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6年目のベガルタ仙台

川端康生フリーライター

固かった仙台

試合は黙祷から始まった。

あれから6年目、ベガルタ仙台にとって初めて「3月11日」に迎えるホームゲームだった。

最初のチャンスはキックオフから10分が経った頃。しかし、梁勇基の左足から放たれたシュートはバーの上へ。もしかしたら力みがあったかもしれない。

「この日のゲームが決まったときから、その重さや意味を感じて準備してきた。選手も色んな思いを背負っていて、特に前半は固さがあった。もっと伸び伸びプレーさせてやれればよかった」(渡辺監督)

そのまま膠着した展開となった前半はスコアレスで終える。

仙台の攻撃に関して言えば、前線で石原がDFラインと駆け引きしながら裏を狙ったり、くさびを受けに下りてきたりするが、効果的なボールはほとんど渡らなかった。

ネルシーニョ采配

ハーフタイム、ヴィッセル神戸のネルシーニョ監督が動く。田中に代えてウエスクレイ。これがハマった。

後半開始から50秒、大森がゴール。さらに5分後、今度は藤田がゴール。いずれもペナルティアーク付近からのシュートで、あっという間に2点を奪ったのだ。

どちらもポイントになったのはウエスクレイだった。先制点では右サイドに流れて、追加点では中央でボールをキープ。そこにマークが集中したところをつなぎ切り、スペースの生まれたバイタルエリアで大森と藤田が個人技を発揮した。

その後は追いかける仙台が攻撃を仕掛ける時間になった。ヴォルテージを上げたスタンドの声援が、そんな攻撃に拍車をかけた。

しかし、サイドからのアタックは待ち構えるディフェンスに、やっぱりハマっていた。何本かゴールマウスを襲うシュートも放った。だが、いずれもGKにキャッチ。ゴールラインを割ることができず、仙台はそのまま0対2で敗れた。

「これまでの相手と違い、神戸は我々の攻撃に対策をしてきた。ミラーゲームになると難しい。何とかズラす工夫をしたが、最後のところの精度、過程での小さなミスもあり……」

渡辺監督がそう振り返った通りの試合だった。

満月の夕とカントリーロード

ともに震災を経験したチーム同士の対戦となったこの日のスタジアムでは、大型ビジョンでそれぞれのホームタウンの映像も流された。改めて思ったのはこの20数年間のJリーグと日本の歩みだった。

阪神大震災があった1995年はJリーグ創設からまだ2年後。当時、Jリーグは14チーム(もちろんJ1のみ)。まだ被災地とも復興とも結び付けて考えられる存在ではなかった。スポーツで言うならラグビーと野球がその象徴だった気がする。

それが変わったのはいつからだったろうか。はっきり覚えているのは2004年に中越地震に起きたときだ。アルビレックス新潟のホームタウンが……そんな意識をすべてのサッカーファンが持った。そして支援に乗り出した。色んなクラブのサポーターが被災地に入り活動していた。

しかも、それは「サッカー」の枠に留まるものではなかった。彼らの中にボランティア意識が育まれていたからだ。

もしかしたら若い読者は首をかしげるかもしれない。でも、そんなものはかつての日本ではごく一部の人の話だったのだ。それどころか“胡散臭く”みられることさえあった。

それがJリーグ以降、はっきり変わった。老若男女が抵抗感なく取り組むようになった。「スポーツ文化の醸成」を掲げて進んできたJリーグが産み落とした最大の副産物、それはサポーターとボランティアだった――そう言いたくなるほど変わった。

6年前の東北、昨年の熊本。Jクラブを中心にして結ばれたコミュニケーションが組織だった活動を実現する例はいくつもあった。彼らのネットワークと行動力、そしてこの20数年の間に培ってきた地域との関係。それがいま「サッカーの力」と呼んでいるものの中身……。

「満月の夕」と「カントリーロード」の間で起きたことを思い出しながら、改めてそんなことを考えていた。

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未来へ

特別な試合を勝利で飾れなかった渡辺監督の痛恨の弁は、6年前を振り返りながら続いていた。

「あのときはとにかく絶対負けない、それ以上のことは考えられなかった」

発災から1ヶ月半、リーグ再開初戦での勝利は忘れがたい。相手は川崎フロンターレ。スタンドが黄色い塊に見えた。

ホイッスルと同時に込み上げてきた衝動、気がつけば握り締めていた拳の固さ、何の涙だかもうわからなくなった身体の震え(勝ったからだけではなかった)――サポーターの回想を集約すればそんな感じだっただろうか。

そして、あの試合の勝利から「負けない仙台」の進撃が始まったのだった。あのシーズン4位。そして翌年は2位。

でも、その後は……とうなだれるサポーターには伝えたい。

あのフロンターレ戦、あそこからまた始まったのだ。あの固く結ばれたスタンドに響き渡った歌声こそが、2013年、仙台駅をはさんだ向こう側でこだました「あとひとつ」へとつながる始まりの合図だったのだ。

ベガルタに歓喜はまだ訪れていないかもしれない。それでも、また始めるために必要だったエネルギーの膨大さを僕たちは知っている。仙台と東北の「底力」を知っている。

渡辺監督が言っていた。

「今日の負けは悔しい。でも今日だけで仙台はダメだとは思わない。これからも負けないサッカーを見せなきゃいけない。やっぱり勝たなきゃいけない。もっと強くならなければ。我々に変えられるのは未来だけだから」

未来へ。故郷の道を。幸せな旅路が続くのだ。

フリーライター

1965年生まれ。早稲田大学中退後、『週刊宝石』にて経済を中心に社会、芸能、スポーツなどを取材。1990年以後はスポーツ誌を中心に一般誌、ビジネス誌などで執筆。著書に『冒険者たち』(学研)、『星屑たち』(双葉社)、『日韓ワールドカップの覚書』(講談社)、『東京マラソンの舞台裏』(枻出版)など。

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