もしも、森喜朗元首相が私の「親戚のおじさん」だったら。

異なる世代間の対話(提供:123RF)

こういう「親戚のおじさん」「親戚のおばさん」が、本当によくいるんです。そんなに悪い人ではなく、そんなに悪気もない。ただ、古いタイプのまま、古い時代の日本を、ごく普通に生きてきた。ついつい余計なこと、言わなくていいこと、想像しうる最悪のタイミングで、普通に言ってしまう。いわゆる「地雷」を踏みまくる。こういう「親戚のおじさん」が。

「大学はどこを受験するんだ?落ちたら浪人するのか?」

「◯◯子は、30過ぎたのにまだ結婚しないのか?」

「◯◯くんと付き合ってたけど、まだうまくいってるのか?」

「結婚して5年経つけど、赤ちゃんはまだか?」

「就職の面接は何社ぐらい回ったんだ?」

「就職しないで、いつまでも働かないと、年をとったら困るぞ」

「◯◯会社では給料はどのくらい貰ってるんだ?」

「そんなに何度も転職して大丈夫なのか?」

あえて、あえて、弁護をします。50年前とかには、ごくごく普通にいた、人のいい「親戚のおじさん」タイプの人。当時は「若い者」の方も軽く一杯飲みんで酌でもしながら「おじさん、困ってるんで助けてくださいよ~」などと、困った時にはうまく頼みごとをする。すると実は面倒見がいい。人情味もある。「待ってました!」とばかりに、一生懸命に汗をかいては「見合い先」「結婚相手」「就職先」「入学先」・・・を紹介してくれたんです。(その昔の戦時中は、食糧とかを融通してくれたり、子供を疎開先で預かってくれたり。)

で、お世話になった「若い者」は感謝して、生涯、中元歳暮と盆暮れのご挨拶を怠らないという、古きよき時代の「親戚づきあい」や「近所づきあい」が、50年前とかの日本では、親戚関係にも(そして政治の中にも・・・)普通にあったのです。で、こういう「親戚のおじさん」が、多くの人の「仲人」や「就職」の世話を引き受け、地域の「冠婚葬祭」では主賓来賓として重責を担ってきたのです。

日本が五輪招致する上では、こういう「親戚のおじさん」の働きが、きっと我々のわからないところであったのでしょう。かっこ良く言うと、色々な「ロビー活動」してたりするんです。でも、それは当然あまり表に出るわけがない。「親戚のおじさん」自身は生粋の「自己PRベタ」だったりもする。あまり周囲には「汗をかいている」ところはみせないから、評価もされなかったりする。でも、本人はそれでいいと自己満足はしていたりする。そこはそこで、他の人には中々できなこと。必要なことだった。だからもっと評価されていいのだと思います。

今の若い世代や、まして、東京やグローバルな社会における「一般常識」の中では、そういう「親戚のおじさん」との関係性(特に「属人性」とか、相手との「距離感」の取り方)が難しくなってきている。こうした社会の「空気の変化」は、恐らく誰もが体感している。結婚式に「仲人」を立てないことも普通になってきた。

だから・・・「親戚のおじさん」が「若い者」について「余計な発言」をしてしまって「地雷」を踏みまくる。

政治家や首相経験者は引退後でも一応は「公人」であります。「昭和」から「平成」にかけての、大きな時代の変化は皮膚感覚で敏感に感じ取って、ああいうタイミングで、ああいう発言(全文読んだが・・・)は、どんなに可愛い例え「孫のような浅田真央」であっても、普通は言うと誤解されるから「言わない」という勇気が必要なのです。それでもどうしても余計なことを言ってしまう。きっと「親戚のおじさん」(あるいは、おじいさん)の気持ちで、気になって気になってしょうがなかったのでしょう。

それでも、あえて、あえて言わせてもらえば、こういう「親戚のおじさん」は、今でも実際にいるんです。(ネット上にはいないだけ)私との「心の距離」が、私が思っている以上に私と近いのです。(きっと、こうした「親戚のおじさん」は、浅田真央が思っている以上に、浅田真央との心の距離が近いのです。)そして、私自身も、この手の「親戚のおじさん」との距離感の取り方に困ることがあるのです。

最大の問題は・・・

この(愛するべき)「親戚のおじさん」が「浅田真央の本当の親戚のおじさん」でなく「政治家」であったこと。「首相経験者」であったこと。東京オリンピックの「最重要な職」に、現在あること。そして、地元の後援会のクローズドの忘年会や、自宅での親族内での会食の席ではなく、全国に報道されるインタビューだったこと。インタビューでは「余計なことは言わない」に限ります。(小泉元首相のように、計算されたワンメッセージを、計算されたタイミングで欲する方が政治家の広報戦略としては相応しいのだろう。森元首相は多くを語り過ぎた。。。)

ただ、あえて批判も覚悟で言わせていただくと、今の若い世代(一応、私も含む)は、この「親戚のおじさん」的なる人材の、もっとうまい「活用法」を考えてもいいのではないか?この手の「親戚のおじさん」はダテに歳をとってはいない。人脈は抱負だ。時間にも余裕がある。

では、「真っ赤な他人」でもなく「家族」「友人」でもない。「遠縁の親戚のおじさん」的なるマインドの人に、どのような「距離感」で接するべきか?

家族や友人のように「タメ口」では失礼だ。とはいえ、入社面接のように、取って付けたようなよそよそしい「敬語」である必要はない。ごくごくカジュアルな「敬語」。昭和の時代に、通りがかりの近所のタバコ屋や酒屋のおじさん、おばさんに話しかけたような普通の「尊敬語」。そんな感じの「距離感」で、胸襟を開き、うまく付き合っていくことは難しいのだろうか?意外に「若い者」たちのために汗をかいてくれるかもしれない。「若い者」の行く手を阻む「何か」と闘ってくれるかもしれない。

ネットでのコメントを見ると、いつものことだが・・・

1)森氏を批判する「罵詈雑言」

2)インタビュー内容の部分報道した「マスコミ批判」

3)もしくは「マスコミ批判」の延長上の、森氏の擁護コメント

それは、わかった。ごもっともである。どの切り口ももっともなので反論の余地もない。

だからこそ、あえて、よくいるこの手の「親戚のおじさん」タイプの方との「上手な付き合い方」が可能かどうかと書いてみた。あくまで、よくいる「親戚のおじさん」や「近所のおじさん」についての話である。(森元首相とはお会いしたことがない。実際の人柄に接したことはないので、あくまで世の中の「親戚のおじさん」的なる方々を例えるために名前を出させて頂いた。)