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レバノンのデモ 現地報告:中東で始まった政治エリートに対する民衆の反乱

川上泰徳中東ジャーナリスト
ベイルート中心部の政府庁舎前の広場に集まり国旗を振るデモ参加者たち(写真:ロイター/アフロ)

 レバノンで政府の辞任を求める大規模な抗議デモが続いている。私は偶然、ベイルートに取材に来ていて、デモに遭遇した。官公庁が休む週末の19日と20日は、ベイルート中心部の政府庁舎前の広場を市民が埋め、21日も続いた。大半は若者たちだが、子供を連れた家族ずれもいて、女性たちの姿も多い。キリスト教徒が住む東ベイルート側からランニング姿の女性たちがレバノン杉を中央に配した国旗を手に坂を下ってくる。イスラム教徒が多い西ベイルート側からは長袖の上衣にベールで頭を覆った女性たちが連れ立って広場に合流する。

宗教・宗派を超えた民衆の動き

 1970年代、80年代にキリスト教とイスラム教が争った悲惨な内戦を経験し、いまだに宗教が政治と深く結びつき、分断を抱えるレバノンで、今回のデモは、民衆が宗教を超えてデモに繰り出している。政府の腐敗や経済政策の失敗を非難し、政府の退陣と選挙の実施を求める。民衆は宗教・宗派ごとに組織された政治組織に動員されるのではなく、宗派主義で政治を支配してきた政治エリートに対する「民衆の反乱」である。中東では今年になって、アルジェリア、エジプト、イラクなどでも似たような民衆のデモが起きている。

 ベイルート中心部の庁舎前の広場では、治安部隊の列の前で人々が集まり、こぶしを振り上げて「サウラ(革命)、サウラ」の大合唱が起こる。「民衆は政府の退陣を求める」「盗人は去れ」という声も。若者たちが掲げる手書きのプラカードには「怒りのインティファーダ(蜂起)」や「レバノンは一つ。宗派主義にノー」などの標語もある。

発端はインターネット通信ソフトへの課税

 レバノンでのデモの発端は、16日に政府が議会に提出する2020年度予算をまとめたとして概要が発表されたことだ。レバノンのメディアの報道によると、日本の消費税にあたる付加価値税(VAT)が現在の11%から数年後には15%まで引き上げる方針が示され、さらにガソリンやたばこに対する増税、さらに「ワッツアップ」と呼ばれるスマートフォンを使った無料の通信・会話ソフトの利用に毎月課税する新しい税金が導入されることも明らかになった。

 ニュースを受けて、17日夜から全国的に若者たちの抗議が始まり、18日には道路にドラム缶やゴミ収集ボックスなどで置かれ、タイヤが燃やされるなど、いたるところで交通が封鎖された。ベイルートの南郊にある国際空港への道も一時閉ざされた。各地で若者たちと治安部隊の衝突も起き、巻き添えで2人の死者が出た。

「未来はない」と若者たち

 中心部の広場に来ていた26歳のハーリドさんは、大学で銀行業務を専攻し、2年前に卒業したが、衣料品店の店員として働き、700ドルの月給という。「銀行員の職を探したが、政府や有力者とのコネがなければ無理だ。私にはコネはないし、政治に参加する政治組織にも加わっていない。物価は毎年上がり、いまの給料では結婚もできない」と語った。

 17日から広場に来ているという20歳の若者は大学を中退して、サッカーのクラブチームの選手をしているが、毎月もらえるのは300ドルだけ。「ほとんど失業状態だ。就職先は探したが働き口はない。私の周りに若者の失業は蔓延している。このままでは私たちの未来はない。その上、ワッツアップにまで金とるのは許せない」と憤りを語った。

 デモの広場まで乗った50代のタクシーの運転手は元電気技師で、10年前まで自営業を電気工事の会社を持ち6人の社員を雇っていたという。「経済が悪化し、会社を閉じて、家族を養うために運転手をしている。以前は私も中流の暮らしをしていたが、いま中流はいなくなった。残ったのは金持ちと貧乏人だけだ」とぼやいた。

