「SOSを出せない子供」とシングルマザーの悲しい関係

子供のSOS――。凄惨な事件などが起きる度に、繰り返されるフレーズである。「子供のSOSを見逃さないようにしなきゃ」。そう誰もが訴える。

だが、小学校の女性教師いわく、

「子供はそんな簡単にSOSを出さない。子供って、学校で見せる顔と家で見せる顔を、ちゃんと使い分けている。実際にはSOSを出す子供より、出せない子供のほうが問題は深刻」

だと。

以前、彼女のクラスに学力に問題のある生徒がいて、母親に面談を何度約束してもドタキャンばかり。家庭訪問も、『都合が悪い』の一点張りだった。それでいろいろと調べてみたころ、シングルマザーの母親が2つの仕事を掛け持ちして、生活もかなり困窮していて、とてもじゃないけど、子供が勉強できるような家庭環境じゃないことがわかったというのだ。

「子供はその気配すら感じさせなかったんです。子供の貧困、つまり母子家庭の貧困って、ものすごく見えづらい。だから周りも支援するのが難しいんですよ」

川崎市の多摩川河川敷で殺害された中学1年の上村遼太君(13)の母親が出したコメントにも、“SOS“”について書かれていた。

「中学校1年生で、まだまだあどけなく、甘えてくることもありましたが、仕事が忙しかった私に代わって、進んで下の兄弟たちの面倒を見てくれました。

遼太が学校に行くよりも前に私が出勤しなければならず、また、遅い時間に帰宅するので、遼太が日中、何をしているのか十分に把握することができていませんでした。

家の中ではいたって元気であったため、私も学校に行かない理由を十分な時間をとって話し合うことができませんでした。

今思えば、遼太は、私や家族に心配や迷惑をかけまいと、必死に平静を装っていたのだと思います」――。

世間は事件直後から、

「顔にアザをつくっているのに、放っておくってどうなの?」

「学校に行ってなくて、先生も訪問にきたっていうのにおかしくない?」

「ネグレクト。ネグレクトでしょ?」

と厳しく母親をバッシングし、著名な識者までもが週刊誌のコラムで母親を叱りつけた。

でも、遼太君はSOSを母親に出していなかった、いや、正確には出せなかったんじゃないだろうか。私もそうだったから。全くもってレベルの違う話なのだが、私もしんどかったとき、SOSを出さなかった。いや、出せなかったのだ。

私は中学生のとき“アメリカ帰り”で(帰国子女なんて言葉は一般的ではなかった)、毎日のように同級生が私を見物にくるほど、珍しい存在だった。

そんな中、ある事件が起きた。朝学校に行くと、上履きがビリビリにカッターで引き裂かれ、「アメリカ帰りふざけるな!」「調子にのるな!」と、サインペンで書かれていたのである。

ちょうど時を同じくして、母親が長期間入院することになり、父は単身赴任していて留守番をする高校生の兄と私を母は心配していたのだが、私はひたすら「大ジョウブ!」と明るく笑っていた。ホントは不安だらけで、上履き事件のことを母に言いたかったのに、言えなかった。

中学生は、オトナから見れば、まだまだ子供だ。だが“自分”は、十分「オトナ」だと思っていたし、心配をかけたくなかったのだ。

いや、心配をかけたくない、という気持ちとはちょっと違う。オトナになってしまった私には理解できない、“子供のときの私”の気持ちが、そうさせたのだ。

遼太君も「必死に平静を装った」。そしてその笑顔を、肉体的にも精神的にもギリギリで、生きるのに精一杯の母親は、信じよう、信じていいんだよ、と自分に言い聞かせた。

だって、母親自身もしんどかったから。「どうしてこんなに働いているのに、楽にならないのだろう」なんて疑問をもつ余裕もなければ、不満をもらす余裕もない。だから必死に信じ込んだ。

母親たちは分かっているのだ。自分の置かれている状況を他人に話したところで、何の足しにもならないってことを。自分が惨めになるだけ。ましてや、子供がそのことで変な目で見られたり、いじめられたりしたら困る。

声にならない声。表に出てこない貧困――。これが、シングルマザーの貧困の最大の問題であり、子供の貧困の問題なのだ。

日本の母子家庭の母親の就業率は、84.5%と先進国の中でもっとも高い。にも関わらず、突出して貧困率が高く、アメリカ36%、フランス12%、イギリス7%に対して、日本は58%と半数を超えている(OECDの報告より)。また、「子どもの貧困率」(17歳以下)は16.3%で、6人に1人が貧困でとなっている。

政府は来月からは、高校卒業資格の取得などを目指すシングルマザーらの「学び直し」を重視し、講座受講のための費用を補助する制度を新たに始める予定だが、子供と向き合う時間すら取れないシングルマザーたちが、どうやって「学び直す」時間を作ればいいのだろうか。

どんなに正社員になりたくても、正社員になるには学歴やスキル習得が必要だとどんなに言われても、今を生きるのが精一杯の母親たちは、明日の食事のために会社に行く。それが現実。そう、これが現実なのだ。

先月、国会で民主党新代表の岡田克也氏が、「国民の間に格差が広がっていることを認めるべきだ」としたのに対し、安倍首相は、「許容できない程の格差は確認されていない」とし、以下のように回答した。

「母子家庭が貧困になっていることは認識している。一人親の家庭にスポットをあてながら、自立できるように応援してゆきたい。貧困によって教育の機会が失われる日本にしてはいけない。無利子の奨学金をしっかりと必要な人に渡るようにしていきたい」

働けど働けど楽にならず、子供と向き合う時間も持てない母親は、自立していないのか?

自立した結果、貧困の蜘蛛の巣から抜けられなくなったんじゃないのか?

シングルマザーの貧困は、自立の問題なんかじゃない。政治の問題である。

実際、イギリスは1990年代半ばから2000年代半ばにかけて貧困が減少した世界でも数少ない国で、それを可能にしたのが、ブレア政権が断行した、母子家庭政策の改革である。

この改革では、“働くシングルマザーたちの仕事と育児が両立できる環境を、徹底的に整備した。

まず最初に手をつけたのが、5歳未満の子供を預かる全日制の保育所(=学童保育)。小学校の施設を利用し民営化することで、コストを大幅に削減し、利用可能な層が限定されないように、監査機能の強化を行い、保育サービス事業拡大と併せて経済的負担軽減策を実行した。

さらに「働くことが割に合う」ようにという基本理念のもと、最低賃金制度を導入し、タックス・クレジット(収入が一定水準に満たない人は税金を納めず、逆に給付金を受け取れる制度)の導入と拡大や、児童手当の引き上げなども実施。

就労インセンティブのある給付つき税額控除を導入する国は他にも存在するが、イギリスでは低所得の有子世帯に対する単なる所得保障にとどまらず、保育サービスに必要な費用そのものをターゲットとしている点に特徴がある。

こういった就学前の子どもとその親に対する包括的かつ総合的な取り組みの結果、1990年代初めには稀な保育形態だった学童保育が、ブレア政権期に事業者数で約4倍、定員数で約4.5倍にまで激増した。貧困世帯で暮らす子どもの数は2005年度には280万人となり、1998年度より60万人減少したのだ。

とはいえ、これらの政策では限界があることも分かり、ブレア政権後期からは「同一価値労働同一賃金」の原則に基づく法制度の拡充を進め、雇用形態や性別、学歴による格差是正に取り組んでいるのである。

「自立できるよう応援する」(by 安倍首相)とは、まさか「なぁ~んにも考えてません」って意味だったりして……。

(上記はこちらを修正したものです