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新型コロナの検査キットはどこに? 海外の教訓を生かせない米国

片瀬ケイ在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー
科学や医療水準が高くても、判断を誤ると後手後手に。(写真:ロイター/アフロ)

パンデミックという突然の嵐

 世界保健機関(WHO)が新型コロナウイルスの感染拡大は「パンデミック(世界的な流行)」であるとの見解を示した3月11日、米国のトランプ大統領も国内での感染拡大を鈍化させるべく、米国市民にむけてTV演説を行った。

 3月13日午前0時をもって、英国を除くすべてのヨーロッパからの渡航を30日間停止するという突然の対策にも驚いたが、終始、深刻な面持ちで話し続けるトランプ大統領の姿に、さらに驚かされた。

 トランプ大統領はこのTV演説の2日前まで、新型コロナウイルスを「インフルエンザより感染や死亡は少ない」、「悪質なメディアが大げさに騒いでいるだけ」、「そのうち自然に消滅する」など楽観的な意見をテレビやツイートで繰り返し表明。世界最高水準の医療を誇る米国に心配は無用といった印象を、市民に与え続けてきたからだ。

 それが一転して、シアトルやニューヨーク、北カリフォルニアなどいくつかの地域はアウトブレイクのため完全な麻痺状態に陥った。まるでオセロゲームの駒が白から黒へと一気に裏返るかのように、ほかの場所にも急速に感染が広がりつつある。

 スポーツやパレードなど全米の大型イベントの中止や、暴落を続ける株価のニュースが刻々と流れ、足元の地面がにわかに崩れ落ちていくかのように感じている人も多いはずだ。

 そして今、世界最高の科学や医療を誇る米国が直面している最大の問題は、検査体制が整っていないために、どれだけ感染者がいるのかわからないということだ。

最高水準の科学と、不運と、官僚主義と

 米国には公衆衛生で世界をリードする疾病対策予防センター(CDC)や食品医薬品局(FDA)があり、人々の健康を守るべく、多数の優秀な科学者、医療者が厳格なプロトコルに従い、組織的に動いている。世界中が頼りにする存在といっても、言い過ぎではないかも知れない。

 アジアで新型コロナウイルスの感染が問題になり始めた1月、米国はWHOが認証した新型コロナウイルスの検査キットではなく、CDCが独自にPCR検査を開発する道を選んだ。しかし製造不具合が見つかり、最初に配布されたCDCの検査キットと検査手順では、明確な検査結果がでない事例が多発した。

 検査手順を変更し、問題を解消するにも、CDCやFDAの規定の手順や承認過程を経る必要がある。当初、検体の分析をするのもCDCだけで行っていたので、検査結果を知るのに時間がかかった。また使用可能な検査キット数や処理能力も勘案して、2月下旬までは検査対象は「症状があり、中国に渡航歴がある人」のみに限られていた。

 カリフォルニアやニューヨークなど医療現場からの強い要請を受けて、CDCはその後、検査対象者範囲を拡大したものの、米国各地にある公衆衛生試験所でも検査分析ができるようになったのは2月末。検査キットの製造と配布を急いでいるが、各地から検査キットが足りないという悲痛な声が続いている。

 現在は大学病院のラボや、民間の検査機関が検査キットを開発しはじめており、3月6日、トランプ大統領は先走って「誰でも検査が受けられるようになる」と述べたが、現実に検査を受けるには医師の判断が必要であり、検査能力もまだ圧倒的に足りていない。

  3月10日までに米国で分析された検体は11079件。ただし、一般的に一人につき2つの検体があるので、検査を受けた人数はこの半分以下と推定される。3月12日現在で感染が確認されているのは全米で1215人だが、CDC当局も検査をすれば確実に陽性者数は増えると予測している。(注1)

 どこに、どれだけ感染が広がっているのか。最先端の科学、ビックデータ分析を誇る米国が、感染の実態がわからない暗闇にいるのが現状だ。

それぞれの思惑、それぞれの事情

 今年の大統領選挙で、再選をめざすトランプ大統領としては、好景気を維持し株価を高くしておきたいという思惑がある。感染拡大を遅らせるには、人の動きや経済活動を抑制することが必要だが、それらはすべて消費や産業活動の低下につながる。トランプ大統領としては、できるだけ避けたいことだったはずだ。

