福岡県糸島市出身の伝説のコーチ、岡部平太(1891~1966)の波瀾万丈の人生を描く、子どもたちの平和劇「Peace Hill もう戦争は終わった」が6日、同市で上演された。新型コロナウイルスの流行で上演が1年延期になり、今年も前日になって急きょ無観客に。それでも子どもたちは「何事も諦めなかった岡部平太の精神を受け継ぐ」と前を向いていた。

 広島原爆の日に、子どもたちと平和劇を上演してきた同市の市民団体「いとしまハローピースアクト」(江川佳世代表)の主催で17回目。ピースアクトは2004年から、子どもたちと作り上げる舞台を開始。活動の要は子どもたちで、平和劇に関するフィールドワークも行い、平和についての学びを深めている。

 一昨年は、岡部の長男で特攻死した平一を主人公にした演劇を上演。昨年は岡部を主人公にした演劇を上演する予定だったが、コロナ禍で中止に。今年は3月頃から準備を進めてきて、6、7日に3回公演する計画だったが、初日前日の5日になって、福岡県が独自のコロナ特別警報を発出。やむなく6日(2回公演)は無観客とライブ配信とし、7日は中止した。

晩年の岡部平太(孫の大森みどりさん提供)
晩年の岡部平太(孫の大森みどりさん提供)

 岡部平太は大正~昭和期に、世界を股に掛けてコーチとして活躍した。柔道の創始者、嘉納治五郎に師事し、米国で科学的なトレーニング法を習得。多くの選手を育て、戦前は満州(現中国東北部)で「スポーツの神様」と呼ばれた。スポーツを通じて日中の懸け橋になろうとしたが挫折、長男を特攻隊で失った。

 しかし、戦後は再び立ち上がって福岡市に平和台陸上競技場を創設、ボストンマラソンで日本人を初優勝させた。この競技場は、1948年の第3回国体会場として使われた。当時、土地は連合国軍総司令部(GHQ)が接収していたが、岡部は諦めずに交渉。「戦争は終わった。ここをスポーツの力で平和の丘(Peace Hill)にする」と説得し、国体を成功させた。

岡部平太の生涯を演じ切った子どもたち(筆者撮影)
岡部平太の生涯を演じ切った子どもたち(筆者撮影)

 演劇には小学生から高校生までの子どもたちと、それを支える大人たち17人が出演。腕白だった岡部の子ども時代や、平和台を創設した時の喜びあふれる場面などを演じ切った。子どもたちの代表は「岡部さんはどんな逆境にも負けなかった。私たちも終わりの見えない非日常を共に駆け抜けていきましょう」と呼び掛けた。

 演劇の原作は「Peace Hill 天狗と呼ばれた男 岡部平太物語」(橘京平著、幻冬舎)、「直向きに勝つ 近代コーチの祖・岡部平太」(橘京平著、忘羊社)として出版されている。