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非正規、女性、ガン患者の「声にならない悲鳴」と不条理ー余命宣告を超えて生きた女性を忘れないで。

河合薫健康社会学者(Ph.D)

非正規雇用の人たちが大量に仕事を失ったり、時短勤務で収入が減少した“あの日”から一年以上が経った。

あの日とは、「全国すべての小学校、中学校、高校、特別支援学校への臨時休講」の要請が発表された2020年2月27日のこと。もっとも、あの要請があろうともなかろうとも、コロナ感染拡大による“生活”への影響は避けられなかった。

それでも、あの突然の要請により、どこか「他人事」だったコロナが「自分ごと」になった。そして、瞬く間に、日常がことごとく奪われ、仕事も家もなくなる人が続出し、私たちの想像をはるかに超える速さで社会が“変化”した。「あとちょっと」「あと3ヶ月」「あと半年」と何度、踏ん張っただろうか。誰もが必死で耐え続けたのに、ついに「一年以上」が経過し、いまだ「光」が見えない。

私はかれこれ20年近く、フィールドワークとしてビジネスパーソンをインタビューし、一年前、“あの日”以降、派遣切り、解雇、倒産、減給など、生活が立ち行かなくなった人たちの「声」に耳を傾けてきた。そのうち数名の人たちは、運良く仕事を得て、なんとか生活を取り戻している。

一方、声をあげることすらできなくなった人たちがいる。取り残されてしまった人たちと言いかえてもいい。コロナ禍で起きている様々な問題は、コロナ前から存在していたにも関わらず、見ないふりをされたり、見過ごされてきた問題である。

そこで今回は「声にならない悲鳴」を取り上げたいと思う。

「非正規」「女性」「シングルマザー」「障害者」「がんなどの病と共に働く人」などなど、社会的に立場の弱い人たちが、今もなお追いつめられているのに、メディアで取り上げられることが激減し、「雇用環境は上向いている」かのような報道がされていることへの抵抗でもある。

みなさんに知っていただきたいのは、9年前にすい臓がんが見つかり「余命一年」と宣告された女性である。彼女は、医師が驚くほど抗がん剤が効き、一年前まで「体の中に棲みついたがん」とともに生活し、生きるために働いていた。しかし、彼女は、一年前に仕事を失った。

そこで、「余命を超えて生きた“彼女”が、どのような人生を余儀なくされたのか」を書き綴りますので、みなさんも一緒に「病とともに働く」ことについて考えていただければ幸いである。

“彼女”との出会い

彼女との出会いは今から6年前に、彼女が私のこちらのコラム(すい臓癌を巡る報道への私的な見解。マスコミのみなさん「がんの王様」と言わないで。)を見て、メールをくれたのがきっかけだった(以下、メールを抜粋)。

私もすい臓がんで、余命1年って言われていた。ところが、医師が驚くほど抗がん剤が効いてしまったんです。

今も治療は繰り返していますが、受給された手当も、貯金も底をついた。生活するためにも、治療を続けるためにも働きたいんですけど、体調に落差があるから、なかなか難しくて……。

がんを生きる事って、不安で不安でどうしょうもなくなるのです。心が揺れて、折れそうになってしまうのです。それでも、下を向かず、明日も前を向いて生きていきます

このメールをいただいてからひと月後、私が彼女の家の近くまで出向き、インタビューさせていただいた。

待ち合わせ場所に現れた彼女は杖をついていたけど、「からだの中に棲みついたがん」と生きているようには全く見えなかった。しかし、実際には、足に激しいい痛みを抱え、長く歩くのも厳しく、クリニックに通院しなければならないほどメンタルを低下させていた。

「やっと、生活保護を申請できたんです」ーーー

静かにこう切り出した彼女は、3年前に余命宣告を受けてからのことを、丁寧に話してくれた。

私は大手企業の契約社員として6年間勤務していました。検査で休む必要があり、上司に『がんの疑いがあり検査をしている』と伝えたんです。そしたら「仕事を辞めて治療に専念しろ」と。事実上の解雇です。

退職にあたり朝礼で挨拶をしたいと申し出たら、「みんなが動揺するので挨拶はさせられない」と断られた。私はがんで辞めるなんて言うつもりなかったのに、契約社員ががんになると、切られるという会社の事情を知られたくなかったみたいです。

それで、その後、あと1年がもう3年になってしまった。3年経った今も、生きているんです。

わけあって連絡が途絶えていた息子も、私の命が「あと1年」と知り、自分の生活を犠牲にして支援してくれました。かあちゃんの喜ぶことをやってやろう、って、それまでは音沙汰なかった息子が、いろいろと手を尽くしてくれました。でも、息子も厳しい生活をしているので、「私にはもう関わるな。大丈夫だから」って伝えてあります。高齢の母がいますが、ほとんど会っていないし、迷惑はかけられないので連絡はとっていません。

がん患者とわかった途端、雇ってもらえない

彼女はこう続けた。

・・・でも、実際は・・・がん患者が生きていくのは、厳しすぎる社会です。

通院している病院に「がん患者の就労支援のためのキャリア・カウンセラー」がいるので、相談したんですが、私の状況では「就職するのは無理」だと。治療費を稼がなきゃならないのに、無理だって言われてしまいました。

まるで『病院に来るな』って言われてるような気がして。目の前が真っ暗になりました。

私は……「自分はがんだから、仕事なんてしなくても良いんだ」なんてことを思った事は、一度もありません。余命宣告を受けたときも、退職させられたときも、1回もない。本当に1回もないんです。

なので必死で、仕事を探しました。

ただ、体調の悪いときは、ベッドから起きることもできません。がんを隠して働くことはできまない。それで、がんであることを伝えると、今度は雇ってもらえないんです。わざわざ、がん患者を雇ってくれるところはありません

