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ニース事件の教訓 間違った対IS攻撃がテロを世界に蔓延させる

川上泰徳中東ジャーナリスト
花やぬいぐるみが置かれたニースのトラック突入テロの現場(写真:ロイター/アフロ)

世界中でIS絡みのテロが続いている。バングラデシュでは日本人7人が犠牲になるイスラム過激派の襲撃テロが起き、フランスのニースでは花火見物の群衆にトラックが突っ込み80人以上が死亡する惨事が起きた。ニース事件のような個人による通り魔的な凶行を未然に防ぐことは不可能に近い。フランス政府は改めてISへの軍事攻撃を強めると表明しているが、いまのような軍事的IS対応では逆に世界中でテロが蔓延することになりかねない。

昨年11月にパリ同時多発テロの後、フランスのオランド大統領は事件の真相が明らかになる前に、ISへの空爆の強化を宣言し、実行した。ISはイラクでもシリアでも攻勢を受けて支配地域を縮小しているとされるが、その一方で、3月にはブリュッセルの空港でのテロ、6月末以降、トルコのイスタンブール、バングラデシュのダッカ、イラクのバグダッド、サウジアラビアのメディナと立て続けにテロが起こり、ニース事件へと続いた。

現在のISへの軍事攻撃は、ISに影響されたテロを抑え込むことにつながっていない。それは厳然とした事実である。ISに対する米欧の軍事的な対応は、イラクとシリアにまたがるIS支配地を軍事的につぶすことだけを目的としているが、外部勢力であるISがなぜ、両国で勢力を広げたかという要因を全く考えていない。

「スンニ派の受難」の地

イラクにISの前身である「イラク・アルカイダ」が入ったのは、米国が9・11米同時多発テロへの対抗策として、無謀で不必要なイラク戦争に突っ込んだためである。米軍がイラクを占領し、スンニ派地域で軍事的な対テロ戦争を続けたことで、世界のイスラム教徒の人口の9割を占めるスンニ派にとって、イラクはイスラム教徒の「受難の地」となった。

私はイラク戦争の後、サウジアラビアから「米軍と戦うために」シリア経由で、イラク国境まで行ったというサウジ人の若者にインタビューしたことがある。イラクに入れなくて帰国したところでサウジ当局に逮捕され、収監された。彼はイラクに行こうと思った理由について、「米軍によるファルージャ攻撃によってモスクで民間人が殺害されたというニュースを見て、一週間眠れなくなり、戦うしかないと思った」と証言した。

イラク戦争の後、イラクではかつてイランに支援されていたシーア派反体制組織を中心とするシーア派主導政権が生まれ、旧サダム・フセイン政権を支えたスンニ派との宗派抗争が激化した。宗派抗争を仕掛けたのはシーア派を敵視するアルカイダ勢力の自爆テロだが、シーア派勢力はイランの支援を受けたシーア派民兵がスンニ派民衆への報復的攻撃を繰り返し、それはスンニ派世界では「スンニ派の受難」としてシーア派への怒りを募らせた。

イラク・アルカイダは「イラク・イスラム国」となり、その後、シリア内戦に介入して、「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」となった。シリア内戦は「アラブの春」を契機として始まった政治改革を求めるデモにアサド政権軍が武力制圧し、反政府勢力も武装闘争を始め、内戦化した。政権軍の武力制圧の犠牲になり、反政府勢力を主導したのはシリアのスンニ派住民である。

2013年にイランが本格的にアサド政権の軍事支援に乗り出し、レバノンのシーア派組織ヒズボラの地上部隊がシリア内戦に参戦した。サウジアラビアでは強硬派の宗教者たちがズボラを非難し、「対シーア派ジハード」を呼びかけ、多くの若者たちがシリア内戦に参戦した。

シリア内戦ではこれまでに28万人以上が死亡したとされ、死者はアサド政権軍、反体制派勢力、民衆がほぼ3分される。しかし、市民の死者で言えば、政権軍の空爆や大型爆弾投下による反体制地域のスンニ派市民の犠牲が圧倒的に多く、ここでも「スンニ派の受難」がアラブ世界で喧伝されている。

