トルコ非常事態宣言 民主主義の終わりとエルドアン体制の混迷への懸念

3か月間の非常事態宣言の発令について語るエルドアン大統領(写真:ロイター/アフロ)

軍の一部によるクーデター未遂事件が起きたトルコで、エルドアン大統領が3カ月間の非常事態を宣言した。大統領は勅令によって基本的人権を制限することも可能となる。既に政府は6000人以上の軍人を逮捕し、政権に批判的な宗教指導者ギュレン師の支持者と見られる公務員5万人以上を解任や解職にするなど大規模な粛清を進めている。

クーデターに乗じて一気に軍を抑え込み、反対派を排除して権力を強化する狙いと見られる。しかし、国民が政府支持と政府反対で分裂し、状況が不安定化、流動化する恐れも出てくる。民主主義によって支持を広げてきたエルドアン大統領にとっては体制の正統性の基盤である議会政治や民主主義を自ら放棄することになり、トルコ政治の真の混迷も始まりとなるかもしれない。

非常事態宣言についてエルドアン大統領は「国家に対する脅威を排除するためである。民主主義と法の秩序と権利と自由に対する脅威だ」と演説した。直面しているテロの脅威に対抗するために必要な措置をとる目的だ」とも語った。この場合の「テロ」というのは、「テロ組織」に指定している「ギュレン運動」のことを指すと理解されている。

トルコ憲法での非常事態の規定

トルコ憲法では非常事態宣言について「憲法に保障された自由で民主的な秩序の破壊をめざす暴力行為が蔓延する深刻な兆候、または基本的人権と自由の破壊、または暴力行為による公共の秩序の深刻な悪化の兆行がある場合に、国家安全保障委員会との協議の後、大統領が議長をつとめる閣僚委員会は、一地域または複数の地域、または国全域について6か月を超えない範囲で非常事態を宣言することができる」としている。

この非常事態宣言は、ただちに議会の承認を受けなければならないとされる。議会は政府の要求を受けて、最大4か月間の非常事態の延長を認めるという。非常事態が宣言されている間は、大統領が議長をつとめる閣僚委員会は、法的強制力を持つ勅令を出すことができるとされる。勅令は同日、議会に送付されて承認されなければならないと規定されている。エルドアン大統領が率いるイスラム系政党「公正発展党(AKP)」は議会の過半数をおさえており、非常事態宣言の承認も、勅令の承認も、手続きとなってしまい、非常事態宣言下では議会は立法機関ではなく、政府の諮問機関になってしまう。

非常事態が宣言されたら何が起こるかは、憲法には「金銭上、物質上、労働上の義務が市民に課される」と記され、さらに「基本的人権や自由の制限や停止」も実施されうると規定されている。つまり、非常事態宣言の元では、市民は基本的人権や自由を制限され、政府の勅令によって、金銭や物品の供出、労働力の提供などの義務を課せられるということである。

非常事態宣言についてエルドアン大統領が「民主主義と法の秩序と権利と自由に対する脅威」としているのは、憲法の規定を意識したものである。さらに同宣言の発令前にカタールの衛星テレビ局アルジャジーラのインタビューで、「軍事クーデターの危機は去ったか」と質問されて、「私は終わったとは考えていない」と答えている。

非常事態宣言は憲法では「最大6か月」とされるが、政府の要求によって、「最大4か月」の延長が可能とされている。中東では「期限付き措置」として始まったことが何年も続くのが普通である。エジプトでは1981年のサダト暗殺後に発令された非常事態は、エジプト革命でムバラク大統領が辞任した後の2012年まで30年以上続いた。エルドアン大統領が、トルコで軍クーデターの可能性がなくなり、ギュレン運動の影響力を完全に排除するまで「危機は終わらない」と考えるならば、今回のトルコの非常事態令も、延々と延長される可能性がある。

エルドアン流の剛腕政治

トルコのクーデター未遂事件の後、「軍の政治介入」というクーデターはそっちのけとなり、エルドアン大統領が事件に便乗して、政治的反対派を「テロリスト」と呼んで大規模な粛清を進めていることは、トルコ国内の政治的、社会的な分裂や亀裂を広げることになり、トルコの安定化よりも、むしろ不安定化を懸念せざるを得ない。そのように考えるのは、今回のクーデター未遂事件での支持者の動員によって、エルドアン大統領は、国民の幅広い支持ではなく、国民のなかの自身の支持者を動員し、頼る方向性を露骨に打ち出したためである。

