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バイデン大統領のサウジの〝ムハンマド皇太子外し〟はどこまで進むのか?

川上泰徳中東ジャーナリスト
サウジアラビアの実質的支配者のムハンマド・ビン・サルマン皇太子(提供:Saudi Press Agency/ロイター/アフロ)

 米国のバイデン大統領は25日(日本時間26日未明)、就任後初めてサウジアラビアのサルマン国王と電話会談した。会談では「両国の長年のパートナーシップを強調した」とホワイトハウスは発表したが、「人権の重要性」を強調しており、今後、バイデン政権がジャーナリスト殺害事件に関与したとされるサウジの実質的支配者のムハンマド・ビン・サルマン皇太子にどのように対応するのかが大きな焦点となる。

 米国の新大統領が中東で米国の中東政策の要となるサウジ国王に初めて電話したのは、大統領就任から一か月以上たってからということ自体が異例である。2008年に就任したオバマ大統領は就任の3日後に同時のアブドラ国王と電話会談し、2017年に就任したトランプ大統領も就任後の一週間後には電話している。バイデン大統領が国内でコロナ対応で追われているとしても、バイデン大統領は菅首相とは就任から一週間後、中国の習近平国家主席とさえ、2月11日に電話会談しているのに、サウジがその後になった。この遅れは、バイデン大統領がサウジと関係を単純に友好関係の確認ではすまず、両国関係自体を問題視していることを示している。

■「サウジ関係の再調整」と報道官

 今回の電話会談に先立って、2月16日にはホワイトハウスのサキ報道官が「サウジとの関係について再調整する」と述べ、「我々はサウジが地域で自衛しなければならないことについて引き続き協力するが、同意できないことや懸念を抱いていることについては明確にする。その点では明らかに前(トランプ)政権のアプローチとは異なる」と明言した。

 その後、米国の主要メディアは、2018年にサウジのジャーナリスト、ジャマール・カショギ氏がイスタンブールのサウジ領事館で殺害されたとされる事件についての米中央情報局(CIA)の報告書が近く開示されると報じてきた。報告書ではサウジの実質的な支配者である35歳のムハンマド皇太子の事件への関与が示されているとされる。

 先のサキ報道官の会見では、「大統領がムハンマド皇太子と話をするかという質問について言えば、大統領が話す相手はサルマン国王である」と語った。これも、トランプ大統領や中東和平を担当したクシュナー上級顧問が中東和平やイラン問題でもっぱらムハンマド皇太子と協議してきたことからの変更を意味する。

■イエメン内戦の終結への外交努力

 バイデン大統領がサルマン国王と電話会談した後のホワイトハウスの短い声明では、まず、二人は「イエメン内戦を終結させるための米国の外交努力や、イランに協力する組織からのサウジへの攻撃に対する米国の支援などについて協議した」と、イエメン内戦を最初に挙げた。

 イエメン内戦へのサウジの軍事介入は、2015年1月にサルマン国王が即位し、実子のムハンマド王子を国防相に抜擢した後、同3月からイエメン内戦に軍事介入し、アラブ首長国連邦(UAE)軍とともにシーア派武装勢力のフーシ派への空爆を始めた。2国の空爆によって2020年までに8000人の民間人が巻き添えになって死んだ、というNGOの報告もあり、戦争犯罪の疑いがあるとして国際的に批判されてきた。

 両国とも米国の戦闘機や武器を使ったもので、米国の上院、下院とも2019年に両国への武器売却を停止する決議を採択したが、トランプ大統領が拒否し、大統領の判断で武器売却が続いてきた。

■人権問題の重要性と女性活動家の釈放

 バイデン大統領がサルマン国王との電話会談の声明で、イエメン内戦の終結を強調したことは、ムハンマド皇太子の軍事強硬路線への転換を求めたものである。さらに声明の2点目では、最近のサウジでの活動家の釈放を前向きの動きととらえ、特に女性活動家のルジャイン・ハズルールさんの名前を出して、彼女の釈放に触れ、「米国は普遍的な人権と法の支配に重要性を置いている」と確認した。