スンニ派部族がISに忠誠

2014年6月にISISがイラク第2の都市モスルを制圧し、カリフ制の「イスラム国(IS)」を宣言した時、私はイラク北部のクルド人地区に逃げていたスンニ派部族連合の幹部にインタビューした。幹部は「これはシーア派主導政権の圧政の元に置かれていたスンニ派による革命だ」と語り、自分たちがISと協力して政府軍を排除したと主張した。その後、ISが支配地域を広げたサラハディン州やアンバール州はイラクのスンニ派部族が勢力をはる地域でアリ、ISが中心都市としているラッカは、シリアでもスンニ派部族の影響力が強い場所である。シリアでイラクでもシリアでも、ISは地元のスンニ派部族から忠誠を受ける様子をインターネットの動画サイトYOUTUBEの動画として流している。

ISがイラクとシリアで地元のスンニ派部族の支持を取り付けて、支配地域を広げた背景には、イランがイラクのシーア派政権とシリアのアサド政権を支援し、それぞれシーア派民兵とヒズボラの民兵がスンニ派を殺戮しているという「スンニ派の受難」がある。

その上に、現在の対IS対策は、イラクでは6月のISからのファルージャ奪回作戦で、政府軍、治安部隊とともにシーア派民兵が介入し、ISから逃れて脱出してきたスンニ派民衆をシーア派民兵が殺害したり、虐待したりしたことが、スンニ派からも国際的人権組織「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」からも報告されている。その結果が、7月1日にバグダッドで200人を超える死者を出した2件の車爆弾を使った大規模テロにつながることになる。

一方で、シリア側ではISの中心都市ラッカに向けてIS掃討作戦を主導するのは、米軍が支援する反体制組織「シリア民主軍」であり、アラブ人やトルクメン人を含まれているとはいえ主力はクルド人民防衛隊(YPG)である。YPGは今年3月にシリア北部で一方的に「連邦制」を宣言し、クルド地域国家を創設する意思表示をした。アラブ有力紙の中には、「シリア民主軍が制圧した地域は、クルド人の支配下に置かれてしまう」と警告する論調もある。

シーア派とクルド人主導で進む対IS戦争

現在進む対IS軍事作戦の誤りは、ISが支配を広げる要因となっている「スンニ派の受難」を解決する方向ではなく、ISに代わってスンニ派勢力を、イラクではシーア派、シリアではクルド人の支配のもとに置く方向に向かっているということである。これでは、問題は全く解決しない。ISが残酷であることは疑問の余地がないが、シーア派民兵やクルド人民兵が人道的ということは全くない。YOUTUBEではアラビア語で「スンニ派の受難」「スンニ派の悲劇」とキーワードを入れれば、イラクとシリアの動画がずらりと出てくる。その中には、イラクのシーア派民兵組織の記章をつけた武装集団が、スンニ派と見られる男性をつるして焼く場面を映したものもある。

一方で、アサド政権による反体制スンニ派地域への空爆や樽爆弾投下は続き、市民の犠牲は出続けている。毎日のように、瓦礫の中から幼い子供たちが掘り出される映像が、反体制地域にいる市民ジャーナリストたちや人権組織、各地の救急隊の映像として流されている。それもまた「スンニ派の受難」である。

シリアで日々、「スンニ派の悲劇」が続いているのに、欧米もアラブ諸国も、アサド政権による民衆の殺戮を止めるために本腰をいれているようには思えない。ISはそれを巧みに宣伝に利用して、アラブ世界や米欧から若いイスラム教徒を集めている。IS地域に参戦しなくとも、世界中の若者たちにイラクやシリアで起こっていることを流して、報復を呼びかけている。

”ノーマーク”のニース事件の実行犯

ニースの事件の現場で殺害された31歳のチュニジア系フランス人の若者は、過激派との関わりでは全く情報当局に知られていなかったという。ISの後付け的な犯行声明は便乗に過ぎないが、若者がISに影響されたことは疑いないだろう。しかし、組織的な背景も、IS地域で訓練をうけたこともない若者が、これまでのIS系テロの手法である銃撃でも、自爆でもなく、トラックを使って、これほどの凶行が起こすとなれば、その危険性は「テロ」以上である。

