「東京マラソン」を巡って(1)

30万人が応募。競争率10倍!

2月22日、「東京マラソン」が開催される。始まったのは2007年だったから、早いもので9回目。今年も首都東京を3万5500人が走る。

ちなみに応募は今回も30万人を超えた(競争率は実に10倍!)。市民ランナー垂涎の人気イベントであることはもちろん、東京の冬の風物詩としてすっかり定着した感がある。

もっとも最初にこの計画を耳にしたとき、正直に言って僕は懐疑的だった。

2003年11月(第1回大会が行なわれる3年半前)、当時の石原慎太郎都知事が定例会見で表明した大会案が、あまりに壮大だったからだ。

3万人規模の市民マラソン。

しかもコースは都心のメインストリート。それどころか「銀座」なんて地名まで飛び出したのである。

東京で大規模市民マラソン? しかも3万人? 銀座を走る? そんなことが可能なのか?

まさに「?」連発。それは実現困難な計画に思えた。

「東京」という難関

そもそも「東京」で市民マラソンの開催などできるのか、それが疑問だった。

実は、それまでにも首都を舞台にした市民マラソン構想がなかったわけではない。しかし「東京マラソン」までそのどれもが実現することはなかった。

理由はマラソンという競技の特性にある。

言うまでもなく「マラソン」は道路を舞台にして行なわれるスポーツである。他の陸上競技のようにトラックやフィールドで行なわれるわけでも、野球やサッカーのようにドームやスタジアムで行なわれるわけでもない。

つまり普段は自動車や歩行者が使用している道路を、ランナーのために開放してもらわなければ、マラソンという競技は実現できないのである。

言い換えれば、マラソンを開催するためには、自動車を締め出し、歩行者を遮り、道路を空けなければならないということだ。

そんなことが、政治、経済の中心地であり、物流の要所でもある首都で、もちろん人口が密集し、交通量も多い大都市で、つまり「東京」でできるのか――いや、そんなことが許してもらえるのか。

それが最初の印象だったのである。

道路だけではない。

影響は沿道にも及ぶ。そこには住民も暮らしていれば、企業や商店も事業を営んでいる。道路の規制によって車の出入りができなくなれば、生活や営業に支障が出ることになる。もちろん観衆が増えれば増えるほど沿道の住民や商店への支障も大きくなる。

とにかく42.195キロにわたって、あらゆることが滞る危険性がある。

滞るのは一般の交通だけではない。

この手の話をすると「渋滞くらい我慢すればいい」とか「外出しないから大丈夫」と言う人がいるが、話はそう単純ではないのだ。

たとえば火事が発生したらどうするか。道路はランナーで埋め尽くされている。消防車が走れない。

どこかの家で急病人が出たら? 救急車が辿り着けなかったばかりに……なんて悲劇も起きかねない。

もちろんパトカーも含めた、あらゆる緊急車両の出動が滞ってしまう危険性さえあるのだ(現在的なニュースを反映すれば、テロが起きたら、地震が発生したら……と付け加えてもいい)。

「3万人」という超難関

実は東京の、それも都心を走る大会が過去にまったくなかったわけではない。

「東京シティハーフマラソン」だ。新宿の東京都庁をスタートして、靖国通りを通り、大井競馬場にゴールするコース。都心の真ん中を西から東へ横断するコース設定は、現在の「東京マラソン」とかなり似ている。

僕も出たことがあるが、新宿から飯田橋へ向かって、ずっと下りが続き、東京が海へ向かってなだらかに低くなっていることを実感しながら走った記憶がある。

余談交じりに続ければ、湾岸エリアに入ってからはいくつか“太鼓橋”を上り下りしなければならず、終盤はかなりバテてしまったのだが、そんな小さなアップダウンはエリートランナーにとっては大した障害にはならないらしく、好記録が続出する大会でもあった(日本最高、もしかしたら世界最高記録も出たのではないか。ただしIAAF非公認)。

そう、この「東京シティハーフマラソン」はエリートランナーも出場する大会だったのだ。その点でも「東京マラソン」に近い。

しかし、名前の通り「ハーフマラソン」。フルマラソンの大会ではなかった。それでも都心を走れる大会として人気があったと思うが、残念ながら1998年に終了してしまう。

その後継大会として翌年には「東京ハーフマラソン」が始まった。

ただし、コースは「東京」とはいえ湾岸部(お台場)に限定され、都心からは遠のいて設定された。「東京シティ――」からのコース変更の理由が「交通」にあったことは間違いないだろう。やはり「都心」では交通への影響が大きすぎたのだ。しかも、この大会は2年という短命に終わる。

さらに2002年には「東京シティロードレース」が誕生し、日比谷公園スタート、国立競技場フィニッシュと都心にコース設定されたが、距離はわずかに10キロ。

もちろん最高のロケーションでの大会を実現した人々には敬意を表さなければならない(と、わざわざ書いているのは「東京での市民マラソン」に精力的に動いていた彼らが、東京マラソン実現を導いた背景があるからだ)が、さすがに「10キロ」では「マラソン」と呼ぶにはさびしい。

要するに、それまでにあった大会はすべて「ハーフ」以下。フルマラソンの大会が首都・東京で開催されたことはなかったのである。

そこに飛び出してきたのが「東京マラソン」の計画だった。

もちろんフルマラソン。それどころか「3万人」と言い出したのだから、驚いたのも当然だろう。

それまでの市民マラソンでは「那覇マラソン」などの約2万人が最多、3万人はこれを大きく上回る。それどころかロンドンマラソンやボストンマラソンといった世界最大級の大会と肩を並べる規模である。

つまり「東京」というただでさえ高いハードルを、「3万人」によってさらに高く上げてしまったのである。

「7時間」という最難関

しかも、その3万人は市民ランナーである。

エリートランナーだけが出場する大会ならレースは2時間半か3時間で終わる。交通への影響も限定的だ。

だが、市民マラソンではそうはいかない。トップ選手がゴールしたそのとき、多くの市民ランナーはまだ中間点にも達していないのである。

要するに先頭の選手から最後尾のランナーまで、数十キロの帯状に道路は占領し続けられることになる。必然的に交通規制は距離も時間も長くなる。

対策として市民マラソンで設けられるのが「制限時間」だ。ランナーの足切りをすることで、交通規制の時間を最小限に留め、明確化するのである。

国内の市民マラソンでは「5時間」(長い大会では「6時間」)が一般的だった。

ところが東京マラソンはこの制限時間を、なんと「7時間」にすると言い出したのだ。

「東京」で「3万人」の市民マラソンを開催するという実現困難な計画を、またまた難しくしてしまったのである。もはや驚きを通り越して、呆れるレベルである。

しかし(御存知の通り)「東京マラソン」はそんなすべてをクリアして実現にこぎつけてしまうのだ。奇跡的なことに――。(つづく)

1965年生まれ。早稲田大学中退後、『週刊宝石』(光文社)にて経済を中心に社会、芸能、スポーツなどを取材。1990年以後はスポーツ誌を中心に一般誌、ビジネス誌などで執筆。著書に『冒険者たち』(学研)、『星屑たち』(双葉社)、『日韓ワールドカップの覚書』(講談社)、『東京マラソンの舞台裏』(枻出版)など。

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