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パリ五輪2024への再起動。次世代の静かに熱いリスタート

川端暁彦サッカーライター/編集者
合宿最終日の紅白戦では鹿島のFW染野唯月(写真左)が2得点[写真:佐藤博之]

「U-20W杯中止」、そのあとで

 パリ五輪日本代表が始動した——と言ったら少し気の早い話ではあるのだが、世代としての戦いは始まったと言っていい。3月22日から24日にかけて千葉県内で行われたU-20日本代表候補合宿では、「パリ五輪」というワードが頻出した。

 本来、この年代のチームが目指していたのは今年行われるはずだったU-20W杯である。しかし、コロナ禍の影響によって大会は中止となった。チームの活動予定も雲散霧消して不思議はないところだが、日本サッカー協会の反町康治技術委員長は「大会がなくなったからこそ、強化を終わらせてはいけない」と強調する。3年後の2024年に「U-23」となるこの年代の選手たちは、パリ五輪を戦うチームのベースになるからだ。

 U-20日本代表の影山雅永監督(今年から日本サッカー協会ユース育成ダイレクターを兼務)も、「そもそもU-20W杯は彼らの最終目標ではない。もしかすると他の国は大会が中止になったことで強化をやめるのかもしれないが、われわれは継続して活動していく」と言う。同世代の選手たちが集まって刺激し合う環境を残すことで、3年後のパリ五輪、そしてその先のステージへ繋げる橋頭堡としたい考えだ。

 そしてもちろん、U-20W杯があった段階から掲げてきた「個人昇格は大歓迎」(影山監督)という方針にも変わりはない。「今回、DF中野伸哉(サガン鳥栖)が東京五輪の代表候補に呼ばれましたが、『俺のほうが』と思っている選手たちもいると思う」と、世代から飛び抜けていく選手が出てくることによる相乗効果にも期待する。そして同時に「彼らにも言ったのですが、『早く行ったもん勝ち』という世界ではない。『時期はいつであれ、最高レベルで自分自身のプレーを磨き、質を高めていこう』という話をしている」と言う。

世代としての競争の中で

 ただ、そうした「理屈」こそ分かるものの、U-20W杯という目に見える目標が消えてしまってからの合宿とあって、選手たちのムードはなかなか上がってこないのではないか。そんな懸念も抱いていたのだが、蓋を開けてみれば完全に杞憂だった。

 MF藤田譲瑠チマ(徳島ヴォルティス)は、「(中野)伸哉が選ばれたのは悔しいですけど、まだチャンスもあると思うので、少しでもアピールできればと思っています」と、直近の東京五輪をまだ諦めていない選手もいたのはもちろん、実際の練習の温度感もずっと高いまま維持されていた。

「ここで結果を出してモチベーションを上げていこうと思っていた。しっかり自分の良さを思い切って出す場でもあるし、代表は本当に刺激になるし、良い部分がたくさん出せたのかなと思う」

 こう言って笑ったのは、最終日の紅白戦で2得点だったFW染野唯月(鹿島アントラーズ)。高卒ルーキーだった昨年は負傷で苦しんだが、その反省を踏まえて今季は体作りの部分から見直し、徐々に状態を上げていると言う。所属チームでは必ずしも思うようにいっていないが、その中でも「自分の成長を確認できる」年代別の代表で自身を得られる意義は小さくないようだ。

 所属チームで試合に出られていない選手が多かったこともあり、3日間だけの合宿ながら2日目には選手たちが「キツかった」と口を揃えるタフなトレーニングも実施。縦長に区切ったピッチで攻守の切り替えが連続する4対4(+GK)の対決(勝敗の付く対抗戦形式)などは、かつて日本代表を率いたイビチャ・オシム監督のトレーニングを思い出すようで、やっている側にとっても「キツいけど、楽しい」(FW西川潤=セレッソ大阪)時間だった。

明暗分かれた紅白戦

紅白戦のハーフタイムに指示を伝える内田篤人ロールモデルコーチ[写真:川端暁彦]
紅白戦のハーフタイムに指示を伝える内田篤人ロールモデルコーチ[写真:川端暁彦]

 コロナ禍で国際試合はもちろん、簡単に練習試合も組めない中で、紅白戦をより実戦に近い形で補おうという取り組みを影山監督は継続しており、今回も同様の試みで行われた。また、昨年の女子W杯で審判を務めた国際審判員の山下良美さん、坊薗真琴さん、手代木直美さんがレフェリーとして参加し、国際試合基準の笛を担当。チーム分けについては「組み合わせを考えながら、ぶつかり合いが見られるような形で」(影山監督)真っ二つに割っての対戦を実施した。

 影山監督自身は中立の立場で観戦役に回り、片方を冨樫剛一コーチ、もう片方を内田篤人ロールモデルコーチが指揮。実戦形式で競い合った。所属チームで試合に出られていない選手たちにとっては、実戦の勘を取り戻すという意味もあったようで、「所属チームで試合に出ている・出ていないで早くも差が生まれてきていた」(影山監督)が、そのことを自覚させて取り組みを促すことにも、こうした代表合宿の意味はあるので、これはある意味で狙いどおりだった。

紅白戦の組み合わせ。「ぶつかり合いを見たい」(影山監督)という意図での編成である
紅白戦の組み合わせ。「ぶつかり合いを見たい」(影山監督)という意図での編成である

 試合としては序盤こそオレンジチームがボールを支配して押し込む流れとなるが(これは指揮官の予想どおりだったらしい)、徐々に内田ロールモデルコーチ率いる白チームが盛り返し、染野の2得点で快勝という形に。後半25分限定出場となった藤田の働きも出色で、内容面でもオレンジチームを上回る形となった。

 内田ロールモデルコーチが、試合前に「お前が声を出すんだぞ」と働きかけていたDF佐古真礼(藤枝MYFC)が試合途中に静かになれば、すかさず「お前の声、さっきからきこえないんだけど?」という声が飛び、冨樫コーチも戦術的な変化を加えて相手の隙を作り出そうと知恵を絞る。“両監督”も本気で勝ちにいくムードを作り出し、白熱した攻防となった。

「パリ五輪2024」への過程

 チームは3日間の合宿でいったん解散となったが、今後も継続して活動を続けていくこととなる。影山監督がパリ五輪の指揮を執るといったことが決まっているわけではないだけに、指揮官自身は誰かにバトンを渡す下ごしらえをしているという印象で、実際「チーム戦術の練習はやっていない」と振り返ったとおりの練習内容。個人の意識や戦術的な判断、そして決断の部分に働きかけるコーチングが中心で、互いが互いを高め合う世代としての雰囲気作りにこそ力点が置かれている。

 今後は年下のチームで参加予定のAFC U-23選手権、来年のアジア競技大会といった公式大会の予定もあり、もちろん今度は開催国ではないのだから五輪への予選という関門も待っている。東京五輪まで3カ月余りとなったが、すでに次のパリ五輪への旅も静かにスタートを切っている。

サッカーライター/編集者

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。2002年から育成年代を中心とした取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月をもって野に下り、フリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』を始め、『スポーツナビ』『サッカーキング』『サッカークリニック』『Footballista』『サッカー批評』『サッカーマガジン』『ゲキサカ』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。著書『2050年W杯日本代表優勝プラン』(ソルメディア)ほか。

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