カンヌ受賞作日本公開 レバノン映画『存在のない子供たち』 女性監督インタビュー 社会の底辺の人々描く

『存在のない子供たち』のナディーン・ラバキー監督

 ストリートチルドレン、外国人労働者、難民など社会の底辺に生きる人々を描き、2018年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞したレバノン映画『存在のない子供たち』が20日から公開される。日本公開を前に来日したナディーン・ラバキー監督にインタビューした。レバノンを代表する女優でもあるラバキー監督は「社会の現実に目を向けさせることで、社会の変革に向けた議論を呼び起こしたいと思った」と語った。

 ラバキー監督はベイルートのヘア・エステサロンを舞台に女性たちの恋愛や結婚をめぐる葛藤をコミカルに描いた長編映画『キャラメル』(2007年)で監督、脚本、主演を務め、カンヌ映画祭で上映されて注目された。さらに2作目の『私たちはどこに行くの?』(2011年)はレバノンのキリスト教・イスラム教徒の対立をコメディアタッチで取り上げ、カンヌ映画祭の「ある視点」部門で上映された。『存在のない子供たち』のカンヌ受賞で、いまやアラブ世界を代表する映画監督の一人とみなされている。

主人公の12歳の少年ゼイン
主人公の12歳の少年ゼイン

 『存在しない子供たち』の主人公はベイルートの貧困街に住む12歳の少年ゼインで、雑貨店で荷物運びをして働いている。ゼインは両親が雑貨店主の求めに応じて、11歳の妹を無理やり結婚させたことに激怒して、家を出る。町をうろつくうちにレストランで不法滞在エチオピア人女性ラヒルと出会う。ラヒルは赤ん坊と暮らしており、ゼインに赤ん坊を任せて、仕事に出る。ところがラヒルは不法就労で警察に拘束されてしまう。

 ゼインは赤ん坊の世話をしながら、ラヒルを探すうちに、欧州への密航ビザを手配している業者を知り、自分も密航することを決意する。両親のもとに戻り、身分証を求めるが、父親から証明書は何もない、と知らされる。さらに雑貨店主と結婚した妹は妊娠して多量出血して死んだことを知り、店主をナイフで刺す。ゼインは逮捕され、少年刑務所に送れた後、刑務所から無責任な両親を「僕を生んだ罪」で告訴し、裁判が始まる。ラバキー監督はゼインの弁護士役として登場する。

ゼインが世話をするエチオピア人女性の子供
ゼインが世話をするエチオピア人女性の子供

 映画ではゼインを通して、子供の出生届も出せず、教育を受けさせることもできない貧困家庭の生活や、隣国のシリアの内戦から逃れてきたシリア人のストリートチルドレンたち、不法滞在で働いている外国人労働者など、社会の隅に追いやられている「存在のない」人々の実態をドキュメンタリーのようなリアルさで描く。

 ラバキー監督が自ら中心的な役割を演じた前二作は、美しい映像と都会的でコミカルでウイットに富んだストーリーなど洗練された作風だったが、『存在のない子供たち』は重い社会問題に正面から取り組み、骨太な作品に仕上がっている。映画作りの背景について、監督は次のように語った。

 「私はこの映画に取り掛かる前に3年間、レバノン国内で調査をしました。社会の周縁に追いやられている人々がいる貧困地域や難民のテント、少年刑務所や青少年関連の施設などを訪ねて、多くの子供たちの話を聞きました。現実に起こっていることを元に映画の脚本を書きました

 配役のほとんどが、俳優経験のない素人だということが、この映画の大きな特徴だ。主人公のゼインは、本名もゼインだが、シリア内戦が激しかった南部ダルア県の出身で、内戦激化によって家族とともにレバノンに逃れて難民生活をし、実際にスーパーマーケットの配達をして家計を助けていた。ゼインの母親スアード役のカウサル・アルハッダードは、レバノンでは就業などが規制されている「第2級市民」として扱われ、彼女の2人の子供は実際に出生届を出していない。

