釈放された死刑囚 袴田巖さん 47年ぶりの「社会」で生きる日々

浜松市の自宅にて 釈放から丸3年の日に(2017年3月27日撮影)

2014年3月に静岡地裁が再審開始を決め、釈放された袴田巖さん。あれから4年、まもなく東京高裁で再審開始の可否が決定される。3月10日で82歳に。半世紀ぶりに社会に戻った袴田さんの「自由」と「青春」を見つめた。

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■47年7ヶ月ぶりの釈放

袴田巖さんは1966年に一家4人を殺害した容疑で逮捕起訴され、1980年に死刑が確定しました。しかし2014年3月27日、静岡地裁の村山浩昭裁判長(当時)は「これ以上、袴田に対する拘置を続けることは、耐え難いほど正義に反する状況にある」として、再審開始決定のみならず、死刑執行の停止と袴田さんの釈放を決めたのです。袴田さんは逮捕から47年7ヶ月ぶりに釈放され、一時東京都内の病院に入院しましたが、5月には故郷の浜松市に戻りました。その後、3歳年上の姉・秀子さんと2人での生活をはじめたのです。

■呪文、空に向かってサイン… いまも続く拘禁反応

袴田さんは、釈放直後から、着替えや入浴、布団の上げ下ろしなど、日常生活や身の回りのことは、ほとんど問題なく出来ていました。しかし、精神的には「拘禁反応」と診断されています。刑務所や収容所など閉鎖的な環境に、長期間拘禁されることで起きる精神障害の一種です。

秀子さんの自宅に初めて戻った日、袴田さんが最初に発した言葉は、「全世界の全公共企業を掌握、治めた気持ちで今日は、清水制覇征服平定したことを、ここに決定し、御発表いたします。尊敬天才天災。御身の神 袴田巖 天下人、・・・。」という呪文のようなセリフでした。空(くう)を見つめ、最後に不思議なサインを出します。これは、袴田さんが自分の精神世界の中で行っている“儀式”とみられます。袴田さんを診察した精神科医によると、拘置所に収監され、日々死刑執行の恐怖に晒され続けた結果、その現実から逃れようとして、自分の世界を構築したといいます。自分を「天皇」「将軍」「ローマ法皇」「最高裁長官」などと世界の権力者に置き換え、「袴田事件はない。袴田巖は無罪となり、死刑も廃止した」と繰り返します。このような発言は、いまも変わりません。

■当初は引きこもり状態に

また、自宅での生活が始まってからしばらくの間、袴田さんは一歩も外に出ようとせず、引きこもりの生活となりました。「拘置所に連れ戻されるのでは。」という不安からなのか、支援者の訪問にさえも、警戒心を露わにしていました。異常に猜疑心が強く、最初のうちは秀子さんの言葉でさえも簡単には信じようとしませんでした。しかし、献身的な想いが伝わったのか、徐々に秀子さんとの間に信頼関係が築かれていったのです。そして、1年、2年と過ごすうちに、表情は和らぎ、時には笑顔も見せるまでになりました。

■3月にも東京高裁が再審可否を判断

2014年3月に静岡地裁が袴田さんの再審開始を決定しましたが、静岡地検は決定を不服として東京高裁に即時抗告。その抗告審は2月2日、最終意見書に対する反論提出期限を迎え、年度内に予定される東京高裁の判断を待つばかりとなりました。即時抗告審が4年も続き、袴田さんは今も「死刑囚」のままです。たとえ、今回の東京高裁で再審開始が認められたとしても、検察がさらに最高裁に抗告すれば、死刑囚のままの袴田さんは、年金なども受けられない状態が続きます。また、死刑囚である以上、再審請求の流れによっては、再び拘置所に収監される可能性も否定できないのです。

30歳で逮捕され、78歳で釈放された袴田さんにとって、人生の多くの時間を失った事実は、あまりにも重く、とうてい受け入れられない現実であることは間違いありません。それでも、空白の時間を埋めるかのように、若さと自由を、いま精一杯感じようと生きる袴田さんの姿があります。

袴田さんに「長生きしてくださいね」と声をかけました。

すると、笑顔でこう答えてくれました。

「まあ、”死なない”となってるんでね。死なないとなってるから、信じていかにゃあ、しょうがないんだっていうね」

■袴田事件とは

1966年6月30日午前1時50分ごろ、旧清水市(静岡県清水区)のみそ製造会社の専務(当時41)宅から出火。焼け跡から、刃物で多数回刺された一家4人の遺体が見つかった。県警は8月、同社従業員で元プロボクサーの袴田巖さん(当時30歳)を強盗殺人や放火などの疑いで逮捕した。袴田さんは否認を続けたが、勾留期限間際に「自白」。1審では一貫して無実を訴えたものの、死刑判決が出された。1980年最高裁が上告を棄却し、死刑が確定。

■事件と裁判の流れ

1966年6月 事件発生

1966年8月 静岡県警が袴田さんを強盗殺人や放火などの容疑で逮捕

1968年9月 1審の静岡地裁が死刑判決

   11月 母ともさん死去(68歳)

1976年 東京高裁が控訴棄却

1980年 最高裁が上告棄却。死刑が確定

2008年 弁護側が静岡地裁に第二次再審請求

2014年3月27日 静岡地裁が再審開始と死刑の執行、拘置の停止を決定。袴田さんは即日釈放される。

   3月31日 静岡地検が東京高裁に即時抗告

   5月 袴田さんが浜松市に帰郷

   6月 姉・秀子さん宅で同居を始める

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の動画企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】