 ハズルールさんは女性の自動車の運転をSNSに挙げるなどしてきた女性活動家で2018年3月以来、拘束されていたが、今年2月11日に釈放された。明らかにバイデン政権による人権重視の姿勢を受けての釈放と考えるしかないが、今回の米国のメッセージは、サウジで人権・言論弾圧を強めているムハンマド皇太子に向けられていると読むことができる。

■二国関係の「透明性」を強調

 サウジでの女性の自動車運転は、2018年6月にムハンマド皇太子が主導して解禁された。他にも女性のスポーツ観戦の解禁や映画上映の解禁など、皇太子がサウジの自由化政策を進めているとされたが、その背後で、ハズルールさんら多くの人権活動家やジャーナリストが拘束されており、実権を握るムハンマド皇太子が秘密警察を動かして、人権・言論弾圧政策をとっているとされている。その人権問題の中核に、2018年10月のカショギ氏の殺害事件がある。

 ホワイトハウスの声明は、「バイデン大統領はサルマン国王に両国の二国関係についてできる限り強く、さらに透明性を持って行っていきたいと語った」としている。ここで「透明性」を強調したことは、近く、事件でのムハンマド皇太子の関与を明らかにするためにCIAの報告書を開示するという今後の動きを念頭に置いたものと解釈でき、米国がサウジの人権問題とムハンマド皇太子の責任追及を今後、本格化させることを暗示している。

■「CIAは皇太子の関与を結論」と米メディア

 CIA報告書がどのような内容になるかによるが、CIAはトルコの捜査当局からかなり詳しい情報を得ているとされてきた。事件当時のトルコの新聞によると、カショギ氏はサウジ領事館に入るときに米アップルの腕時計型端末「アップルウオッチ」を身に着け、領事館の中での音を自動録音して、インターネット通信で外に送る設定にしていたと報じ、領事館で殺害された時の音声を、トルコ当局が入手していると伝えた。その関連で、領事館の中では音楽をかけながら、カショギ氏の身体の切断が行われたという報道もあった。

 トルコでは政府筋の情報としてカショギ氏殺害にかかわったと見られるサウジの暗殺チーム15人の名前や写真がメディアに流れ、その中にはムハンマド皇太子が欧米にいくたびに同行する警備担当者の写真もあった。

 当時、ワシントンポストなど主要米国メディアが「CIAは殺害はムハンマド皇太子の指令と結論付けた」と報じたが、報告書は開示されなかった。米議会からは皇太子の責任を問う声や、サウジへの軍事支援の停止など制裁を求める意見が出たが、トランプ大統領は「彼はサウジの指導者であり、サウジは我々にとってよい同盟者だ」と、支援する姿勢を変えなかった。

■〝ムハンマド皇太子外し〟どこまで?

 CIAの報告書では米国メディアには「ムハンマド皇太子が殺害を認めた」となると報道しているが、バイデン大統領が秘密文書になっていた報告書の開示の方針を決めたのは、ムハンマド皇太子に対する厳しい措置を取ることに米国内の世論を得るためとみられる。しかし、米国はどのような措置をとることができるだろうか。すでにホワイトハウス報道官が大統領がムハンマド皇太子とは話さないことを明言したような〝ムハンマド皇太子外し〟とも思える動きが、今後どのように進んで行くかである。

 サウジ国内ではムハンマド皇太子は85歳と高齢のサルマン国王に代わって実質的な支配者であり、それも極めて強権的な支配者となっている。カショギ事件の前には、病身のサルマン国に代わってムハンマド皇太子が近く即位するという観測が流れていた。今後、バイデン政権が進める「サウジ関係の再調整」は、単にムハンマド皇太子に反省を求め、イエメン内戦の終結と人権状況の改善で終わりになるのか、それとも、ムハンマド皇太子の王位継承問題にも影響を与えるような〝皇太子外し〟になるのかである。

