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小保方さんの”捏造”は、誰の仕業だったのか?

河合薫健康社会学者(Ph.D)
著作者:geirt.com

あの晩の華やかな記者発表は、一体何だったのだろう。

巻き髪の若き研究者が、「誰も信じてくれなかった。今日、一日だけがんばろう。そう思ってやってきました」と語った姿には、嘘はなかった。多分、その気持ちに嘘はなかったんだと思う。

だが、結果は捏造。「研究者としての未熟さだけに帰することのできるものではない」として、捏造を認めた。

確かに決してやってはいけないことを、小保方さんはやってしまったのかもしれない。でも、彼女はここまで、人非人扱いされるほどの罪を犯したのだろうか?

いや、言い方を変えよう。小保方さんは入ってはいけない領域に手を出した。それは紛れもない事実だ。だが、どうにもスッキリしないです。もし、彼女がトークンとしての”女性”じゃなかったら……、そんな思いが消えないのである。

トークンとは、「目につきやすいもの、目立つもの」を意味し、少数派やマイノリティはトークンになりやすい。トークンは、「珍しい存在」であるがゆえに、見せもの的な立場に置かれ、ときにさまざまなプレッシャーを経験する。その状態から引き起こされるさまざまな現象を、トークニズムという。 

どこの企業でもそうであるように、研究者の世界でも女性の積極的活用が勧められている。「女性研究者 助成金」くらいのキーワードでググってみれば、さまざまな大学、財団、一般企業が、いかに女性研究者の育成に積極的であるかが、お分かりになると思う。

理化学研究所もかなり積極的で、「科学だけでなく、男女共同参画の問題でも最先端の施策を実現し、女性研究者がやる気を出せる、日本のモデル研究所となるよう努力している」のだという。

もし、小保方さんが女性じゃなかったら……。

1月29日のマスコミ向けの、ちょっとだけ華やかな記者発表もなかったかもしれないし、マスコミ報道がここまで加熱することにもならなかっただろうし、世界中の研究者たちが、ネイチャーに掲載された論文を、ここまであら探しすることもなかったに違いない。 いや、それ以前に、小保方さんが30歳という若さで、ユニットリーダーになることもなかったかもしれない。

そもそも、アカデミックの世界、メディアの世界、おカネの世界は、融合しづらいものだ。学問という単純には白黒つけられないものと、白か黒かでニュースにしたがるマスコミ。自己の内発的動機主体で行われる研究と、利益を上げざるをえない医療産業。

その相容れないもの同士が結びついた現代の社会構造に、トークンとしての「女性」が加わったことで、問題はより複雑に、そして、陰湿になった。

特に先々週の週刊誌でのバッシングは、明らかに一線を超えていた。 ときにマスコミは、人間の中に潜む闇の感情を引き出す“悪の装置”と化す。と同時に、世間の人たちの“闇”を匿名化し、消費させる都合のいい装置でもある。

マスコミだけでなく、フェイスブックやツイッターなどでも、悪趣味なジョークが飛び交っていたのだ。

そこで、今回の一連の問題を反面教師に、「トークンとしての女性」について、考えてみようと思います。

「トークン=目立つ存在」と位置付け、プラス面とマイナス面を明らかにしたのが、米ハーバード大学経営大学院教授のロザベス・モス・カンターである。

カンターは1970年代、5年間ほど、外部コンサルタントとして働いていたインダスコ社という企業で、トークンとしての「女性」の存在に着目し、記録したエスノグラフィーを、「Men and Women of the Corporation(邦題:企業のなかの男と女)」は私も何度も読み、たくさんの示唆を得た名著である。

インダスコ社の上級職、特にセールス部門の女性は、非常に目立つ存在で常に注目を集めていた。彼女たちは常にゴシップの的で、社内中の誰もが彼女たちのネタを歓迎し、報告しあうのが日常だった。そして、大抵の場合、それらは“悪意”をもって伝えられていた。ゴシップの9割以上は、仕事以外のこと。つまり、トークンとしての女性にプライバシーはなかったのである。

しかしながら、トークンが有利になることもあった。多くの男性は、上司やお客さんに覚えてもらう、ありとあらゆる努力をしていたが、女性たちは「女」というだけで覚えてもらえた。

営業の上級職の女性が売り上げトップになると社内中に知れ渡ったが、男性がトップになっても話題にならない。

トークンとしての女性は、その存在を認めさせるという意味では、実に有利だったのである。

が、それは「最初の失敗をするまで」。たった一回でも失敗をすると、男性との関係、服装、髪型、言葉遣い、など、仕事とは全く関係ないゴシップが陰湿になり、「だから、失敗するんだ」と厳しい視線を浴びせられ、全否定された。

さらに、トークンは会社の経営陣の男性たちから、利用されることもあった。その一説を以下に抜粋する。

ある上級職の女性は、取締役会の会長上層部から、ある昼食会に出席するように要請された(このとき会の趣旨は教えてもらえなかった)。会食の当日、副社長が彼女のエスコート役として、彼女を迎えにきた。彼女は会場に着いて初めて、会食が各社の役員の集まりであることを知った。しかしながら、彼女の名前は参加者リストにはなく、代わりに男性役員の名前が登録されていたのだ。

