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いま読まれるべき作品、『ダーウィン事変』 15年目のマンガ大賞をデータから振り返る

加山竜司漫画ジャーナリスト
マンガ大賞公式サイトトップページより

いま読まれるべき作品

3月28日、『ダーウィン事変』(うめざわしゅん)が2022年のマンガ大賞(マンガ大賞実行委員会主催)に選ばれた。

『ダーウィン事変』の主人公チャーリーは、生物科学研究所のゲノム編集技術によって生み出された人間とチンパンジーの交雑種(ハイブリッド)。チャーリーは人間の両親のもとで15年間育てられ、高校に入学することになる。時を同じくして、テロ組織「動物解放同盟(ALA)」が活動を活発化させ、チャーリーへと接触を図ろうとするのであった。

チャーリーの行動は“事変”へとつながるのか、それとも新しい時代の「創世記」となるのか。テロ、差別、人権、動物愛護など、現代社会が抱える種々の問題を包括した現代SFヒューマンドラマである。

本作を読んで思い出されるのは、1970年代にアメリカで実験体とされた“ひとり”のチンパンジーだ。

コロンビア大学の心理学教授ハーバート・S・テラスは、人間の言語習得課程を解明するために、チンパンジーを人間社会で育て手話を学ばせる実験を行った。被検体として白羽の矢が立てられたチンパンジーは、高名な言語学者ノーム・チョムスキーにちなんでニム・チムプスキーと名付けられた。ニムはニューヨークの一般家庭に“養子”に出され、人間と同じように育てられ、子供向けテレビ番組「セサミストリート」にも出演して人気者になった。

だが、5歳を迎えた頃に突如として研究は打ち切りとなり、ニムは霊長類センターに送り返されてしまう。それまで人間社会で人間同様に暮らしていたニムは、いきなり「獣」として扱われ檻に収監された。さらにセンターの経営悪化にともない、生体実験動物として売り出されていく。

この顛末を追ったドキュメンタリー映画『プロジェクト・ニム』(2011年/ジェームズ・マーシュ監督)を観ると、ニムの数奇な運命に同情を禁じえず、関係者たちのずさんな対応に怒りを覚えるはずだ。しかし、ニムの“権利”を保証してほしいと願う一方で、その他の実験動物とニムを無意識のうちに区別している心理作用にも気づくだろう。ニムと他の実験動物を隔てるものは、何か。

『ダーウィン事変』の舞台は、アメリカ南部ミズーリ州の田舎町である。ミズーリ州と隣接するケンタッキー州には、ダーウィンの進化論を否定する「天地創造博物館」があるように、アメリカ南部は宗教保守の傾向が強い。

こうした舞台装置もあいまって、自分とは明確に異なる存在を共存可能な他者として受け容れるか、あるいは異物として排除するかの問題が本作のマンガ的イシューとして浮かび上がってくる。

『ダーウィン事変』は、まさしく「いま読まれるべき物語」なのである。

マンガ大賞とはどのような作品が選ばれる賞か

今年で15周年を迎えたマンガ大賞がどのような賞なのか、あらためて確認しておきたい。レギュレーションは以下のとおり。

大賞選考のプロセス

・選考委員はマンガ大賞実行委員会によって選定される(選考委員は未公表)

 ※選考員コメント集に記載あり(※2022年3月30日14:30追記)

・選考対象は前年の1月1日から12月31日に出版された単行本のうち、最大巻数が8巻までの作品(電子書籍含む)

・1次選考で各選考委員が5作品を選出(2022年は233作品が選出)

・1次選考で得票数10位までの作品が2次選考にノミネート

・選考委員が2次選考ノミネート作品からトップ3作品を選出。その結果を集計して大賞が決定する

近年のマンガ賞レースは「青田買い」的な傾向が強いが、マンガ大賞においては、2次ノミネートされた作品が翌年以降にも再ノミネートされるケースが目立つようになってきた。

表1:年度別2次選考ノミネート作品数

独自の調査データを基に筆者作成
独自の調査データを基に筆者作成

上表は、2次ノミネート作品だけを対象にしたデータである。かつては2割に満たなかった再ノミネート作品の比率が、現在は3割に達していることがわかる。今年も『女の園の星』(和山やま)、『チ。―地球の運動について―』(魚豊)、『【推しの子】』(赤坂アカ×横槍メンゴ)の3作品が、前年に引き続き再ノミネートされた。

このことからも、マンガ大賞は「8巻まで」というレギュレーションから「青田買い」的な性向に軸足を置きつつも、もう少し中長期的な視野で“腰を落ち着かせて読める”作品も視野に入れてきたことがうかがえる。

『ダーウィン事変』は2021年の賞選考の時点では1巻しか刊行されていなかったが、1次選考にはノミネートされていた。いわば「2021年時点では期待の新作として注目しつつも、もう少し様子見をし、物語の奥行きが見えてきた2022年時点で大賞に選ばれた」わけだ。

なお、下表は2次選考に再ノミネートされた過去の作品の一覧である。

表2:年度別再ノミネート作品

独自の調査データを基に筆者作成
独自の調査データを基に筆者作成

『3月のライオン』(羽海野チカ)、『海街diary』(吉田秋生)、『乙嫁語り』(森薫)、『ブルーピリオド』(山口つばさ)と、再ノミネート作品が過去に4度も大賞を受賞しており、このあたりが「青田買い」とは異なる顕著な例といえる。

最後に補足として、2次選考にノミネートされた作品の多い作者を探ったのが次の表だ。

表3:ノミネート作品の多い作者

独自の調査データを基に筆者作成
独自の調査データを基に筆者作成

ここ15年の東村アキコの活躍を思い返せば納得の結果だ。「3作品以上が選ばれた作者」は前年まで4人しかいなかったが、今年は藤本タツキ、和山やまがここに加わった点に注目したい。「(中長期的に)作品を追う」ことに加えて「作家を追う」傾向も見て取れる。

これまで「マンガ大賞」には、骨太でウェルメイドな作品が選ばれてきた。『ダーウィン事変』は、そのラインナップに名を連ねるにふさわしいタイトルだ。現在、コミックスは3巻までが刊行されており、今後さらに大きな展開を迎えることが予測される。タイミング的にも、まさしく「いま読まれるべき作品」なのである。

漫画ジャーナリスト

1976年生まれ。フリーライターとして、漫画をはじめとするエンターテインメント系の記事を多数執筆。「このマンガがすごい!」(宝島社)のオトコ編など、漫画家へのインタビューを数多く担当。『「この世界の片隅に」こうの史代 片渕須直 対談集 さらにいくつもの映画のこと』(文藝春秋)執筆・編集。後藤邑子著『私は元気です 病める時も健やかなる時も腐る時もイキる時も泣いた時も病める時も。』(文藝春秋)構成。 シナリオライターとして『RANBU 三国志乱舞』(スクウェア・エニックス)ゲームシナリオおよび登場武将の設定担当。

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