■皇太子とイスラエル首相の関係

 ただし、中東での政治や安全保障に大きな影響を持つサウジの王位継承問題は、米国とサウジの関係だけでは終わらない。2018年11月にカショギ氏殺害事件についてムハンマド皇太子の関与が問題となったころ、イスラエル有力紙ハアレツの外交問題専門の記者は「ネタニヤフ首相はカショギ事件について『事件は恐るべきだが、サウジアラビアはより重要だ』という立場をとるようにトランプ大統領に働きかけた。ムハンマド皇太子はネタニヤフ首相に大きな恩義を受けている」と書いていた。

 バイデン大統領から排除されるような動きに対して、ムハンマド皇太子が頼ることができるのはやはりネタニヤフ首相との関係であろう。ネタニヤフ首相は2020年11月下旬、ムハンマド皇太子が進めるサウジの紅海岸のリゾート都市ネオムに自家用小型ジェット機で飛んで、皇太子と会談した。対イラン問題での協調が話し合われたという報道が出たが、共にトランプ前大統領と歩調を合わせてきた指導者であり、当然、バイデン大統領の就任後の対応は重要なテーマだっただろう。

 バイデン政権が〝ムハンマド皇太子外し〟に動けば、ネタニヤフ首相が皇太子を支援して、バイデン政権に働きかけることになろう。さらに、重要なのは、米国政治や民主党にも大きな影響力を持つユダヤロビーの動きである。ムハンマド皇太子はカショギ殺害事件の前の2018年3月から4月にかけて訪米し、ニューヨークでユダヤ人組織の指導者たちと会談した。イスラエル・タイムズによると、会談の中で皇太子は「パレスチナ人は(米国の)和平提案を受け入れて、交渉のテーブルに着く時がきている。さもなければ、不満をいうのはやめるべきだ」と語ったという。

■訪米で皇太子発言に「ユダヤ人の権利認めた」

 皇太子は米国訪問時に米国のアトランティック誌のインタビューの中で、「イスラエル人にも自分の土地を所有する権利がある」と語っている。「ユダヤ人は祖先が住んでいた土地に民族国家を持つ権利があると思うか」という質問に対して、皇太子は「私はどんな場所でも、どんな民族も、それぞれ自分たちの平和な国の中で生きる権利があると思う。パレスチナ人もイスラエル人もそれぞれの土地を所有する権利がある。しかし、我々はすべての人々の安定を保証し、正常な関係を持つために和平合意を必要とする」と語った。

 このインタビューはイスラエルではサウジの皇太子がユダヤ人の権利を認めたとして大きな注目を浴びた。当時、イスラエル・タイムズは「サウジの皇太子はイスラエルの生存権を認めた」というタイトルで皇太子の発言を引用した。それまでのアラブの指導者たちは「ユダヤ人は敵ではなく、敵はイスラエルだ」という理屈だったが、ムハンマド皇太子のように「イスラエル人の権利」を公然と認めたのは異例だった。

 当然、バイデン大統領は〝ムハンマド皇太子外し〟に反対するネタニヤフ首相や米ユダヤロビーの動きも計算に入れているだろう。そのような圧力を考えたうえで、CIA報告書の開示という一手があると考えるべきである。その場合、報告書の内容がどれほど具体的に皇太子の関与を示しているかにかかる。バイデン大統領が唱える「人権重視」からかけ離れたもので、米国世論にも反発が起こるような内容であれば、大統領自ら将来の妥協の道を断つことになり、ムハンマド皇太子は厳しい状況に置かれることになるだろう。

中東ジャーナリスト

元朝日新聞記者。カイロ、エルサレム、バグダッドなどに駐在し、パレスチナ紛争、イラク戦争、「アラブの春」などを現地取材。中東報道で2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。2015年からフリーランス。フリーになってベイルートのパレスチナ難民キャンプに通って取材したパレスチナ人のヒューマンストーリーを「シャティーラの記憶 パレスチナ難民キャンプの70年」(岩波書店)として刊行。他に「中東の現場を歩く」(合同出版)、「『イスラム国』はテロの元凶ではない」(集英社新書)、「戦争・革命・テロの連鎖 中東危機を読む」(彩流社)など。◇連絡先:kawakami.yasunori2016@gmail.com

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