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”スーパーネズミ”は、なぜ死んだ?ー残業代ゼロは過労死促進法であるー

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著作者:zhouxuan12345678

なぜ、安倍総理は、こんなにもこだわるのか?

そう。アレです。あの第一次安倍政権下で導入がはかられ、2007年に一度は見送られた「ホワイトカラー・エグゼンプションが、再び俎上に載せられているのだ。

年収など一定の条件を満たすホワイトカラーから労働時間規制の適用を免除しようという、ホワイトカラー・エグゼンプション。この制度の適用を選んだ労働者は、自己責任において勤務時間を自由に決められるため、雇用者と契約した成果を達成できるのであれば毎日会社に行く必要がない。その代わり、勤務時間に基づかない休日出勤などの時間外労働はなんら補償されない。時間規制を解くことは無報酬の長時間労働を合法化するものであり、「過労死促進法案」だと批判された制度である。

「柔軟な働き方」?

確かにそうかもしれない。

だが、かつて導入の動きがあったときの、さまざまな発言を思い出して欲しい。

時の総理大臣は、「残業代が出ないのだから従業員は帰宅する時間が早くなり、家族団らんが増え、少子化問題も解決する」と呑気なことを言い、時の厚生労働大臣も、「家庭団らん法」と呼び変えるように指示した。

また、某氏にいたっては、

「だいたい経営者は、過労死するまで働けなんて言いませんからね。過労死を含めて、これは自己管理だと私は思います。ボクシングの選手と一緒です。自分でつらいなら、休みたいと自己主張すればいいのに、そんなことは言えない、とヘンな自己規制をしてしまって、周囲に促されないと休みも取れない」と言い放った。

多分、これが賛成派たちの本音であり、大きな勘違いである。彼らは、過労死する人たちのほとんどが、その直前までストレスを感じておらず、死に至るほど「疲れている」という自覚症状がないまま、過酷な状況に慣れてしまっているケースが多いということを知っているのだろうか?

なんら休息に関する法案がない状況で ホワイトカラーエグゼンプションを導入してしまったら、働き続ける人々を量産する可能性は高い。

そもそもなぜ、人は働き続けてしまうのか。その謎は、ネズミを使った実験により解明されている。

“ネズミの過労死実験”は、「疲労研究班」(20以上の大学や機関の研究者で構成された文部科学省主導の研究会。平成11~16年にわたって様々な研究を行っている)が行った実験で明らかになった。この実験では、ネズミを10日間、毎日水槽で30分間泳がせることで、「働き続けるメカニズム」を検討したのだ。ちなみに、ネズミは泳げる動物なので、おぼれることなく必死で30分間泳ぎ続けることが可能だそうだ。

強制的に水槽遊泳を強いられたネズミは、どうなったのか?

1日目。仕事=水槽で30分泳ぎ続けると、その後、ネズミは疲れ果てた様子で、ぐったり寝てしまい1時間ほど起きてこなかった。

そして2日目。この日も初日同様、仕事のあとは1時間程度、寝入ってしまった。

ところが3日目、ネズミの行動に変化が起きる。仕事後は初日、2日目と同じように寝てしまうのだが、40分程度で起き上がり、1週間たつと、寝るには寝るが睡眠時間はわずか5分と急激に減少したのだ。

さらに10日目に、劇的な変化が起きた。

30分泳ぎ続けるという過酷な“労働”を終えたネズミは、寝ることもなく平然と動き始めたのである。10日間過重労働を経験することで、過酷な労働に耐えられる“スーパーネズミ”が誕生してしまったのである。

「へ〜、ネズミも鍛えられるんだね」などと解釈しては大間違い。

“スーパーネズミ”は、何も泳ぎ続けたことで筋力がついたとか、体力がついたことで誕生したんじゃない。そうではなく、脳の中にある「疲れの見張り番」と呼ばれる、危険な状態になることを防いで安全装置の働きをする部分が機能しなくなった結果、誕生したのである。

動物の前頭葉の下の部分には、疲れを感知すると脳幹に「疲れているので、休んでください」という信号を送る「疲れの見張り番」のようなセンサーがある。ここから指示が出されると、指示を受けた脳幹は神経細胞を通してセロトニンを分泌する。セロトニンが分泌されると、脳は休ませるために活動を抑える。その結果、元気な状態を取り戻すのである。

ところが、見張り番から「休んでください!」という指令が送られても、無視して活動をし続けると、見張り番自体が疲弊してしまい「休んでください」という指令を送れなくなる。指示が出ないわけだから、「疲れている」と自覚できない。その結果、疲れを感じることなく働き続ける、“スーパーネズミ”が出来上がるのだ。

よく過酷な労働状態に置かれているにもかかわらず、「忙しいのにも慣れちゃったよ」などと言う人がいるが、これは慣れているのではなく、感じなくなっているだけで、慣れたと思っている時ほど、危険な状態なのだ。

私にも、「見張り番が疲弊していたのかもしれない」という経験がある。

ある時期、1日の睡眠時間がしばらくの間、3~4時間だったことがある。最初の頃は、あまりの眠さに電車で何度も寝過ごしてしまったり、起きるのがつらかったり、気がつくと机にうつ伏せになっていた。なのに「目覚ましをかけずに寝続ける」勇気もなければ、「今日は休もう!」とオフ日を作る勇気もなかった。「やらなきゃ」という強迫観念が強すぎて、休むことに勝手に罪悪感を覚え、“泳ぎ続けた”。

ところが、いつの間にかそんな苦しさがなくなった。睡眠時間が3~4時間でも平気になったのである。

「人間って、どんな過酷な状況も慣れるんだよね。人間ってなんでも結構出来ちゃうものなんだよ」などと平然と、そして少しだけ自慢げに友人に語っていたのである。

今考えればあの頃はただ、疲れている自覚がないだけだったと思う。

『柔軟な働き方』というと耳触りはいいが、よほど自分の仕事と自分の存在価値に自信がない限り、働き続ける道を選んでしまう困った柔軟性を人間は持ち合わせていることを忘れてはならない。

会社は自分を守ってくれやしない。

「おい地獄さ行ぐんだで!」。これは小林多喜二の『蟹工船』の最初のフレーズだが、今世の中は、自分が「地獄に向かっている」ことに気がつかないまま、地獄に向かおうとしているように思えてならない。

そして、もし、あなたが「俺って、ひょっとしたら“スーパーネズミ”になっているかもしれない」と感じたなら、強制的に、どんなに「疲れていない」と思っていても、とにかく寝てください。眠れなくとも布団に入ってウツラウツラしてほしいと、心から望んでいます。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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