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世界が「私たちの財産」と言う建物を日本人は守れないのか

加藤秀樹構想日本 代表

(1)資本犯罪 ― 文化的大惨事

昨年7月、英エコノミスト誌が「資本犯罪(Capital Crimes)」と題する記事を載せた。そこで、北京の街を拝金主義と虚栄と不透明な手続きで再開発して「鳥の巣」スタジアムなどを建設した2008年北京オリンピックは、スポーツイベントとしては成功でも文化的には大惨事だったとして、日本でも同じことが起こるのではないかと問う。そして1964年オリンピック時の日本橋の上をまたぐ高速道路を挙げ、今回の国立競技場の建て替え、ホテル・オークラ本館の取り壊しなどを紹介している。

日本のマスメディアはほとんどコメントをしていないが、昨年5月に東京虎の門にあるホテル・オークラの建て替え計画が発表されて以来、海外では数多くのメディアが報じてきた。『ニューヨーク・タイムズ』、『ワシントン・ポスト』、『リベラシオン』、国内では建築雑誌『カーサ・ブルータス』から女性誌『リシェス』まで、有力な新聞、雑誌が次々と特集を組んでいる。多くが取り壊しを惜しみ、再考を求める記事だ。

なぜ、日本の一ホテルにすぎないオークラの建て替えが、これほど話題になるのだろうか。

(2)日本の美ともてなし精神が凝縮

ホテル・オークラは、1964年の東京五輪を見据え「世界に通用する日本ならではのホテル」をつくろうと、実業家の大倉喜七郎が私財を投じて計画、谷口吉郎を中心に富本憲吉ら当時の日本を代表する建築家や工芸家たちが力を結集し実現、1962年に開業した。これまでに歴代の米国大統領はじめ世界各国の首脳が宿泊、ジョン・レノンら多くの著名人が定宿にし、愛用してきた。

その魅力は、本館ロビーの空間に凝縮されている。

低めの天井のエントランス・ホールを通り、吹き抜けのロビーに出たときの独特の開放感。一段低くなったロビー奥の雪見障子から差し込む柔らかな光。頭上には「オークラ・ランターン」と呼ばれる水晶が連なるようなペンダント・ライト。梅の花びらのように配置された小さなソファと漆塗りのテーブル、麻の葉を広げたような木組みの格子など、日本の伝統工芸の粋を集めた家具や建具などがすべての来訪者を暖かく迎えてくれる。

広々としたロビーは、いつでも誰をもおおらかに迎え、待ち合わせ、打ち合わせの人々が会話を交わしていても、不思議な静けさに包まれている。何事も経済効率優先の東京では、今や貴重な空間だ。

近年増えた欧米風のラグジュアリーな、あるいはモダンで無機質なロビーでは決して得られない柔らかさを感じる。相当大きな空間であるにもかかわらず、茶室や桂離宮を想わせる。そこには西洋の「足し算」や機械製品ではなく、日本の「引き算」と手仕事の美学がこめられている。まさに日本の「おもてなし」の見本だと思う。

この空間体験は海外の人々にも鮮烈に記憶、共有されている。

(3)「もう二度と泊まらない」

米国のホテル専門家ショーン・マクファーソン氏は「オークラの美意識の精緻さはズバ抜けている」、英国雑誌のアジア支局長フィオナ・ウィルソン氏は「瞬時に日本のデザインだと分かる世界で『ベスト』のロビー」、ドイツ出身のクリエイティブ・ディレクターのトーマス・マイヤー氏は「日本の伝統とモダンが融合した唯一無二の建物。オークラは私たち外国人にとって『東京の顔』」と評す。

英国のファッション・デザイナーのマーガレット・ハウエル氏は「ショック。オークラの独特の雰囲気は流行に左右されず大切に保持し、年月をかけて慈しんできたからこそ。一度壊してしまったら、もう二度と同じものはできない」、米国の建築家スティーブン・ホール氏は「取り壊されるのは悲劇。他の方法を模索して、子供たちに受け継ぐべき」と警告する。

パリ市長助役クリストフ・ジラール氏は、本館ロビーをいじったら「もう二度と泊まらない」。トーマス・マイヤー氏も、今のオークラがなくなったら「東京へ旅する理由がなくなる」とまで言う。建て替えによって常連客とオークラの間に築かれてきた信頼関係は崩れてしまうだろう。それはオークラという顔を通した日本と日本人に対する失望につながる。

