“新卒一括採用”は辞められない?

著者:JonoMueller

 文科省が、「オワハラ」の調査に乗り出すことが明らかになった。

大学の就職支援担当部署などを対象に抽出方式で、今月からハラスメント行為の実態調査を実施するのだという。

オワハラ(=就活終われハラスメント)ーーー。

 企業が内々定を出した学生に対し、以降の就職活動を終えるよう働きかける行為や、内定を出す際の条件として長期的に学生を拘束する行為等のうち過剰なもので、具体的には……

 ・監禁されて土下座させられた、コーヒーやカレーをかけられた

 ・内定辞退したら、採用にかかった費用1000万円を請求すると脅された

 ……といった“都市伝説”と揶揄されるものから、

 

・「就活を終えること」を条件に内々定を得たが、就活を続けていると明かしたとたん、約2時間電話口で説教され、結局内々定を取り消された(日本経済新聞より)

 ・「うちの内々定でもう就職活動は終了だよね?」「もう他の企業の選考は受けないよね?」といった強制的な終了確認(産経新聞より)

など、一部メディアで伝えられたもの。

 

私自身が学生から直接聞いたものでは、

 ・頻繁に内定先から、メールや電話があった

 ・親の意思確認を強要された

 

などが、オワハラになる可能性がある。

 

 オワハラが問題化した背景には、「経団連が今年から新卒採用に関する指針を見直し、採用選考の開始時期を従来より4カ月遅らせて8月1日としたことがある」ともっともらしい言い訳がされているが、分かりやすくいえば、人事部の人が“文句”を言われないため。バブル期にも、「オワハラ」らしきものはあったし、リーマンショックが起きる前の好景気時にもあった。

 

 バブル期や、2007年の時点で、「内定辞退者を減らす工夫」をとことん考えていれば、“オワハラ”なんてものが社会問題化することもなかった。

 ところが、“運良く”バブルが崩壊し、リーマンショックが到来。売り手市場から買い手市場に転じ、内定式前夜に「空席があったらどうしよう」とドキドキすることも、「就活を終わらせることを条件に内定を出す」などと学生を脅す必要もなくなり、せっかくの思考するチャンスを放棄した。

 つまり、「オワハラ」とは、新卒一括採用に“好景気”という要素が加わったときに起こる、“”人材獲得競争”で、若モノたちを食い物にするオトナたちの怠慢なのだ。

 だいたい人生に極めて強い影響を及ぼす、初めての仕事を探すという行為を、就活と呼び、オワハラ、モラハラ、パワハラ、セクハラ、マタハラ、etc etc……と何でもかんでも、ハラをつけるのも思考の放棄そのもの。機会の平等ととりあえずエントリーの混同、大学のハローワーク化、“就活エリート”の登場、就活自殺などなど――。 ホレ、考える力だ! ソレ、考えて行動せよ! と言っている割には、新卒一括採用ほど、思考を放棄したシステムはない。

  もういい加減、新卒へのこだわりを捨てべき。でもって、「未職一括採用」にするべきだと、個人的には考えている。

 

 具体的には、18歳~30歳までを就職準備期間とみなし、就職した経験のない人は「未職者」として同様に扱う。当然ながら、賃金も同じ。ただ、何らかの目標があった方が準備しやすいので、通年採用ではなく一括採用にする。

 何事にも準備期間が必要であることは、誰も否定しないはずだ。キャリアだって例外じゃない。

「キャリア=職業」じゃなく、「キャリアとは人生のある年齢や場面の様々な役割の組み合わせ」で、「家庭や社会における様々な役割の経験を積んでいくことがキャリアである」という視点に立てば、職業人になるにも、それなりの準備期間が必要となるのは、当然のこと。

 

 高校生という役割を経験しながら、職業人の準備をしていた人は、18歳から職探しを始めればいい。

 大学の本来の役割である、「学問人」をとことん経験したい人は、大学をきっちり卒業してから、準備を始めればいい。

 大学生のときのアルバイトが準備期間となり、卒業を待たずに就職する人もいるかもしれない。

 1浪、2浪して、行きたい大学に入る人もいるだろうし、何らかの理由で、大学卒業まで8年かかる人もいるかもしれない。2浪、表裏大学を 満喫しても、30歳なので、「未職者」になれる。

 実際、キャリアへのエントリーに先立つ期間が存在することに着目すると、個人にとっても組織にとっても、いい結果がもたらされることが確かめられている。

 キャリアへの準備期間で、若者たちは自分自身および職業について、様々な診断を下す。有効な情報を獲得するのである。

 

 人間の成長も、欲求も、自分を取り巻く生活世界内での相互作用から生じるもの。世間では、これを「経験」と呼ぶ。

 人生経験は、自己洞察をもたらす。そこに存在する空気を肌で感じ、他者からのメッセージ、そこにいる自分の言動がもたらす結果などを経験するうちに、自分自身のキャリアに対する欲求と興味を開発し、発見する。

 ときには自分の感情に驚くこともあるだろう。あるいは、「かっこいい!あの人のようになりたい!」と、現実的役割モデルに出会うことだってある。自分の強みだと思っていたものが、実際にはたいしたことなかったことにショックを受け、「こんはずじゃなかった」ともがくこともあるかもしれない。

 いずれの発見も、自己洞察。それは、自分の強みや弱み、価値観、大切なモノに気付く貴重な瞬間なのだ。

 

 ところが、現在行われているのは、キャリア教育というまやかしの準備期間だ。学生たちは、自分が勝手に思い込んだ「自分の価値」を企業に必死にアピールし、適職信仰に苦しめられる。入りたいと思う会社に入るだけの能力があるかを自問することもなければ、「自分の能力では難しいかもしれないな」と相性を見極めることもない。

 キャリアは就職先が決まったところで「終わる」わけじゃなく、そこから「始まる」もの。仕事に就く作業は、個人と会社との相互作用なので、10人いれば10通りのプロセスが存在して当たり前。リアルは準備期間を得ることが、未来への礎になる。

 

 私ごとで申し訳ないけど、批判を恐れずに告白すれば、全日本空輸(ANA)の客室乗務員時代は、準備期間だった。なんのキャリアへの意識も、準備もないままに、世界をまたにかけた仕事がしたいという理由だけで、スッチーになった。スッチーの経験を重ねるうちに、自分のやりたいことが明確になった。それでも自己洞察はかなり半端なもので、最就職先も決まらず途方にくれた。

 その後、天気と出会い、番組と出会い、健康社会学と出会い……、今なお、職業人としてのキャリアは開拓中だ。

 そんな私の履歴書は穴だらけ。人生も穴だらけ。他人から見たら、「いろんなことやってきたんですね」と言われてしまう。でも、自分の中では一本道。決して、「いろいろ」やったわけじゃない。たまたま、「いろいろ」やっているような足跡が着いただけ。履歴書の穴は、必死で考えていた、キャリアを思考していた時間。穴を無理矢理埋めようとせず、穴を穴として受け入れたからこそ、職業人として走り続けていられるのだと確信している。

  

 未職一括採用ーー。穴のない履歴書のエリートさん! 思考する能力を放棄するの、いい加減に辞めませんか?