インダスコ社の会長は、「わが社には、男性エスコートを付けるほどの、優秀な『女性』がいる。そういった女性をわが社では登用している」ということを社内外に、アピールするために彼女を呼んだのだった。

彼女のプライドを全く無視し、彼女をまるでショーケースの展示品のように扱ったのである。

その上級職の女性は、「まるでデートに連れ出されたようだった。私は何かの功績ある女性としてではなく、ただの女性として招かれた。屈辱だった」と語った。

念のため繰り返すが、このエスノグラフィーは1970年のものだ。だが、今から40年以上前の、このときの状況と同じことが、日本社会で起きてはいやしないか?

ノーベル賞級の大発見だ! 割烹着だの、どこそこの指輪だの、と大騒ぎしたマスコミ。論文発表から相次いだ、論文に関するさまざまな指摘。挙句の果てに行きついた、下劣なバッシングの数々。

その背後には、「なんで、あの人だけ評価されるわけ?」「なんで、自分が選ばれないで、彼女になったわけ?」「所詮、女っていうだけで、選ばれたんだろう?」

そんな嫉妬が、どこかにあったんじゃないだろうか。

不思議なもんで、人間というのは嫉妬する自分を恥ずかしいと思うらしい。だから、必死にその嫉妬心を隠すために、一瞬でも“あら”を見つけると、正義を振りかざす。

これって、倫理的にどうなのよ? 上司としてどうなのよ? 職業人としてどうなのよ? 責任とってないでしょ? といった具合に、だ。

そんないくつもの理性を凌駕した感情の波が、今回の問題を膨張させた。そう考えると、なんだかとんでもなく複雑な思いになってしまうのである。

小保方さんがあの若さで、確固たる業績もない状況で、ユニットリーダーとなったのは、なぜか? そこに”女性活用”という変数が入ってはいなかったか?

「それと捏造は関係ないだろ?」

そうかもしれない。

でも、トークンのプラスとマイナスの両極が、事件の引き金となったことは、否定できないと思う。

少なくとも トークンとなるチャンスを与えた人(=上司)も、目立つ存在となるチャンスを得た本人も、締めすぎるほど、脇を締めなきゃならなかった。

だって、「女性」というだけで注目されるのだ。

「ホラ、やっぱり女だからね」と言われないように、共同研究者の先生方も、どこから突かれても、正々堂々と主張できるものに論文を仕上げなければならなかった。もし、本当に小保方さんの発見に研究者として価値を見出し、若き研究者の芽を活かしたいと思っていたならば、だ。

そして、小保方さんは……、私は彼女が若かったことが、結果的に不幸な方向につながってしまったと考えている。

彼女は、トークンとしての女性を経験していなかった。いや、経験したとしても、若さゆえの大胆さが、裏目に出てしまったのかもしれない。

「周りに何を言われても関係ない!」――。若いとき、私はよくこんな風に思っていた。

男性ばかりの天気予報の現場で、男性の出演者の多いテレビの報道番組で、男性ばかりが講師を務める講演会で、男性の年配の偉い先生ばかりが集うシンポジウムで、私は恥ずかしげもなくノースリーブや、背中の大きく開いた派手な服装で出向いた。服装を注意されたりすることがあっても、「中身がしっかりしてれば、それでいいじゃん」――。そんな風に、いつも思っていたのだ。

だが、年齢を重ねて、自分が見えてくると、自分がいかに未熟で中身もしっかりしていなくて、いかに大胆だったかを知り、恥ずかしくなった。

「くだらないことでケチをつけられることほど、くだらないことはないので、そんなくだらないことでケチ付けられないようにしよう」――。そんな風に考えるようになった。

「どこから突っ込まれても、完璧にしなきゃ」と必死になった。「100点じゃなく、180点目指そう」。そう思うようになった。

ただ、これまた不思議なもんで、最近はまた、ちょっとだけ大胆さを取り戻している。開き直り? いや、違う。図々しくなった? そうかもしれない。いずれにしても、“今”に至るには、20年もの歳月がかかっている。

そして、今。失敗を失敗にさせなかった周りの“オトナ”たちに深く感謝している。失敗しても、追い詰められることがなかったのは、周りの人たちの力なくしてありえなかった。

未熟だからこそおもしろくもあり、若さゆえの大胆さが、世の中を変えることもある。それをプラスに導くもの……。「研究者として、 けしからん!」とただただ断罪する前に、それを今一度、誰もが考えなきゃいけないんだと思う。

健康社会学者(Ph.D)

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。 新刊『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか』話題沸騰中(https://amzn.asia/d/6ypJ2bt)。「人の働き方は環境がつくる」をテーマに学術研究、執筆メディア活動。働く人々のインタビューをフィールドワークとして、その数は900人超。ベストセラー「他人をバカにしたがる男たち」「コロナショックと昭和おじさん社会」「残念な職場」「THE HOPE 50歳はどこへ消えたー半径3メートルの幸福論」等多数。

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