この事件を受けて、オルランド大統領は16日に声明を発表し、その中で、「シリアとイラクにおける行動を強化する」と述べた。誤った軍事力行使が、世界をさらに危うくすることは、ブッシュ大統領時代のイラク戦争とその後の対テロ戦争の例をあげるまでもない。

国際社会によるイラク、シリアでのIS対策は、闇雲な空爆ではなく、まず両国に働きかけて、スンニ派への抑圧的な対応を改めさせ、「スンニ派の受難」を解消する方向に動くことが必要であろう。シリア内戦でのアサド政権による空爆、樽爆弾使用など市民への無差別攻撃をやめさせることも不可欠である。

外部勢力だったISはイラク戦争後の「スンニ派の受難」につけこんで、スンニ派地域に浸透している。宗教・宗派・民族が複雑に絡む中東でのISの排除は、軍事よりも、むしろ政治的な問題であり、慎重に時間をかけなければならない。スンニ派部族やスンニ派民衆を支援しつつ、イラクの権力分有の実現や、シリア内戦の平和的な終結を進め、スンニ派勢力、特に部族勢力がISから離れるような働きかけが必要となる。

市民社会を守るための対応策を

国際社会はISが唱える「ジハード(聖戦)」という暴力による「イスラムの実現」という正当性の根拠を崩すためには、どうすればよいかを考えるべきである。現在、IS支配地域で戦っている3万人以上と言われる若者たちに、どうすれば暴力を放棄させ、再度市民社会に組み込むことができるかを視野に入れる必要がある。以前、サウジアラビアの若いイスラム法学者のグループが、過激思想に染まった若者と宗教の対話を通して、過激な思想の過ちに気付かせるという活動を取材したことがあるが、そのような対応を取り込む必要もあろう。中東でISを地域で孤立させ、ISの影響を受けたテロが世界で拡散することを阻止する方法を探り、実践していかねば、市民社会を守ることはできない。

もし、現在の米欧による軍事偏重のIS対応を、このまま激化させることを想定した場合、どうなるだろうか。血みどろの戦いと、有志連合の空爆による多くの民間人の犠牲を出した末に、ISを弱体化させることができるとしても、数か月単位ではなく、数年単位の話である。ISがもし、アフガニスタンのタリバンのような存在であれば、10年かけても不可能だ。ISへの攻撃が継続する限り、ISに影響されたテロは続くことになる。

さらにこれまでに起こった教訓から学ぶならば、ISを軍事的に排除した後、世界にとっては本当の危機が訪れることになる。米国のアフガン戦争でアフガニスタンのアルカイダの拠点を破壊した後に起こったことを振り返れば、2003年にモロッコと、サウジアラビアで大規模な同時多発テロが起き、2004年にスペイン・マドリッドでの列車爆破テロ、2005年にはロンドンの同時爆破事件と、大規模なテロが続いた。

ISはアルカイダ戦士以上に、戦闘経験を積み、より過激で戦闘的である。アルカイダのテロは同時多発的な爆弾テロだったが、ISは爆弾攻撃と銃撃を併せ持った都市ゲリラ的な戦術をとっている。より危険な相手に対するのに、IS対策はIS支配地域を空爆してISを排除すればすむほど単純なものではなく、複雑で高度な対応が求められている。

中東ジャーナリスト

元朝日新聞記者。カイロ、エルサレム、バグダッドなどに駐在し、パレスチナ紛争、イラク戦争、「アラブの春」などを現地取材。中東報道で2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。2015年からフリーランス。フリーになってベイルートのパレスチナ難民キャンプに通って取材したパレスチナ人のヒューマンストーリーを「シャティーラの記憶 パレスチナ難民キャンプの70年」(岩波書店)として刊行。他に「中東の現場を歩く」(合同出版)、「『イスラム国』はテロの元凶ではない」(集英社新書)、「戦争・革命・テロの連鎖 中東危機を読む」(彩流社)など。◇連絡先:kawakami.yasunori2016@gmail.com

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