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JFLに昇格したコバルトーレ女川。ホームタウンと歩む物語

川端康生フリーライター
1313人がエールを送った(筆者撮影)

 最初のゴールが決まったのは前半19分だった。

 右サイドのスローインから吉田がドリブルで相手DFをかわしてペナルティエリアへ。ゴール前へ入れた鋭いグランダーは相手DFに当たっただろうか。ボールがファーサイドに流れたところに地元出身、それも下部組織から昇格したばかりのルーキーが走り込んでいた。

 左足で合わせてゴール。ジャンプして喜ぶ及川をチームメイトたちが取り囲む。ホームチームの先制弾。ほぼ満員のメインスタンドも歓声に包まれる。コバルトーレ女川、JFLでの初めてのホームゲーム、そして初めての歓喜の瞬間だった。

ようやくここまで辿り着いた

 チーム創設は2006年だから12年に及ぶ道のりだったことになる。石巻市民リーグからスタートしたチームは、宮城県リーグを経て、東北リーグに昇格。2010年にはその1部で戦っていた。

 しかし2011年、あの日が訪れる。震源から近く、リアス式海岸の港町の被害は甚大だった。町民の8%が犠牲になる未曾有の事態(実に12人に一人である)。チームもクラブハウスや選手寮を失ったが、あの時点でクラブがまず考えたのは、サッカーではなく、自らも含めたホームタウンの日々の生活と、その回復だったに違いない。

 結果、チームは1年間の活動停止を決定する。そして選手は「町民」として復旧と復興に取り組むことになる。

 ようやく練習を再開できたのは半年後の9月。リーグに復帰できたのは1年後の2012年4月だった。その年、東北リーグ1部に再昇格したチームは、雌伏の時を経て、ついに昨年、東北リーグと地域チャンピオンズリーグを制し、国内4部リーグ(J3の下)にあたるJFLへの昇格を勝ち取る。

 この日、石巻フットボール場で行われたホーム開幕戦は、そんなコバルトーレの地元でのお披露目試合でもあった。

コバルトブルーの子供たち

「ここまで3試合アウェイゲームで、地元のみなさんに見てもらう機会がなかったので、今日は自分たちのサッカーを思う存分発揮しようと話して、選手たちを送り出した」

 そんな村田監督の言葉通り、キックオフからコバルトーレはボールを前へ前へと運んだ。守備ラインも積極的に押し上げ、意気込みの感じられる戦いぶりだった。

 そして、その裏返しとして相手のラインメール青森に高いラインの背後をとられるシーンも多かった。カウンターからピンチを招く場面が続いた。

 それでもGK近嵐が再三ビッグセーブ。前半はコーナーキックからの1失点で凌いだ。

 ハーフタイム。バックスタンドへ回ってみたら元気な子供たちが芝生を駆け回っていた。みんなチームと同じコバルトブルーのユニホームを着ている。男子に交じって女の子の姿もあった。チーム創設からの12年間が垣間見える風景だった。

 そもそもコバルトーレは女川町の活性化施策の一環として誕生した。町が抱えていた課題――高齢化や人口減に歯止めをかけるため、スポーツによる活気の再生と、若年人口の増加を目的に設立されたチームなのである。

 だから選手たちは女川町や石巻市などの企業で正社員として雇用され、町民として暮らす。選手としてサッカーをプレーするだけでなく、貴重な労働力として働き、地域の祭りやイベントに参加し、サッカースクールで子供たちとも接するのである。

 そうした方針は、チーム創設の翌年に早くもジュニアユースチームを発足したことからも窺える。その翌年にはユース世代の指導も開始。そういえば震災後、トップチームの練習開始は半年後だったが、子供たちのサッカースクールは1ヶ月後には再開したという。

「コバルトーレ」が、単にJリーグを目指すチームではなく、女川の未来を賭けたプロジェクトであることがよくわかるエピソードだ。

スタンドには子供たちの姿が目立った(筆者撮影)
スタンドには子供たちの姿が目立った(筆者撮影)

Jリーグへの道

 後半の始まりに勝ち越しを許したコバルトーレは、試合の終わり際にも失点。1対3で敗れ、ホーム開幕戦を勝利で飾ることはできなかった。

「チャンスを作れたし、あとは決められるかどうか。相手はワンチャンスを決めている。決定力の差ということに……」

 試合後にそう振り返った村田監督が「ここまで4試合やってみて、どのチームとも互角に戦えるとは感じた。でも勝ち点をとれるかどうかはまた別」と付け加えたように、局面では十分渡り合っていたものの、試合の流れや時間帯に応じたゲームマネジメントや攻めているときのリスクマネジメントなど、まだまだレベルアップが必要な部分が見えた試合でもあった。

 それはクラブやゲームの運営に関しても同じだ。初めての全国リーグ、そして初めての有料試合開催と、選手同様、これから学習と経験の日々が始まることになる。

 経営面でも昨年までの地域リーグとは違う領域に入る。単純な話、このゲームを迎えるまでのアウェイ3試合で静岡、滋賀、宮崎と遠征し、次戦は愛知である。選手のコンディション調整も大変だが、かかるコストもこれまでとは比べようがないはず。

 Jリーグへの道はチーム(監督や選手)だけで進めるわけではないということだ。

 森と海はつながっている

 道が平坦でないのはホームタウンも同じ。女川スポーツコミュニティ構想を立ち上げ、コバルトーレを設立した当時、1万人を超えていた人口は震災を機に急減。一時は原発避難地域を除き全国最高率となる37%減も記録した。歯止めをかけるどころか過疎化は進む一方だ。現在の町民は6660人である。

 それでも――震災から1年、活動を休止していたチームが東北リーグ2部に復帰した最初の試合を応援に来てくれた人は500人だったという。それでも嬉しくてありがたくてしょうがなかったと聞いた。

 7年が経ったこの日、チームはJFLまで辿り着き、その最初のホームゲームを見に1313人が駆けつけた。最初のゴールを地元出身の選手が決め、そのゴールをたくさんの子供たちが見た。そこには笑顔と未来があった。

 チーム創設から、そしてあの日から、時間を積み重ねてきたからこそ成し遂げられた景色があった。

 森と海はつながっているという。ここにはそれを知っている人たちがいる。いま森を育てれば、いつか必ず海が豊かになることを知っている人たちの町だ。

 だから――女川とコバルトーレの物語は、きっと長く続いていく。

フリーライター

1965年生まれ。早稲田大学中退後、『週刊宝石』にて経済を中心に社会、芸能、スポーツなどを取材。1990年以後はスポーツ誌を中心に一般誌、ビジネス誌などで執筆。著書に『冒険者たち』(学研)、『星屑たち』(双葉社)、『日韓ワールドカップの覚書』(講談社)、『東京マラソンの舞台裏』(枻出版)など。

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