英国のインテリア雑誌『モノクル』はwebで保存を求める署名を集めている。イタリアのブランド「ボッテガ・ヴェネタ」はSNS「インスタグラム」でオークラの写真を投稿することを呼びかけ、記憶と価値を共有し拡散している(下記参照)。

ハーバード大学建築学部長の森俊子氏は「オークラのような公共の建物には人々の楽しい思い出が詰まっている。過去と未来をつなぐことに市民も参加すべき」という。

以上のことから言えることは、この問題の本質は、ホテル・オークラの経営判断を通して、日本の知性と品性と誇りが世界から問われているということだ。

(4)問われていることは ― 誇りと志

第一に、半世紀にわたってホテルの建物そのものが賞賛され(前出エコノミスト誌によると「日本の伝統的デザインと1960年代のクールモダニズムが織りなす傑作」)、国内外を問わず大勢の人から愛着と信頼を得ているということは、このホテルが私的なビジネスの道具を越えて、世界的なレベルでの「パブリックな財産」になっているのだ。そのことを日本人が認識しているかどうかが問われている。より一般的な言い方をすると、パブリックすなわち「公共」に関する日本人の意識が問われているのだ。近年、政治家や経済人の間で「日本の若者は自分のことばかり考え、公共精神が希薄になっている。だから道徳をもっと教えないといけない」という声が強まっている。しかしその政治家も経済人もマスメディアも、この件についてほとんど黙している。今問われているのは子供や若者ではなく、日本の大人とりわけ政治や経済のリーダーたちの公共精神なのだ。

第二に、2020年東京オリンピックの決定前後には、あれだけ「おもてなし」だ、「レジェンド」だ、「日本文化発信」の好機だと政府もマスメディアもはやしたてていた。ところが世界が認めているその一大拠点を自ら壊すのでは、日本人の文化水準と誇りが疑われても仕方ないだろう。

富士山、和食、富岡製糸場など近年ユネスコ世界遺産登録が続いている。政治家、経済人、マスメディアの多くから真っ先に出されるコメントが「経済効果」だ。オリンピックも同じだ。これも外国人の間で常に揶揄の対象になっている。これだけ豊かになっても日本人は未だに「エコノミック・アニマル」なのかと。先人がつくり大事に遺してきたもので儲けることばかり考え、自分たちが後世に文化、伝統を遺すという誇りも志もないのかと。

一方で、多くの日本企業が東南アジアなどの遺跡保存に大きい貢献をしている。アフガニスタンの仏教遺跡破壊を多くの日本人が心から悲しんだ。富岡製糸場は取り壊されなかった。そのことについて日本人はこぞって先人の判断を讃え、その結果としての世界遺産登録を祝った。

日本人には知性も品性も誇りも、もちろん十分ある。それを彼らにつきつけてやらねばならない。

第三に、企業経営、経済効率上も疑問視する声が少なくない。

報道によると「ホテル間競争の激化、施設の老朽化、敷地の有効活用」などが建て替えの理由だ。それに対して内外の専門家は、外資系ホテルの多くが高層タワーにあり、オークラはむしろ今の建物と環境を売りにした方が個性と魅力が際立つと指摘する。海外の老舗高級ホテルはまさにそうだ。また、オリンピックは一時の事。急速に高齢化する東京と成熟した人口減少社会を考えると、今からの高層化は周回遅れとも言える。

「施設の老朽化」は建て替えの常套文句だ。しかし六本木の国際文化会館同様、改修で十分対応できる。元々オークラの建物は「国威」を意識していただけに念入りにつくられている。敷地の有効活用といっても、客室数は現在の796室から938室と17%しか増えない(別館含む)。結局、高層タワーで賃貸料を稼ごうということか、と言われても仕方ない。50年という年月が蓄積されたからこそ醸し出される成熟した雰囲気とゲストとの信頼関係は新ビルを「同じコンセプトでつくる」といった表面的なことで継承できるものではない。

大倉喜七郎は大倉財閥の二代目当主だった。ホテル・オークラを建てるにあたって当然ビジネスも考えただろう。しかし先に述べたような公共精神、文化の継承、日本人としての誇り、そしてすべてをひっくるめた日本の「国威」の視点が強くあった。それ故に「必要以上」に金をかけたかもしれない。しかしその「意気込み」と「余裕」こそが50年間で世界中から「私たちの財産」と評価される結果をもたらしたと言えるだろう。これこそが長い目で見た事業の成功ではないのだろうか。ホテル・オークラの経営陣は、半世紀かけて築いたこの成功と名誉を失わないでほしい。

