衆議院選挙はメディアの予測を上回る議席を自民党が獲得した。

早速、岸田文雄政権は「数十兆円規模」の経済対策を、11月中旬の閣議で決定できるように動き出したということだが、「普通に働けば、普通の生活ができる」社会に日本はなるのだろうか。

ご承知のとおり、岸田首相は総裁選の名乗りを上げた当初、「令和版所得倍増計画」「分厚い中間層」という、実に魅力的な言葉を繰り返した。

しかし、選挙戦では「令和版所得倍増計画」という言葉はあまり耳にしなかった。「所得を倍増という意味ではない」という、脳内が「???」だらけになる発言が聞こえてきて、気がつけば「所得拡大」というフレーズに置き変わっている。

選挙前の10月26日には、成長と分配の好循環を通じた中間層の所得拡大に向け「新しい資本主義実現会議」を設置したが、そもそも「中間層」とはいったいどこの、誰を指し、「所得倍増」とはどこの、誰の所得を倍増するのか? 

「中間層」という言葉を用いるには、明確な定義が必要だが、岸田首相は一切言及していない。というか、そもそも今の日本社会に「中間層」と呼べるボリュームゾーンは存在するのだろうか。

【没落した中間層】

確かに、かつての日本には明確に「中間層」と定義できる人たちが存在した。

例えば「衰退を続ける日本の中間層―中間層衰退が示す構造改革『担い手』不足―」(みずほ総合研究所「みずほリサーチ」)では、「中間層=実質中位所得」と定義し、1992年をピークに一貫して下がり続けていることを確認している。

その上で、日本の中間層衰退の特徴を「中間層全体で所得が減少。中流に属する世帯すべてが低所得層に転落しかねない状況」と指摘している。

また、「日本における中間層の推計:1994-2009年」(田中聡一郎、四方理人)では「中間層=中位所得の75%から200%」と定義し、次のように報告している。

  • 中間層は、1994年は67.29%、2009年は65.21%で微減
  • しかし、中間層の所得域を1994年の水準に固定した場合、2009年の中間層の割合は59.47%まで低下
  • 中間層の割合が低下すると上層の割合も低下する一方、下層や貧困層の割合が上昇
  • 中間層の割合が安定的に見えた理由は、日本の所得分布全体が低下したことによると考えられる

こちらのデータからわかるとおり、問題は中間層にあるのではない。増え続ける低所得者層にこそ問題がある。低所得者層の賃金をあげる策を徹底しないで、「成長と分配の好循環を通じた中間層の所得拡大」を目指せば、より格差が広がるだけだ。

【増える低所得者層】

実際、最低賃金レベルで働く人は10年間で4倍も増えた。07年には最低賃金=719円に近い時給800円未満の人は7万2000人だったが、17年には最低賃金=932円に近い時給1000円未満の人は27万5000人まで増加している(「最低」に張り付く賃金 打開のカギ、生産性向上に ――チャートは語る、日本経済新聞2019年7月21日付)。

令和元年分の国税庁「民間給与実態統計調査」によれば、1年を通じて勤務した給与所得者の1人当たりの平均給与は436万円(前年比1.0%減)、男性540万円、女性296万円。
正規・非正規別では、正規503万円に対し、非正規はたったの175万円だ。

給与階級別分布を見ると、最も多いのが「300万円超400万円以下」(17.0%)。次いで「200万円超300万円以下」(14.9%)。

さらに、厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」(令和元年)を基に年収中央値を算出すると、370万円程度。たったの「370万円」だ。平均だと高い人に引っ張られてしまうので、こちらのほうがよりリアルな実態を捉えている。

静岡県立大学短期大学部の中澤秀一准教授の試算によれば、「最低賃金は全国一律で1500円は最低限必要」とされている。モデルにしたのは、単身で健康な20代男性で、住む場所は、都内ではなく地方。車を持つ場合は、7年落ちの軽自動車を中古で購入し、6年以上使う。しかも1500円では、家庭を持ったり親の介護を補助したりする金銭的な余裕はないとした。

時給1500円で1日8時間労働、月20日勤務した場合、年収は288万円。
現在の年収の中央値は「370万円」――。

いったいどこまで「私」たちは譲歩しなければいけないのか。

「所得倍増計画」が実行された昭和の中間層=中位所得層とは、大卒一括採用で正社員、社内恋愛で結婚し、女性は専業主婦になり、子供を2人持ち、マイホームを建て、定年後悠々自適の生活が約束された人たちだった。

しかし、「令和版所得倍増計画」の中間層=中位所得層は、非正規と中小企業の正社員、未婚、子なし、マイホームなし、将来不安ありという生活をしている人たちである。


要するに「分厚い中間層」をつくるには、第一に「最低賃金」をあげること、第二に「非正規雇用」の賃金あげること、というのが、私の結論である。

【賃金は正社員より高く】

日本では当たり前のように「正社員より非正規雇用の賃金が低い」が、欧州諸国では全く逆。「非正規社員の賃金は正社員よりも高くて当たり前」が常識である。

フランスでは派遣労働者や有期労働者は、「企業が必要な時だけ雇用できる」というメリットを企業に与えているとの認識から、非正規雇用には不安定雇用手当があり、正社員より1割程度高い賃金が支払われている。イタリア、デンマーク、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどでも、非正規労働者の賃金の方が正社員よりも高い。「解雇によるリスク」を補うために賃金にプラスαを加えるのだ。

また、EU諸国の中には、原則的に有期雇用は禁止し、有期雇用にできる場合の制約を詳細に決めているケースも多い。

働き手の賃金を上げた企業には税金を優遇する方針だそうだが、非正規という雇用形態が、人間の尊厳を守ることができない雇用形態だったことは、コロナ禍によって明確になった。

「中間層」という至極曖昧な言葉を多用することは、本来解決すべき問題が置き去りにされ、結果的に「見捨てられる人」を量産することにつながるであろう。

岸田首相には、「言葉の具体的な定義」を、まずはしていただきたい。