それで、先日やっと生活保護を申請したんです。

生活保護を願い出る……。言葉にするのは簡単ですけど、そこそこ人並みに仕事をして、自身の生活の糧を稼ぐのが当たり前だと感じて生きてきた人間にとって、申請の作業は自分が思っていたよりも心の中での葛藤がありました。ダメージも大きかった。

余命を告知されてから、精神的にも不安定になっていたんですけど、生活保護のことで余計落ち込んじゃって。メンタルクリニックにも通う羽目になってしまいました

非正規という雇用形態の不条理

彼女のように、がん治療をきっかけに生活保護を受給し始める人は、決して少なくない。具体的な数字は把握できていないが、年金暮らしの高齢者だけではなく働き盛りの方たちも多く、働き盛りほど申請を却下されるケースが多いとされている。

そもそもの問題は、彼女がそうだったように「がん」とわかった途端、契約などの非正規の人たちが、いとも簡単に切られることだ。

非正規雇用で働く人は4割、生涯でがんになる確率は男性で62%、女性で46%と、2人に1人はがんになる時代なのに、がんとわかった途端に、働きたくても働かせてもらえなくなる。治療のために、仕事をしたくても「がんサバイバー」であることを伝えると、雇ってもらえないのだ。

その後、彼女とは半年に1回ほどあったり、メールのやりとりをした。私にできることを少しでもやりたかった。でも、実際には・・・何もできなかった。

ところが、一昨年に「世の中捨てたもんじゃない!」と小躍りすること起きた。

粘り強く求職活動をしていた彼女に、朗報が届いた。「週2、3回でもいい。体調がよければ、4回くらい来てほしい」と言ってくれる会社が見つかったのだ。

彼女も仕事に慣れてきたというので、会いにいったところ、彼女は以前より100倍元気そうに見えた。

「働くってすばらしいですね! 本当に楽しい!」と、満面の笑みを浮かべ、彼女と彼女の「夢」まで語りあえるほど元気だった。彼女は自身が作ったドリームキャッチャーを(冒頭の写真)、自分と同じすい臓がんの患者さんやご家族の人たちにプレゼントするなどしていたので、

「ドリームキャッチャー、買ってくれる人もいるかもよ」(河合)

「材料費だけもらうだけでいいから、もっとたくさんの人に届けたい」(彼女)

などと盛り上がった。

しかしながら、がんがなくなったわけではなかった。ベッドから起きられないほど、背中や足が痛む日があったり、気分が落ち来む日があったり、それでも「働きたい」「働かないと生活できない」という思いで、会社ともコミュニケーションをとりながら、“彼女の日常”が回っていたのである。

そして、一年前の4月上旬。彼女は仕事を奪われた。

コロナ禍の現実

業務が激減し、自宅待機となってしまいました。このままだと生活できないので、バイトを探しています。

 やっと『がん患者だろうと関係ない』と採用してもらって、自分で稼いで生活できることは私の生きる力になっていたのに、今回のコロナです。

体を動かす仕事は難しいのですが、スーパーの品出しのバイトなら雇ってくれるところがありそうなので、背に腹は代えられないので思案中です。

今日は病院に薬をもらうために行ったのですが、待合室にはピタっと肩が触れる距離でたくさんの人が座っていました。ここで1時間以上座っているなんてありえないと思い、薬をもらうことを断念しました。来週、電話診療を受けて処方箋を出していただくことにして帰ってきましたが、交通費がかかるのは正直痛いです。

私のようにずっと契約社員で生きてきた人間は、がんになること自体人生のリスクなのに、やっと見つけた居場所が、突然、あっけなくなくなってしまうんです。生活保護を受ける状況は絶対に避けたい。いただくお金で生活はできますが、『おまえには生きてる価値がない』と言われているようで情けなくて、地獄でしたから。

今は残り少ない手元の現金が尽きる前に、仕事を見つけるしかないです

最大で4~5時間しか体力が持たないという事情も考慮した短時間勤務で、突然の体調の変化にも対応してくれるなど、人の温かさと仕事をする喜びを感じる日々をやっと手に入れたのに……、やりきれない、残酷すぎる。

その後、国は一律10万円の給付を行なったが、それもなかなか届かなかった。

そして、数ヶ月前。彼女からの連絡が・・・途絶えた。

なんとなく胸騒ぎがして、メールをしたのだが「宛名なし」で戻ってくる。時折更新していたFBも消え、彼女が自分の体験記や、小さなハッピーを書いていたブログには「お探しのものは見あたりません」の文字。

・・・これって、どういうことなのか。頭によぎる「言葉」を必死でかき消そうとする自分がいる。なんともいえない喪失感と、「なぜ、もっと早く連絡しなかったのか」「何か私にできることがあったのではないか」という無力感に襲われている。

繰り返すが、コロナ禍で起きている様々な問題は、コロナ前から存在していた問題である。

非正規という、人間の尊厳を担保しない不安定な働き方。病とともに生きなくてはならない時代なのに、それを許さない働かせ方。どれもこれも、見ないふりをされたり、見過ごされてきた問題である。

だったら「家族に頼ればいい」「生活保護を受ければいい」と言うけど、10人いれば10通りの事情がある。私が昨年、インタビューした「仕事を失った人」たちは、頼れる家族がいなかった。

私自身が「結局、なにもできなかった」ことへの自責の念があり、今回、書かせていただきました。もし、彼女がこのコラムをどこかで見ていてくれたらいいなぁという思いもあります。

そして、みなさんにも「声を上げられない人たちがいる」という現実を知っていただきたい。今こそ「非正規」「女性」「シングルマザー」「障害者」「がんなどの病と共に働く人」たちなどの問題に、立ち止まっていただきたいです。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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