていた。

一方でエプスタイン被告は自身のホームページで、マイアミ・ヘラルドが支出を把握できなかったという財団を通じて、ハーバード大学の進化生物学の教授、マーティン・ノワク氏進化ダイナミクス・プロジェクトの立ち上げを支援した、と表明している

このプロジェクトの立ち上げは2003年で、寄付額は650万ドルとされている

つまり、ハーバード大学への寄付金の総額は、650万ドルにとどまらない可能性も伺える。

ハーバード大学で、エプスタイン被告との交友について、謝罪の意思を表明している研究者もいる。

ゲノム解析の権威で、DNA配列による「マンモス復活」プロジェクトでも知られる、ハーバード大学教授、ジョージ・チャーチ氏は、エプスタイン被告の服役後も、電話でのやり取りや「年に数回」の面会を持っていたことを明かした。

科学メディア「スタット」が8月5日にインタビュー記事を掲載している

それによると、チャーチ氏がエプスタイン被告と知り合ったのは2006年だったという。

チャーチ氏は、ノワク氏と遺伝子編集ツール「CRISPR(クリスパー)」による共同研究を進める関係で、エプスタイン被告との面会にも、多くの場合、ノワク氏が立ち会っていた、としている。

チャーチ氏はスタットのインタビューで、エプスタイン被告との交友を続けたのは、「ナード(おたく)の視野狭窄だった」とし、被害者への謝罪を述べている。

●逮捕、労働長官の辞任、自殺

エプスタイン被告は、ヘッジファンドの運営で巨額の財産を手にしたといわれる。2008年、少女に売春をさせたとして13カ月の禁固刑を受け、性犯罪者として登録されている

この際、数十人の被害者が特定され、終身刑の可能性もありながら、司法取引によって軽微な罪状となったことをマイアミ・ヘラルドがキャンペーン報道で指摘。事件を担当した当時の連邦検事で、トランプ政権で労働長官となったアレクサンダー・アコスタ氏に批判が集中した

エプスタイン被告の疑惑については改めて、FBIとニューヨーク市警察(NYPD)の合同捜査により、追及が行われていた。

そしてエプスタイン被告は今年7月6日、2002年から2005年にかけてニューヨークやフロリダの自宅で、14歳の少女を含む数十人の女性に性的行為をさせた少女買春の疑いで、FBIとNYPDに逮捕され、8日に起訴されている

エプスタイン被告の逮捕・起訴を受け、アコスタ氏は同月12日に辞任を表明した

そしてヴァージが、被害者の法廷証言資料をもとに、英国のアンドルー王子らの名前を報じた翌日の8月10日朝、エプスタイン被告はニューヨークの拘置所内で自殺していたことが判明する

●科学界の「エプスタイン人脈」

政財界だけでなく、「エプスタイン人脈」は科学界にも根を張っていた。

そして、エプスタイン被告は上述のホームページで、科学界での「人脈」を告知していた

そこでは、財団を通じて寄付を行っている大学や研究機関として、ハーバード大学のほか、プリンストン大学、コロンビア大学、ニューヨーク大学、コーネル大学、ペパーダイン大学、オハイオ州立大学、スタンフォード大学、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、サンタフェ研究所、ロックフェラー大学、ペンシルベニア大学が挙げられている。

また、スポンサードをしている著名科学者として、チャーチ氏やホーキング氏、ミンスキー氏、ゲルマン氏らの名前を挙げている。

さらにこの中には、2017年のノーベル物理学賞を受賞した、キップ・ソーン氏の名前もある。だが同氏は2006年にエプスタイン被告のカンファレンスに出席した以外の付き合いも寄付もない、と否定している。

また、オバマ政権の科学技術諮問会議の共同議長を務めたエリック・ランダー氏も、名前を挙げられているが、付き合いは否定している。

ただ、エプスタイン被告が主催する科学関連のカンファレンスに、これらの著名研究者が相次いで参加していたことは事実のようだ。

●出版エージェントの名前

エプスタイン被告は、どのようにして、これら科学界の「人脈」を広げていったのか。

キーマンとして名指しされているのが、著名な出版エージェント、ジョン・ブロックマン氏だ。

ブロックマン氏は、進化生物学者のリチャード・ドーキンス氏や認知科学者のダニエル・デネット氏、進化生物学者のジャレド・ダイアモンド氏ら、科学分野の名だたる作家たちのエージェントで、その幅広い人脈で知られる。

