アニメ映画の興収が300億円を超えて史上最高を記録し、コミックスも1億部以上売れている「鬼滅の刃」。人気を分析した記事は多いのですが、僧侶の方々が動画配信やブログで、同作と仏教の関係について深い見識から解説・分析しているのはご存じでしょうか。

 ネットで「鬼滅の刃」と共に「仏教」などで検索すると、本物の僧侶たちが動画やブログで作品を解説しています。ポイントは「鬼滅の刃」について、マンガを読んだ上で、本気で切り込む内容になっているものを見かけることです。

 浄土宗や浄土真宗の方が多いのも特徴です。作中に唱えていたお経が双方の宗派で重視される「仏説阿弥陀経」だからですね。「お経なんてどれも同じ」と思う人もいるでしょうが、宗派によって異なります。例えば、作中に「岩柱」の悲鳴嶼行冥(ひめじま・ぎょうめい)が口にするせりふや服に書かれている文字が「南無阿弥陀仏」ではなく、「南無妙法蓮華経」であれば、宗派的な違いがあるので、精通する方から総ツッコミを受けることになります。仏教に興味のない人には「どっちも同じようなもの」と思えるかもしれませんしれませんが、明確に違うのです。そして多くのプロ(僧侶)が、「鬼滅の刃」に仏教要素があると認めているのもポイントです。

 なお宗教ネタをエンタメに取り込むのは、リスクがあります。もう10年以上前になりますが、アニメ「ジョジョの奇妙な冒険」で、悪役が主人公の殺害を命じる場面で、イスラム教の聖典・コーランを不適切な形で使用して問題になり、いまだに外務省のホームページに報道官談話として記録が残っています。制作側に配慮が足りなかったのも確かですが、異なる宗教や文化への理解が不足していただけでは許されないぐらいシビアな一面もあります。

【参考】日本アニメのイスラムに対する不適切表現について(外務省)

 さて「鬼滅の刃」の仏教視点の考察は、さすがプロだけあって、どれも深いものがあります。後半のキーマンの一人・継国縁壱(つぎくに・よりいち)が「お釈迦様のよう」という指摘、継国の「呼吸法」の教え方が、“生徒”の能力に応じて伝え方を変える「対機説法」という指摘には、同意する人も多いのではないでしょうか。言われてみると、達観といい、「日の呼吸」を生み出すという境地に達したこともそうですよね。

 そういえば「鬼滅の刃」というタイトル自体が仏教の色合いが濃いですね。「鬼」は、仏教の敵役とも言える存在ですし、「滅」も仏教用語なんですよね。「鬼滅の刃」の英語版のタイトルは「Demon Slayer」で、「刃」は省略されているわけです。まさに「鬼滅」の2文字は、エッセンスともいえます。

【参考】仏教における「鬼」に見る日本人の宗教観(NHKテキストビュー)

【参考】実は身近な仏教用語「滅」(日蓮宗)

 ではなぜ僧侶の方たちは、「鬼滅の刃」を分析し、情報発信をするのでしょうか。理由は、布教……今でも仏教の教えを説く活動をしているからです。若い人たちに仏の道を説くとき、「鬼滅の刃」を題材にすれば興味を持ってもらえるからでしょう。まさに相手に応じて伝え方を変える「対機説法」ですね。

【参考】「鬼滅ブーム」ここにも(宮崎日日新聞)

 そして浄土宗と浄土真宗にとって「仏説阿弥陀経」は大切なお経ですから、アピールには絶好の機会です。「岩柱の人が唱えているお経はね、本当にあるんだよ」と、「鬼滅の刃」が好きな子たちに語り掛けたら、耳を傾けてしまいますよね。

 ただし当然ですが、「鬼滅の刃」は、何もかもが仏教の視点というわけではありません。例えば、鬼殺隊を束ねる産屋敷耀哉のせりふ「黄泉の国へ行くだろうから」(66話)という表現がありますが、「黄泉の国」は神道の概念です。その指摘もありましたが、本当によく見ていますよね。

【参考】黄泉の国(神社本庁)

 確かに阿弥陀経を唱える悲鳴嶼や不死川玄弥が「黄泉の国」というと「あれ?」となりますが、耀哉が言う分には問題ないでしょうし、神仏習合の流れもあるのも確かです。ただ「鬼滅の刃」の作品全体に仏教色の濃さがあるのは確かなので、仏教に詳しいプロであれば「全体的に仏教の教えに沿ってほしい」と思うのは自然なのかもしれません。それだけ魅力的な作品と言うことなのでしょうが。

 ともあれ、仏教視点の「鬼滅の刃」考察というのは、深いものがあります。「鬼滅の刃」のワードと共に「仏教」や「浄土真宗」と検索して、僧侶の方々たちの鋭い考察を楽しんでみてはいかがでしょうか。「鬼滅の刃」の意外な一面が見えてくると思います。