知られざる親日国スリランカ 内戦の癒えない傷に対する日本の役割を考える ~ 日本政府に求められる行動

私は4年前の2017年にスリランカを訪問し、その際、スリランカ内戦の激戦地であった北部に足を運びました。そこで、スリランカ内戦終結時の2009年に失踪した夫や息子、娘を探しけ、路上で座り込みを続ける女性たちから話を聞くことができました。彼女たちはスリランカ政府に対し、失踪した夫や息子の消息を調査して明らかにすること、そしてアカウンタビリティ(責任追及)を求めていました。

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これがその時の写真 (Human Rights Watch提供)。あの光景は今でもありありと目に浮かびます。すでに失踪から10年近くが経過してはいました。しかし、突然音信不通となった夫や息子を待つ妻、母たちは、家族の写真を手にもち、どんなことがあっても絶対にくじけない、これは犯罪だ、必ず帰ってくると信じる、と話したあの表情。その真剣さと悲壮さに、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの母親横田早紀江さんの姿を重ねました。何年経とうが、決してあきらめない母親の思いと決意は万国共通、普遍的でした。

1983年から26年間続いたスリランカ内戦は2009年、政府軍が「タミルイーラムの解放の虎(LTTE)」を武力制圧させて終結しました。その際、スリランカ国軍は反政府勢力LTTEの戦闘員だとして人びとを次々に拘束して連れ去りました。そうして連れ去られた夫や兄、弟、息子は音信不通となり、多くは二度と戻ってきていません。当時の大統領は、マヒンダ・ラジャパクサ大統領。そしてその弟のゴタバヤ・ラジャパクサ氏が国防次官。この兄弟が率いていた当時のスリランカ政府は、国軍が関与した失踪を認めず、失踪者の行方や消息を明らかにすることも拒んだのです。失踪者家族は、恐怖と暗闇の中にいました。

しかし2015年、失踪家族に大きな希望が生まれました。マヒンダ・ラジャパクサ大統領が2015年の大統領選に敗れ、シリセナ大統領が誕生すると、シリセナ新政権は国連人権理事会(スイス・ジュネーブ)で、家族への行方・消息の回答、真実発見と和解促進、賠償の実施、国際捜査員・検察官・判事も参加したアカウンタビリティ(責任追及)のプロセスの確立を高らかに約束したのです。私がスリランカを訪れたのは、それからまもない2017年のことでした。

2017年のスリランカ訪問の際、在コロンボの日本大使館で、日本の外交官に面会する機会もいただきました。私は、失踪者家族たちの悲痛な声、そして、スリランカ内戦でLTTEと国軍の双方が、失踪を含む様々な戦争犯罪を犯した結果、被害者が今も苦しんでいる現状を伝えました。そして、戦争犯罪に対するアカウンタビリティが、人びとのため、そして平和の永続のためにも急務であることなどを話し合ったのです。

実は2020年現在、希望があった時代は過去のものになってしまいました。失踪者家族はまた絶望の淵に追い込まれているのです。2019年11月、弟のゴタバヤ・ラジャパクサ氏が大統領に選出され、兄マヒンダ氏を首相に指名し、再びラジャパクサ兄弟政権が誕生したことがきっかけでした。

第二次ラジャパクサ政権は、前シリセナ政権の国連人権理事会での約束をさっそく破棄。さらに戦争犯罪の疑いがかかる将校たちを出世させ、内戦の中でも特に悲惨な残虐事に対して行われていた国内調査を中断したり、スリランカで有罪を宣告された数少ない国軍兵士の1人(子どもを含む民間人8人を殺害した罪)に恩赦を与えたりしました。

それだけではありません。社会は再び分断されつつあります。現ラジャパクサ政権は、人口の4分の1を占めるタミル人とムスリムへの敵意をむき出しにしています。そして、ジャーナリストや人権活動家、弁護士はもちろん、私が会った失踪者家族さえもが、監視や脅迫を受けるようになりました。第一次ラジャパクサ政権に蔓延していた恐怖の空気が戻ってきてしまったのです。(下写真:スリランカ治安部隊による拷問と性的虐待の被害者。背中に、熱された棒で打たれた傷が深く残っている。2012 Private)

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日本では、2009年まで26年間続いたスリランカ内戦の残酷さはあまり知られていません。何万人もが命を落としました。そして、民間人への攻撃や拷問、レイプ、超法規的殺害、子ども兵士の徴用などの重大な人権侵害と戦争犯罪に、LTTEも国軍も手を染めたのです。