なお、大倉財閥創始者の大倉喜八郎は鹿鳴館や帝国劇場の設立にも関わり、大倉商業学校(現東京経済大学)の創設は当時ヨーロッパでも讃えられたという。喜七郎も札幌オリンピックで有名になった大倉山ジャンプ競技場の建設や日本棋院に対する多大な支援など社会的な貢献も大きい。

(5)日本人の踏ん張りどころ

海外を中心に「暴挙」扱いされているこの建て替え問題を、ホテル・オークラの経営陣や株主(筆頭株主は大倉喜八郎が創業した大成建設)だけの責任にするのは気の毒だと思う。

他人に言われなくても、オークラの価値も評価も分かっているはずだし、創設者の志に反しないかなどずい分議論したことだろう。しかし今の企業経営では常に短期的な収益の拡大が求められる。以前の経営者のような大局的に見る余裕がない。けれども、だ。明治あるいは第二次大戦直後の企業経営はゼロからのスタートだった。その点では現在の大企業よりはるかに大きい困難の連続であっただろうし、経営者も、他者と同じことをするのではなく常に他の人間がやっていないことをしようと考えた。

ホテル・オークラの経営陣のみならず従業員そして株主は、外資系などで一般的になった高層の貸しビル、その一部でホテル営業という今や陳腐化した手法ではない、後世「近代日本のヘリテージ」、「平成のレジェンド」と呼ばれるようなやり方で、現在のホテル・オークラを活かしてほしいと思う。その先見性、大局観が世界から問われ、凝視されている。

(6)「あなた方は逮捕されない」

それに応えるには、同時に、一人でも多くの日本人が、文化だ、レジェンドだといったことを「遠巻き」に言うのではなく、関係者の背中を押すような具体的な行動をとらないといけない。署名サイトもある。ネットで世界ともつながっている。他にもやれることはいくらでもあると思う。繰り返しになるが、海外からの批判はホテル・オークラの経営陣だけに向けられているのではなく、日本人ひとりひとりの行動に向けられている。

最後にもう一度、冒頭のエコノミスト誌の日本人に向けた一節を引用しよう。

「北京と違い、心無い破壊に抗議してもあなた方は逮捕されないのだから」

(“In contrast to Beijing, you are unlikely to be arrested for protesting at mindless destruction”)

私だけでなく大勢の日本人が、外国人からこんな皮肉を言われたくないと思っているだろう。しかしここはあえて応援メッセージとして受け取ろう。大倉喜七郎たちに負けず、ここで日本人が踏ん張ってホテル・オークラの本館を残すことができれば、このような批判が一気に賞賛に変わる。オリンピックに向けての何よりのプレゼントになり祝福にもなるだろう。

ホテル・オークラ東京

〒105-0001東京都港区虎ノ門2-10-4 代表取締役社長 池田正己 / 総支配人 西村晃

◎署名サイト「ホテルオークラ東京建て替え中止を求めます」(チェンジ・オルグ)

◎署名サイト「save the okura/オークラを守れ」(英国雑誌『モノクル』)

◎写真投稿サイト「My Moment At Okura/オークラでの私の時間」(「ボッテガ・ヴェネタ」)

◎参考文献

佐久間裕美子「海外から『ホテル・オークラを救え』の声」『アエラ』(150128)

レジス・アルノー「日本の伝統美を『破壊者』から守れ」『ニューズ・ウィーク』(140701)

「ホテル・オークラの取り壊しを惜しむ」『CNN』(140715)

マーガレット・ハウエルほか「MY MEMORY OF OKURA(なくならないで、私のオークラ)」『カーサ・ブルータス』(141210)

Anna Fifield「As Olympics loom, a landmark of Japanese modernism will be torn down」『ワシントン・ポスト』(150202)

構想日本 代表

大蔵省で、証券局、主税局、国際金融局、財政金融研究所などに勤務した後、1997年4月、日本に真に必要な政策を「民」の立場から立案・提言、そして実現するため、非営利独立のシンクタンク構想日本を設立。事業仕分けによる行革、政党ガバナンスの確立、教育行政や、医療制度改革などを提言。その実現に向けて各分野の変革者やNPOと連携し、縦横無尽の射程から日本の変革をめざす。

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