民衆に包囲された「政治エリート」たち

 強権体制が一般的なアラブ世界で、唯一、報道の自由が認められるレバノンで、主要紙アンナハールに「あらゆる予想を超えた『民衆の反乱』に、どのような解決策があるのか?」という題で次のような書き出しの論評が出た。

 「すべてのエコノミストや経済専門家が警告していた広範な『民衆の反乱』が起きてしまった。様々な警告や訴えがあったにも関わらず、『政治的エリート』はそれを無視し、何十年にもわたったやり方を繰り返してきた。いま、彼ら政治エリートたちは信条や政治基盤が違っても、民衆に包囲されて窒息しそうになっている。しかし、彼らはこれまで通りのやり方で、できるだけ問題を大きくしないようにしようとして、危機を引き延ばしているのである」

ベイルート中心部にある政府庁舎の前の広場に集まった市民のデモ=19日、川上泰徳撮影
ベイルート中心部にある政府庁舎の前の広場に集まった市民のデモ=19日、川上泰徳撮影

18の宗教・宗派で議会を構成

 この論評やデモに集まっている若者たちの言葉を合わせると、1990年に内戦が終結し、92年から続いてきた宗派主義の政治に対する市民の不満が噴出したものと言わざると得ない。宗派主義とは18ある宗教・宗派ごとに議会の定数を決めて選挙を行い、宗教・宗派のバランスに基づく政治である。大統領はキリスト教徒、首相はイスラム教スンニ派、国会議長はイスラム教シーア派から選出するのが慣例となっている。宗教・宗派ごとに有力家族や、内戦時代に生まれた政治組織が、パワーシェアリング(権力分有)で政治的に共存する仕組みである。

 レバノンは内戦終結後、宗派主義とシリア軍の駐留という重しによって平和を維持した。シリア軍は2005年に起きたスンニ派勢力を率いるラフィク・ハリリ元首相を暗殺した爆弾テロに関与したとして、民衆の大規模なデモを受けて撤退した。しかし、シリア軍撤退後も、レバノンではハリリ氏の息子のサアド・ハリリ氏(現首相)が率いる親米反シリアの「3月14日勢力」と、シーア派組織ヒズボラを軸とする反米親シリアの「3月8日勢力」の政治的な対立が続いてきた。

政治的対立で12年間、予算なし

 政治対立によって2005年から12年間、国家予算が議会で承認されず、政府機能はマヒ状態となった。電源開発や水道整備などの社会基盤の整備は進まず、停電の日常化や水道水の水質の悪化で、生活の質が低下した。人々は売電業者から電気を買い、飲料水を購入するために家計が圧迫され、産業の停滞にもつながった。

 さらに2011年にシリア内戦が始まり、内戦前に500万人だったレバノンの人口に150万人のシリア難民が流入した。レバノンの労働者の仕事が難民に奪われ、経済状況はさらに悪化した。それでも民衆の怒りが噴出しなかったのは、シリア内戦や「イスラム国」(IS)の脅威がレバノンに波及するのを抑えるためには、既存の政治勢力と政治リーダーの力に頼らざるを得なかったためである。いま、シリア内戦が終焉に近づき、ISが没落したことで、外からの政治的緊張が緩和されたことも、国民の目が自分たちの政治の在り方に向かう要因になっている。

人口の3割が貧困層

 レバノンの実情は悲惨である。アンナハールの2018年9月の記事によると、レバノンの人口の30%にあたる150万人が一日4ドル(430円)で生活する貧困層で、うち30万人は1日2ドル半で生活する極貧層と報じた。

 一方、2017年に国連開発計画(UNDP)が委託したレバノンの民間労働者の所得格差についての報告書によると、レバノンの労働者の上位2%の所得の合計が、全労働者の全所得の17%を占め、逆に下位60%の所得の合計は全所得の22%に過ぎないという。所得の不平等を示す国際ランキングではレバノンは141カ国中129位で、深刻な不平等状態にある。

