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【大胆予想】午年の天気は悍馬(かんば)のごとし

片山由紀子気象予報士/ウェザーマップ所属
きびがら細工の干支の午

2014年(平成26年)は午(うま)年です。総務省「平成25年1月1日人口推計」によると、午年生まれの人は968万人で、人口に占める割合は7.6%と十二支のなかでは最も少なくなっています。1966年(昭和41年)の丙午(ひのえうま)生まれの人が少ないのは有名です。

午年生まれの人は少なくても、午年には歴史に残る気象災害が数多くあるようです。過去の午年の天気を振り返りつつ、2014年を展望してみました。

台風の上陸多く、歴史に残る猛烈被害

1954年(昭和29年)洞爺丸台風・・・小説や映画のモデルとして取り上げられたことの多い国内最悪の海難事故です。函館港を出港した青函連絡船「洞爺丸」が台風15号の直撃を受けて、沈没、乗員乗客1,139名が亡くなりました。当時は、今のように気象衛星がなかった時代ですから、台風の接近による嵐を的確に予想できませんでした。天候の急変をまともに受けた洞爺丸は、乗務員の決死の奮闘のかいなく、最後には船体が裏返しになって沈没しました。

そして、1966年(昭和41年)には猛烈な風をもたらした第2宮古台風があります。宮古島では国内最大の最大瞬間風速85.3メートルを記録し、現在でもこの記録は破られていません

最近では2002年(平成14年)に関東地方に暴風をもたらした台風6号と21号があり、茨城県潮来市で送電線の鉄塔がアメのように折れ曲がり、倒壊した被害は記憶に新しいです。

甚大な突風被害 メイストームと巨大竜巻

午年の天気はまだまだ、ありました。洞爺丸台風と同じ1954年は「メイストーム」の語源となった日本海の猛烈な低気圧。1978年(昭和53年)には地下鉄東西線が荒川鉄橋を走行中に、竜巻に遭遇し、脱線・横転した事故がありました。極めつけは、1990年(平成2年)の千葉県茂原市を襲った国内最大の竜巻です。

なにも、気象災害は午年に限ったことではありませんが、午年の天気を調べてみて、歴史に残るような強烈な台風や低気圧、竜巻の被害があったことに驚きました。とくに、台風被害の歴史は日本の天気の歴史でもあり、天気予報の発展に与えた影響は大きい。台風の予想や社会インフラは、洞爺丸台風の時代よりも格段によくなったけれど、今なお、台風の人的被害はなくなりません。

月並みな言い方ですが、2014年こそは気象災害が少ない年であってほしいと切に願っています。

番外編

気象庁がインターネットによる気象情報提供サービスを始めたのは前回の午年(2002年)です。偶然でしょうが、1954年(午年)には「177」の電話による天気予報サービスが始まりました。天気予報を知る手段は時代とともに、新聞、テレビ、ネット、携帯電話と変化してきました。2014年はどんな提供サービスが始まるのでしょう?すでに、手のひらサイズの天気予報、スマートフォンが始まっていますが。

【参考資料】

1954年洞爺丸台風(気象庁)

1966年第2宮古台風(気象庁)

1978年地下鉄東西線の事故(気象庁)

1990年千葉県茂原市の竜巻(気象庁)

2002年台風21号(気象庁)

【表紙の写真、きびがら細工】

表紙の写真はきびがら細工の干支の午です。栃木県鹿沼市の特産「鹿沼箒」を作る際の廃材を利用した民芸品で、素朴ながら職人技が感じられ、気に入っています。

気象予報士/ウェザーマップ所属

民放キー局で、異常気象の解説から天気予報の原稿まで幅広く天気情報を担当する。一日一日、天気の出来事を書き留めた天気ノートは117冊になる。365日の天気の足あとから見えるもの、日常の天気から世界の気象情報まで、天気を知って、活用する楽しみを伝えたい。著作に『わたしたちも受験生だった 気象予報士この仕事で生きていく』(遊タイム出版/共著)など。

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