 ラバキー監督は社会の底辺に生きる人々を起用して撮影したことについて語った。

 「彼らはプロの俳優ではないので、シナリオを暗記して、演じることはしません。私も彼らに演技をすることは求めませんでした。私は出演者に自由を与え、彼らが生活している経験と個性のまま映画に参加し、自分が思った言葉や行動を表現するように求めました。映画で、私は彼らに出来上がった役を与えたのではなく、彼らが経験と個性を表現する場所を与えたのです。この映画は私と出演者の共同作業で産物です」

 「ゼインの母親役のカウサルは映画の中で弁護士役の私を見て、『あなたは私がどんな生活をしているか知らない。食べ物がないから子供たちに水と砂糖だけを与えるということがどういうことだか分からないでしょう』と訴えました。その言葉は脚本通りではなく、彼女が自身の悲惨な生活について語っているのです。演技と現実は紙一重です」

 エチオピア人女性ラヒルは、映画では赤ちゃんを抱えて、ベイルートのレストランで不法滞在のまま働いている。ラヒル役の女性ヨルダノス・シフェラウはエチオピアの隣国のエリトリアの出身で、エチオピアの難民キャンプで育ち、子どものころに両親を失って、教育も受けず、ホームレスの生活をした経験を持つ。ベイルートには先に来ていた姉妹の後を追ってレバノン人の家で住み込みのお手伝いとして働くために来たが、その後、雇い主の元から逃げて、労働許可もなく働いていたという。

 ラバキー監督はヨルダノスについて語った。

 「撮影を始めて、ヨルダノスに会った時、彼女はすでに不法滞在で、彼女の苦難に満ちた人生について話を聞いて、この映画になくてはならない人物だと思いました。映画の中で彼女が不法滞在で捕まる場面をとり終わってしばらくして、実際に彼女は不法滞在で警察に捕まってしまいました。私たちは保証人となってヨルダノスを刑務所から出すために手をつくし、奔走しました。映画の世界と現実の世界が交錯しているのです」

 主人公のゼインは12歳でありながら、荒々しさ、もの悲しさ、優しさ、繊細さなど複雑な表情を見せ、その存在感が映画に深みのあるリアリティーを与えている。

 ラバキー監督はゼインについてこう語る。

 「映画の中のゼインは、現実のゼインの個性のままです。彼が事務所に連れてこられて、私は彼がどんな生活をし、どんな経験をしてきたか話を聞きながら、彼の賢さや個性の強さを感じて、この子は路上生活で終わる子どもではないと直感的に感じました。彼は学校に行っていないので、アラビア語で3文字のゼインという自分の名前を書くことができませんでした。しかし、非常にたくさんのことを見聞きしていて、路上を学校としていました。映画の中では彼は即興で自分の思いを台詞に加え、彼自身として存在感を示してくれました」

ゼイン(右端)と姉妹たち
ゼイン(右端)と姉妹たち

 ラバキー監督の話を聞くと、この映画がドキュメンタリーではないのに、まるで現実を映画化したようなリアリテイィを持っている理由が、実際に社会問題を生きている人々を映画に引き込むという手法からきていることが分かる。しかし、出演者との信頼関係をつくり、粘り強く撮影を続けなければならず、とてつもなく時間と労力のかかる作業となる。

 ラバキー監督の夫で、この映画のプロデューサーで音楽も担当したハーレド・ムザンナル氏は、東京で試写会の後に行われたトークイベントで次のように語った。

 「私がプロデューサーになったのは、計画の段階から、誰もプロデュースを引き受けないだろうと分かっていたからです。ストリートの子供たちを起用して、彼らの現実を取ろうとすれば、撮影時間はとてつもなく長くなります。実際に撮影に6カ月かかり、編集には2年間かかりました。そんな作業ですから、自分たちでするしかなかったのです」

来日したラバキー監督(右)と夫でプロデューサーのハーレド・ムザンナル氏=東京都港区のユニセフハウスでのトーク・イベントで 
来日したラバキー監督(右)と夫でプロデューサーのハーレド・ムザンナル氏=東京都港区のユニセフハウスでのトーク・イベントで 