 レバノンの富裕層は金融や観光、通信、娯楽産業などでアラブの産油国を顧客として幅広いビジネスを展開しており、ベイルートには、欧州の高級ブランド品だけを並べた商業ビルがあり、欧州の最高級のスポーツ車をよくみかける。所得の格差は目に見える形で存在する。

成人の8割弱が1万ドル以下の資産

 スイス金融大手のクレディ・スイスが世界各国の富裕度を調査分析した「世界の富」報告書2018年版の中で、レバノンには416万人の成人がいて、資産が1万ドル(110万円)以下は77%▽1万ドルから10万ドル(1100万円)は19%、▽10万ドルから100万ドル(1億1000万円)は3・5%▽100万ドル以上が0・3%――とあった。 

 首相のハリリ氏とその兄弟が、サウジアラビアで建設業を起こし、財をなした大富豪だった亡父の膨大な資産とビジネスを受け継いでいることが象徴するように、100万ドル以上の資産を持つ少数者が、政治や経済、社会で指導的な役割を担っているのがレバノンの特徴である。

 一方でレバノンは政府債務残高が860億ドル(9兆5000億円)で、対GDP比は151%と世界6位の高さである。2018年の経常赤字は対GDP比11.2%だった。政府は19年には9%を切ることを目指し、生産活動が停滞する中、新たな財源の確保のために増税、新税を見込み、これまで無料だった「ワッツアップ」への課税も含まれていた。

首相は懐柔案を発表、国民の動きは?

 ハリリ首相は21日にテレビを通して演説し、「ワッツアップ」税など新税や増税を断念することや、閣僚の給与を半分にするなどの対応策を発表した。デモでは「ワッツアップ税金への反発はきっかけに過ぎない」として「内閣退陣」を求める声は強いことから、ハリリ首相の演説でデモが収まるかどうかは予断を許さない。

 今回のデモが、これまでレバノンの政治の基盤をつくっていた宗教・宗派主義を超えて、国民の批判が「政治エリート」に向けらえているのは新しい動きだ。2011年にアラブ世界で広がった民主化運動「アラブの春」でも、レバノンでは国民は分断され、民主化を求めて一つになることはなかった。今回初めて宗教・宗派を超えて、政治を国民に取り戻そうとする動きである。

アルジェリアでも政府批判の市民デモ

 レバノン・デモが今後、どのように動くかは注視するしかないが、このような市民の自発的な政治デモはレバノンだけではなく、アルジェリアでも今年2月以降、起こっている。1999年以来20年間大統領職にあったブーテフリカ氏が第5期を混ざすと発表したのに市民のデモが始まり、同4月にブーテフリカ氏が辞任した。デモはそれでも収まらず、12月に予定されている大統領選挙に向けて、軍主導政治に反対し、軍参謀長ら軍幹部の辞任を求める市民デモが続いている。

 アルジェリアでは1992年にイスラム勢力が勝利した選挙を軍が介入して無効にして以来、90年代はイスラム過激派と軍・治安部隊の間で、10万人ともいわれる死者を出す内戦状態が続いた。ブーテフリカ氏は1962年にアルジェリアがフランスから独立した時の解放闘争の英雄で、99年に軍に担がれて大統領に就任した。アルジェリアで権力を握っているのはイスラム過激派との゛テロとの戦い゛を進めてきた軍であり、これまで軍への批判はタブーだった。アルジェリアでの市民の軍批判のデモは、政治を軍エリートから民衆に取り戻そうとぅる動きである。

エジプトで軍クーデター以来初めてのデモ

 エジプトでも今年9月に軍主導の政治を批判する若者たちのデモが各地で起こった。2011年の「アラブの春」で独裁政権が倒れ、選挙でイスラム組織「ムスリム同胞団」系の大統領が選出された。しかし、2013年に軍によるクーデターで民選大統領は排除された。クーデターを主導したシーシ国防相が現在の大統領となった。9月のデモはクーデター以来初めて、若者たちがカイロ中心部のタハリール広場に繰り出したものだ。