ハーバード大学のチャーチ氏も、エプスタイン被告と知り合ったきっかけとして、ブロックマン氏の名前を挙げている、という。

自らもブロックマン氏とその長男が出版エージェントを務めるという、テクノロジーライター、エフゲニー・モロゾフ氏が、「エプスタイン人脈」におけるブロックマン氏の存在をまとめている

モロゾフ氏によれば、ブロックマン氏のコミュニティの中核は、代表を務めるエッジ・ファウンデーションと、オンラインサロン「エッジ」だという。

モロゾフ氏によれば、2001年から2015年にかけて、エッジ・ファウンデーションはエプスタイン被告の複数の団体から合わせて63万8000ドル(6700万円)の資金を受けており、寄付金がエプスタイン被告関連のみ、という年も多かった、という。

「エッジ」にはミンスキー氏ら著名な科学者に加え、グーグル創業者のラリー・ペイジ氏とサーゲイ・ブリン氏、アマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏といった起業家、ブライアン・イーノ氏、ピーター・ガブリエル氏らのアーティスト、ジャーナリストらの名前が挙げられており、MITの伊藤氏、ロイド氏、ハーバード大のチャーチ氏らの名前もある。

モロゾフ氏自身もその一人。そして、ブロックマン氏から、エプスタイン被告との面会を持ちかけられたことがあったが、断った、と明かしている。

エッジ・ファウンデーションは「億万長者のディナー」と題したリアルイベントも開催しており、「エッジ」に名前の挙がる著名人らが出席している写真が、サイトで公開されている

エプスタイン被告は資金提供を行い、ブロックマン氏は人脈を提供する。

そのような関係が続いていたようだ。

●「科学の慈善家」

エプスタイン被告は、自ら「科学の慈善家(サイエンス・フィラントロピスト)」と称していた、という。

だが、科学界での「人脈」づくりには、どんな意図があったのか。

指摘されているのは、エプスタイン被告にまつわる評判のロンダリングだ。

マイアミ・ヘラルドの分析によると、2008年の有罪判決と服役後も寄付は続いており、そのようなPR戦略の側面はあったようだ。

ただ、エプスタイン被告による寄付の大半は、2008年以前に行われているという。

一方で、ニューヨーク・タイムズによれば、エプスタイン被告は、人間の能力の増幅させる「トランスヒューマニズム」や、「クライオニクス(人体冷凍保存)」といったテーマに強い関心を持っていた、という。

著名科学者たちとの「人脈」づくりには、そんな背景も指摘されている。

だが、科学界の著名研究者たちの名前が次々に取り沙汰されるこの問題の詳細は、なお判明していない。

エプスタイン被告が、寄付先として表明した中には、寄付を受け取っていない、とする大学なども複数あり、億万長者としてのイメージも、実態とはかけ離れた虚像だったのでは、との指摘も出ている。

そして、渦中の人物は、すでに死亡してしまっている。

(※2019年8月25日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)

桜美林大学教授 ジャーナリスト

桜美林大学リベラルアーツ学群教授、ジャーナリスト。早稲田大卒業後、朝日新聞。シリコンバレー駐在、デジタルウオッチャー。2019年4月から現職。2022年から日本ファクトチェックセンター運営委員。2023年5月からJST-RISTEXプログラムアドバイザー。最新刊『チャットGPTvs.人類』(6/20、文春新書)、既刊『悪のAI論 あなたはここまで支配されている』(朝日新書、以下同)『信じてはいけない 民主主義を壊すフェイクニュースの正体』『朝日新聞記者のネット情報活用術』、訳書『あなたがメディア! ソーシャル新時代の情報術』『ブログ 世界を変える個人メディア』(ダン・ギルモア著、朝日新聞出版)

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