 映画を見て、意外だったのはラバキー監督の登場場面が非常に少なかったことである。前二作で主役を演じていたことを考えれば、監督が演じる、親を訴えた少年を弁護する女性弁護士が、映画を支える役となってもおかしくない設定だが、実際には弁護士は法廷で二言三言しゃべるだけだ。

 ラバキー監督は、その理由について次のように語った。

 「最初の編集で12時間にまとめた時は、私が演じる弁護士はもっと重要な役を担っていました。ゼインの弁護をするようになった経緯や、彼女の生活についてももっと描かれていました。しかし、2時間の映画にするまでに、すべてカットしました。なぜなら、他の登場人物がすべて現実のままでいるのに、私だけが役を演じていたからです。私は現実には弁護士ではないのです。私は自分だけが映画の中での“うそ”だと思って、すべてカットすることを決めたのです」

両親を告訴したゼインを弁護する弁護士役のラバキー監督
両親を告訴したゼインを弁護する弁護士役のラバキー監督

 監督自ら自身の出番をカットするという決断からも、映画を製作する過程で、問題と向き合い、登場人物と出会い、撮影の手法を探り、テーマを深めていったプロセスがうかがえる。

 ベイルートでは街角で母子が路上生活をし、ストリートチルドレンがティッシュペーパーの箱を売る脇を、高級外車が通り過ぎるというような極端な格差がある。2011年に隣国シリアで内戦が始まり、もともと人口300万人だった国に、150万人の難民が流れ込んできた。難民だけでなく、カウサルのように子供の出生届さえ出せない貧しいレバノン人がいる。富裕層のお手伝いとして、アジアやアフリカから不法労働で入ってくる外国人も多い。レバノンを舞台としながらも、地球規模の格差や難民・移民という世界の問題が集約された現実でもある。

 ラバキー監督は成功した女優・映画監督として富裕者の側にいて、社会の脇に追いやられた人々の世界に踏み込んで行った。監督はそのことを次のように語った。

 「確かに私にとって冒険でした。私は彼らの世界に属してはいないし、彼らの生きるための闘いを共有しているわけでもありません。しかし、彼らが存在しないかのように私がふるまうならば、私は彼らを苦しめている社会の罪に加担することになると思ったのです。私にできることは、人々の目を向けさせるために映画をつくることでした。映画をきっかけに議論が始まることが、変革の第1歩だと考えました」

  映画についてのレバノン国内での反応について、ラバキー監督は語った。

 「概ね好意的でした。この映画によって、自分たちの国に、出生届もなく、公的には存在していない子供たちがたくさんいることに気付き、どうすればよいかという議論が始まりました。しかし、一部では映画はレバノンの否定的な面を強調しすぎていると批判する声もありました」

 映画に対する批判的な反応は、同じく2018年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを獲得した是枝裕和監督作『万引き家族』に対して、日本で起こった批判と通じるものがある。

 ラバキー監督は否定的な反応について次のように語った。

 「一部の人たちにとっては、自分が住んでいる社会が抱えている問題を認めることはプライドが許さないのでしょう。問題に背を向けて、自分の生活を平穏に送っていきたいのです。しかし、目を背ければ不幸な子供たちを生み出す社会の荒廃はさらに大きくなります。4分の3の人々が権利もなく、教育も、仕事もない状況に置かれています。社会に不公正が放置されていることに人々は怒りを募らせ、怒りはさらなる悲劇を生み出すでしょう。彼らは私たちのすぐ隣で生きているのです。私とハーリドは、この映画をつくることを自分たちの選択の一つというよりも、私たちの義務だと考えました。人々の怒りを放置すれば、荒廃はさらに進み、さらに大きな悲劇を生むからです」

 ※『存在のない子供たち』は7月20日(土)よりシネスイッチ銀座、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほか全国公開

 ※映画『存在のない子供たち』公式サイト