 デモの契機となったのは、7月末に発表された政府の統計でエジプトの貧困率が2017-18年で32.5%になったと発表したことだ。2015年の27.8%から4.7ポイント上昇し、国民の3人に1人が貧困という事実が明らかになった。ちなみにエジプトの貧困ラインは「1日1.3ドル」以下の収入と定義され、国際的な標準よりもかなり低い。

財政健全化で国民生活圧迫

 シーシ政権になって貧困が拡大した要因として指摘されているのは、2016年に国際通貨基金(IMF)から3年間で総額120億ドルの融資を受ける条件として財政健全化政策を実施し、さまざまな政府補助金を廃止・削減したことだ。それによってガソリン代、電気代、水道代、公共交通機関の料金などが軒並み上がり、食料品の価格も上昇して、人々の生活を圧迫した。

 一方で、軍幹部や軍関係者が強権で政治と経済を支配し、政府のプロジェクトを主導する構造が生まれた。しかし、軍主導の政治の下で、国民の貧困が拡大したことが明らかになり、9月に軍の請負業者をしていたという人物が「軍の腐敗と無駄の蔓延」をインターネットで告発したことがデモの引き金となった。

イラクで100人以上の死者

 さらにイラクでも10月4日から5日間にわたる若者たちの反政府デモが起こり、バグダッドや南部の都市で計110人が死亡し、6000人が負傷した。若者たちの多くは政権を主導するシーア派である。政府は2017年7月にイラク北部のモスルを過激派組織「イスラム国」(IS)から奪還し、ISとの゛対テロ戦争゛に勝利した。

 イラクで対テロ戦争が一段落したところで、若者たちの政府批判のデモが噴き出したのは、レバノンのデモと同様である。人々の間に自らの政治の現実に目を向ける動きが出てきたといえよう。イラクの政治はシーア派政党・組織によって支配され、石油収入が歳入の約9割を占めるなかで、シーア派の各政治勢力は政府の職やサービスを傘下の政治組織や率いる民兵組織の参加者に配ることで、影響力を維持する構図になっている。

社会基盤は整わず、腐敗が蔓延

 2003年のイラク戦争から13年が経過しても、停電が日常化している状況は改善されず、豊富な石油収入がありながら、資金は効果的に社会基盤整備に向かわず、腐敗が蔓延した。シーア派の若者でも政治組織に参加しなければ、政府の職を得ることはできず、政府の職や学校教諭などの公職を得ようとすれば多額の口利き料を要求される例もある。

 イラクでもシーア派、スンニ派、クルド人と民族・宗派による宗派主義によって国民は分断され、「アラブの春」に呼応する動きがほとんどなかったことは、レバノンやアルジェリアと共通する。今回、レバノンの動きがアラブ世界で注目されるのは、レバノンには政府を批判するアラビア語メディアが機能し、民衆の声が発信されるためだ。自国の反政府デモは報じなかったエジプトのメディアが連日、写真入りでレバノンの民衆デモを報じている。

 「政治は国民のためになっているのか」というレバノンの民衆デモの問いかけは、今後、エジプトだけでなく、アラブ世界全体に広がる可能性をはらんでいる。

中東ジャーナリスト

元朝日新聞記者。カイロ、エルサレム、バグダッドなどに駐在し、パレスチナ紛争、イラク戦争、「アラブの春」などを現地取材。中東報道で2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。2015年からフリーランス。フリーになってベイルートのパレスチナ難民キャンプに通って取材したパレスチナ人のヒューマンストーリーを「シャティーラの記憶 パレスチナ難民キャンプの70年」(岩波書店)として刊行。他に「中東の現場を歩く」(合同出版)、「『イスラム国』はテロの元凶ではない」(集英社新書)、「戦争・革命・テロの連鎖 中東危機を読む」(彩流社)など。◇連絡先:kawakami.yasunori2016@gmail.com

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