 弱みは見せたくない、消費者に不安を与えて経済活動に影響を与えたくないという思惑のもと、トランプ大統領はお決まりの単純化した短いメッセージで、新型コロナウイルスの脅威を過小評価するようなツイートを続けてきた。

 これまで感染が少なかった地域や、トランプ大統領支持者らの中には、CDCをはじめとする保健当局の呼びかけに耳を貸さなかった人も多い。

 忠誠心を重んじる大統領に忖度し、トランプ大統領に同調したり、ひたすら大統領を称えたりする政治家や行政官もいた。そしてソーシャルメディアでは、新型コロナウイルス拡散の陰謀論や、COVID-19はアジア人がなる病気といった、根拠のない噂話が広がっていった。

穴だらけのセーフティネット

 日本のように、早期に学校閉鎖するというのも感染拡大をスローダウンさせるための有効な手段だと言われている。日本でも誰が子供の面倒を見るのか、勉強はどうするのかといった問題があるが、米国の多くの都市ではさらに深刻な事情を抱えている。

 例えば筆者の住むテキサス州ダラス市の公立学校に通う子供たちの9割は、低所得家庭の子供なため、学校が全員に無償で朝食、昼食、時には夕食を提供している。学校が閉鎖されれば、大多数の生徒が食べる機会を失うので、そう簡単に全面閉鎖はできない。

 また米国の連邦法では、企業に病気休暇を付与する義務を与えていないので、州法で義務付けられていない地域では、病気休暇制度を持たない会社も多い。病気になっても、休めば欠勤となり、収入が減るだけでなく、職を失う可能性もある。

 さらに懸念されるのが医療保険の問題である。オバマ大統領時代の医療保険改革で加入率が高まったが、保険掛け金は上がり続けた。トランプ政権になって加入しなくとも罰金を科さないという変更をしたため、無保険者が再び増えている。

 医療費の問題で検査や治療を躊躇する人や、多少具合が悪くとも無理して働き続け、感染を広げる可能性のある人たちは確実にいる。

科学や医療水準以前の問題

 最先端の科学や医療を誇る米国は、1月の段階で中国での新型コロナウイルス感染が、米国を巻き込む大規模感染になるという予測をしなかった。またCDCで検査キットを作るという判断と製造不具合、官僚的な仕組みにより、検査体制の確立が取り返しがつかないほど遅れてしまった。

 トランプ大統領は根拠のない楽観論をツイートし続け、ペンス副大統領やエイザー保健福祉省長官は、いまも「トランプ大統領の前例のない英断のおかげで感染を抑えてきたが」という枕詞をつけないと何も言えない様子で、情報伝達の透明性からは程遠い。

 アメリカ・ファーストのトランプ大統領の解決策は、中国やヨーロッパなど「感染の元」である外国人を米国に入れないことであり、諸外国と積極的に情報を交換し、海外の事例に学ぶことはしない。

 長期間にわたる好景気に沸いてきた米国市民は、病気になっても休めない、収入が途切れると途端に家賃やローンが払えなくなる、医療保険に加入していない、保険に入っていても医療費が捻出できないといった現実を、突然、目の前につきつけられている。

 これは、米国が誇る科学や医療水準以前の問題と言えるだろう。

関連リンク

(注1)米国における新型コロナウイルス検査実施状況 米疾病対策予防センター

在米ジャーナリスト、翻訳者、がんサバイバー

 東京生まれ。日本での記者職を経て、1995年より米国在住。米国の政治社会、医療事情などを日本のメディアに寄稿している。2008年、43歳で卵巣がんの診断を受け、米国での手術、化学療法を経てがんサバイバーに。のちの遺伝子検査で、大腸がんや婦人科がん等の発症リスクが高くなるリンチ症候群であることが判明。翻訳書に『ファック・キャンサー』(筑摩書房)、共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)、『夫婦別姓』(ちくま新書)、共訳書に『RPMで自閉症を理解する』がある。なお、私は医療従事者ではありません。病気の診断、治療については必ず医師にご相談下さい。

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