特に2009年、内戦の最終局面は陰惨を極めました。LTTEの支配地域は縮小を続け、最後に残った北東海岸の小さな拠点には、民間人を含むタミル人約33万人でごったがえしました。2009年初め、スリランカ軍はこの拠点を包囲。そして政府は複数の「射撃禁止区域(no fire zone)」を一方的に設定し、民間人にそこに集まるよう促しました。しかしその後、スリランカ国軍はなんとその「安全」地域に砲撃と空爆を行い続けたのです。この地域に数カ所しかない病院は負傷者が外に寝かされ土煙にさらされるほどごったがえし、医師たちは衛生的な手術器具も、薬もほとんどないままに負傷者を手術することを余儀なくされました。そんな病院にさえ、スリランカ国軍は容赦なく砲撃を浴びせました。このとき大統領兼防衛大臣だったのが兄のマヒンダ・ラジャパクサ氏(現首相)、実質的に方針を決めていた国防次官がゴタバヤ・ラジャパクサ氏(現大統領)です。

2009年5月19日、LTTEの最後の拠点が制圧されました。国軍が勝利を宣言したときには、最大4万人の民間人がすでに死亡していました。多くの子どもも含まれていました。そして、国軍兵士が捕虜を殺害する場面や、囚われた女性の裸の死体を撮影した映像など、残虐な映像もたくさん流出しました。砲弾飛び交う「射撃禁止区域」で命からがら生き残った民間人のうち約20万人は収容所に送られました。この中で失踪者が続出したのです。

そして内戦終盤から内戦終結後も、第一次ラジャパクサ政権は全土で強権的弾圧を続けました。首都コロンボでも、政権に批判的だった著名なジャーナリストたちが路上で暗殺されたり、拉致されて今も行方不明のままになっている事件が起きています。スリランカではかつては表現や結社、集会の自由がおおむね認められていました。しかし第一次ラジャパクサ政権下では、恐怖が社会を支配していました。(下写真:スリランカ治安部隊による拷問と性的虐待の被害者。2012 Private)

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ラジャパクサ兄弟が2019年末に政権復帰を果たした結果、スリランカの私の友人たちは、弾圧を避けるために、あらゆることをしなければならなかった時代に戻ってしまったといいます。このような現状にあるスリランカに対し、日本はどう行動すべきなのでしょうか?

あまり知られていないかもしれませんが、日本とスリランカの友好関係は長くて太いものです。1951年に行われたサンフランシスコ講和会議で、スリランカ代表が敗戦国日本の国際社会復帰を大いに助けたことを今も忘れない日本の人びとは少なくありません。スリランカでも、男はつらいよやおしんが大人気だそうです。こうした背景もあってか、スリランカに対する日本の政府開発援助(ODA)額も国民一人あたりに換算するととても多額です。スリランカ内戦のなかで日本が和平への取組みを推進してきた過去もあります。

第二次ラジャパクサ政権の下で、社会に恐怖が戻ってきている今だからこそ、日本は、スリランカ国民の古い友人として、また国連人権理事会のメンバーとして、重要な役割を果たすべきではないでしょうか。

第二次ラジャパクサ政権は、失踪を含む内戦中の人権侵害に対するアカウンタビリティ(責任追及)は国内制度で十分だと主張しています。しかし歴代のスリランカ政権が様々な調査委員会を設けましたが、すべて名ばかりでした。そしてスリランカ政府は9月の国連人権理事会でそのねらいを明らかにしました。「スリランカ国軍高官が犯罪や人道に対する罪の容疑をかけられることは容認できない」とした上で、独自の調査によれば、人権侵害の「実質的な証拠は見つかっていない」と主張したのです。

国連は原則に則った毅然とした態度をとることが必要です。残虐な犯罪は、だれが犯そうとも、公平に調査・起訴されるべきです。また、いかなる政府であっても、法の下の裁きを求める被害者から、これを奪い取ることは許されないのです。

日本政府は、スリランカ国民に伴走し、支援をするべきです。スリランカ国民の人権を侵害する政権に対しては、毅然とした態度も必要です。それこそが、真の友情であり、そうした態度が、日本にも長期的で安定的な利益をもたらすはずです。

第二次ラジャパクサ政権の国連公約破棄を受けて、今後国連人権理事会では、スリランカ内戦下での犯罪行為に関する国際的なアカウンタビリティのメカニズムの確立に向けて、強力な決議が新たに必要です。日本政府はそうした国連決議の実現に向けて指導力を発揮してほしいのです。それこそが長年の友人としての責務ではないでしょうか。