今回の対応は、いかにもエルドアン流ともいえる剛腕政治である。2013年6月に、イスタンブールの公園開発計画に反対する市民のデモが起こった時に、政権は治安部隊を出動させて強制的な排除を行った強権手法を思い起こさせる。この時、国際社会の批判が上がると、エルドアン氏は各地で支持者の大規模集会を開いて、反対の声を抑え込んだ。

同様の強硬な手法は、2015年6月の総選挙で選挙前の50%を大きく割り込んで、41%の得票率になった時にも見られた。選挙の一か月後の7月に南東部のスルチで爆弾テロがあり、32人が死にISの犯行が疑われた。トルコ政府はシリアのIS支配地域への米国・有志連合のIS空爆に初めて基地利用を認め、トルコ軍も空爆を始めた。トルコ軍の空爆はISだけでなく、シリア領にある反体制クルド人過激派組織「クルド労働者党(PKK)」の陣地も含まれた。

この強硬策によって、エルドアン政権は2013年3月から続いてたPKKとの停戦合意と和平交渉を破棄し、さらに有志連合のIS空爆に対する不参加の姿勢も撤回した。PKKに対しても、ISに対しても、「テロとの戦い」を強化する「両面」強硬策に打って出たのである。それはPKKとISのテロ激化へとつながり、10月にはアンカラでISによると見られる連続自爆テロで100人以上が死んだ。治安は悪化したが、11月の選挙では、AKPが過半数を回復したのである。

選挙結果について新聞は「社会不安が高まる中、有権者は安定を求めた」と分析した。政治や治安の状況を険悪化させ、危機を深めることで、国民の支持をとりつけるのがエルドアン流と言えるだろう。

表に出たイスラムの掛け声

今回のクーデター未遂事件後の大規模粛清でも、軍を押さえつけ、ギュレン運動を排除し、さらに世俗派を威嚇することとは、トルコ国内で反発を強めることになろう。クーデター未遂事件では、エルドアン大統領はテレビで携帯電話を通じて「クーデターを阻止するために街頭に出よ」と訴えた。その訴えによって、支持者が実際に通りに繰り出し、反乱軍の戦車や軍車両を包囲した。

私はエジプトからクーデターの進展をテレビで見ていたが、通りに繰り出した群衆の中から「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」というイスラム色の強い掛け声が響いたのを聞いた。イスラム系政党が根強い基盤を持つアラブ世界では珍しくないが、「世俗主義」を建前とするトルコで、この掛け声はタブーに近い。この群衆は、体を張ってエルドアン体制を守ろうとするAKP支持者であることは明らかだった。

エルドアン氏は軍の反乱にも対抗できる民衆の力を得ていたということである。エルドアン氏は翌日の大規模集会で「英雄」として壇上に立ち、支持者を「英雄」と讃えた。エルドアン氏は軍のクーデターに対抗した支持者の力をばねとして、軍と反対派に対する大攻勢を始めた。しかし、そこには落とし穴もある。大統領は「民主主義を守る」と言いながら非常事態宣言を出したが、人権や民主主義と逆行することへの強権批判が強まることは必至だ。これによって国民の亀裂は広がり、深まることになる。

民主主義を放棄で、少数派の強権支配

AKPは5割の支持を得ていると言っても、強権批判を受けた2011年6月選挙の得票率は前回の5割から10%近く下がった40%台だった。もともとAKPが2002年の選挙で政権についた時の得票率は34%であり、実質的には有権者の4分の1の得票である。2011年の総選挙で50%まで得票を増やすのに、AKPはイスラム色を抑えて、経済政策や社会政策を優先させ、医療保険制度の改革などで、保守派に支持を広げることで得票率を増やしてきた。エルドアン氏を支える支持者は2002年よりも増えているとしても、3割台であろう。

民主主義が機能していれば、国民の3割台の支持を得ていれば、十分に政治を主導できるが、民主主義が崩れてしまえば、3割台の支持があっても少数派に転落し、3分1の国民が3分2を支配しているという現実が露呈する。非常事態宣言によって、大統領令で人権や自由を制限され、財産や労働力を提供せよと命られても、AKP支持者なら自分たちの政権として支援するかもしれないが、それ以外の多数の国民にとっては、強権によって権利を制限される苦痛が始まる。

国民の多数の不満が強まれば、エルドアン大統領はさらに強権を使って批判を抑え込むしかなくなる。その結果、「アラブの春」で倒れた強権独裁者の運命をたどることになるかもしれない。または、新たな軍のクーデターの試みが起こるかもしれない。それを抑えるために、エルドアン大統領はさらに反対派の声を強権で抑える手法をとるしかなく、非常事態宣言はなくてはならないものとなるだろう。