東京モーターショーが終わった。

来場者数は81万2500人で、前回の9割。約9万人もの来場が減ったことになる。

理由は様々にあるのだけれど、最も大きな理由としては、自動車がいま、曲がり角にある存在だ、ということなのだろうと僕は考えている。

かつて自動車には、夢と希望と憧れがあった。

しかし現在は、自動車に対する夢や希望や憧れが薄れつつある。

現在、自動車はあくまでも生活に寄り添う道具の側面が主たる性能であり、例えば楽しさや気持ち良さ、そしてそこから派生する愛着や感情の様々、そしてそれらが織り成す夢や希望や憧れを抱いている人は、実はそう多くはない。

いや、正確に言えば、夢や希望や憧れを抱く人はそれなりのボリュームこそあるのだけれども、決して世の中のスタンダードではないのが実際なのだ。

我々クルマ好きは、それを認識しないといけないと思う。

一般の方々は我々が思っている以上に、自動車に対して夢や希望や憧れを抱いていない。ましてや抱く対象も、ほとんど存在しない。

そうした大前提を踏まえた上で、一般の方々の意識にインパクトを与えるほどのものがなければ、自動車は確実に、無意識のもとに使われる道具になる以外ない。

だからそれを防ぐには、それを手にして、所有して、動かした人々の気持ちに、なんらかの動きをもたらすものが必要。だが、そこに至るには、相当の何かが必要になるのではないだろうか? と思う。

すでに20世紀で尽くされた手法に、多くの人が飽き始めている。

スポーツカーのコンセプトは特に新しい何かを提案しているわけではない。ならば一方で普遍の魅力を伝えているかというと、それはクルマ好きにしか響かない要素でもある。

ハイパフォーマンスカーは予定調和なアップデートをしていて、抜本的な変化を提示しているのは、テスラ・モデルSのP85Dくらいだろうか? しかしそれもあくまで、限られた人のものだ。

そしてコンセプトモデルは”ジャスト”なコンセプトで、明日実現する可能性が薄く、暖かい目で見なければ「それで?」と思われても仕方ないもの…。

一方で多くの人が手にする自動車は、道具として極めて優秀でその範囲で選べばどれも同じような画一的なもの…。

こうした状況では、一般の方々に自動車は、気にしてすらもらえないのではないか? と思うのだ。

いや、今後の自動車を支える層にミートすれば良い、というならそれはひとつの回答だろう。けれど、僕はそれでは、この世界は徐々に狭まっていく以外の運命がないとも思えるのだ。

いまや僕自身に問うてみても、自動車に対して夢や希望や憧れが薄くなりつつある気がする。自動車が大好きで、それを仕事として選び、感謝しきれないほどの存在である自動車に生かされている僕の中にも、影が見えている。悲しいことに。その意味でも本当に、自動車は曲がり角にあると思う。

いやむしろ世の中的には、自動車なんてあってもなくても…という感覚が主流になりつつある。信じたくはないけれど、そういう感覚を知っておかなければいけないとも思う。自動車を愛するがゆえに。

けれど、それでも僕は自動車に、夢や希望や憧れをもたらす力があるはずだと信じている。

もちろん今や自動車なんて…という時代にありつつあることは、クルマ好きならば真っ先に認識すべきことだろう。

だが、そうした状況を認識してもなお、自動車への夢や希望や憧れを持ち続けられる場所を探して確保していこうと思うし、できることならばそれを広げたいとも思っている。

しかしこれから先の時代では、自動車において、さらに夢や希望や憧れが薄まっていくことは間違いない。

しかし、そうした状況の中で、果たして自動車を愛し続けることができるかが、我々クルマ好きには問われているのだと僕は思う。

そして同時に、こんな風に思ったのは全くの見当違いだったと思えるような、我々を心からドキドキ、ワクワクとさせてくれる自動車が登場してくれて、我々的にも、世の中的にも注目されるだろうことも願っている。

とはいえ時代は変わって、多くの人にとっての興味は自動車以外の様々へと広がった。そしてもはや世の中の多くは、自動車なんて…という気運になっている。

そうした中で、自動車を愛することができるのだろうか?

僕はいま、それを自分の中で、何度もなんども噛み締めているのだ。

※この原稿は、河口まなぶのブログ( http://navionthewheels.jp/kawaguchi/2015/11/15/post-788/ )からの転載となります。また使用した写真は、原稿の内容とは関係ないものとなりますことをご理解いただければと思います。