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独露をつなぐ海底ガスパイプライン~バイデン政権がノルドストリーム2を容認した理由

亀山陽司元外交官
海底ガスパイプライン敷設船(写真:ロイター/アフロ)

7月21日、米独両政府が、「ウクライナ、欧州エネルギー安全保障、および我々の気候目標に対する支援に関する共同声明」を発表した。この共同声明で最も注目されたのは、ロシアからドイツへの海底ガスパイプライン「ノルドストリーム2」を、米国が事実上容認する内容となっていた点である(参考報道)。これについて、ロシア外務省が「欧州にとって有益な計画を米国が政治化しようとしている」とコメントしたのは、共同声明の中で、「ロシアがエネルギーを武器として使うなど、攻撃や悪意ある行為をとる場合にはしかるべく対応する」とされていることに対してだろう(参考報道)。一方、声明の名称にも含まれるウクライナはポーランドとともに、「ロシアが欧州の安全保障への破壊的影響を及ぼす可能性を増大させ、NATOとEUの加盟国間の対立を深めるものだ」と反発した。こうした各国の反応を見ても、今回の共同声明が有する複雑な性格が垣間見えるだろう。多方面に反発を呼び起こしている今回の声明で得をするのは誰なのか。

ウクライナの国家財政を直撃するノルドストリーム2

ノルドストリーム2が完成すれば、ノルドストリームの輸送能力が現在の2倍の1100億立米になり、ロシアから欧州向けの天然ガスの大半を輸送することができるようになる。これまでその役割を担っていたのがウクライナ経由のガスパイプラインだった。2010年時点では1200億立米のガスを欧州向けに輸送していたウクライナのガスパイプラインだが、ノルドストリーム2が稼働すれば、最悪の場合、ガス輸送量が150億立米程度となる可能性も予想されていた。実際、欧州の需要と供給のバランスから言えば、それで十分なのである。問題は、ガスの経由国となっていたウクライナやポーランドの利害である。ウクライナはガスの輸送タリフで毎年20億ドルに上る収入を得ていたと言われる。それがなくなるとすれば、国家財政にとっても大きな打撃となる。

米国産シェールガス売り込みを断念させたドイツの粘り勝ち

ノルドストリーム2は、遠く離れた米国にとっても大きな利害関係があった。欧州市場からロシア産ガスを締め出し、米国のシェールガスで代替する可能性を模索していたのだ。米国は独露間のノルドストリーム2に強硬に反対し、トランプ政権末期の昨年12月にノルドストリーム2に関する制裁措置まで導入した経緯があるが、バイデン政権は、この制裁は米国の国益に反するとして本年5月に解除している(参考報道)。制裁解除については、同盟国との関係を再構築しようとしているバイデン政権のドイツへの配慮があったのでは、との観測もなされた。今回の米独の共同声明は、さらに一歩進んでノルドストリーム2を事実上容認する形となった。米国として、もはやノルドストリーム2プロジェクトを阻止することは不可能となったのとの判断があったようだ。どうせ阻止できないのであれば、共同声明を発出することで、米独の連帯を示す方が有益と考えたのであろう。ドイツ側の粘り勝ちと言えるだろう。

ドイツとウクライナの複雑な関係

当然ながらウクライナは反発し、上述のとおりポーランドとともに共同声明を発出した。それもそのはず、ウクライナはロシア産ガスの輸入問題を安全保障問題だと規定している。ドイツは、2014年のウクライナ危機以降、ウクライナとロシアの間に立って紛争解決に向けて主導権をとってきた国だ。ドイツとウクライナの縁は浅くない。第一次大戦末期、ソ連とドイツは、ブレスク=リトフスク条約により単独で講和したが、その結果、ウクライナにはドイツ軍が進駐し、傀儡政権を短期間(8か月)樹立している。ウクライナは第二次大戦においても、独ソ戦の主要な戦域となっており、ウクライナはドイツとロシアの勢力圏の狭間にある地域と言ってよい。現在のドイツが、地政学的な下心をもってウクライナを支援しているとは思わないが、ウクライナ危機がドイツを含む中央ヨーロッパの安全保障にとって極めて重要な問題であることは間違いない。

悪いのはパイプライン?それとも露・ウクライナ関係?

ドイツはウクライナの安全保障を支援する一方で、ウクライナとロシアの間の反目が欧州のエネルギー安全保障の脆弱性を高めていることを懸念している。ウクライナや米国は、そもそもロシア産ガスに依存すること自体が安全保障上の脆弱性であると主張するが、ドイツから見れば、ウクライナとロシアの関係悪化こそが脆弱性の原因だということになる。したがって、ロシアからドイツへの直通パイプラインを建設すれば、エネルギー安全保障は強靭化すると考えているわけだ。ここに、ドイツとウクライナ・米国との間の根本的な立場の相違がある。今回の共同声明のとおり、結果的には米国がドイツに譲歩する形となった。一方でウクライナを支援しつつ、米国を敵に回しながら、ロシアと太いパイプを建設する。ドイツ外交おそるべしである。

ドイツはNATO加盟国であると同時に、国内に約3万6千人の米軍を駐留させている。ドイツは日本同様、米軍に安全保障を肩代わりしてもらっている立場でありながら、米国の意に反しても自国の主張を貫いたと言える。ウクライナとしても、ドイツから多大の支援を受けている立場上、ドイツの決定を覆すだけの力はない。もちろん、ドイツとしてもウクライナのガス経由国としての立場を最大限尊重し、2018年にメルケル独首相が、ノルドストリーム2の実現にはウクライナがガス経由国として保証されることが条件であると述べている。今回の米独共同声明でも、「ウクライナ経由のガス輸送が2024年以降(注:現行契約の期限)も継続されることが欧州の利益であり、2024年以降のロシア・ウクライナ間のガス輸送契約の10年間延長をなされるようすべての可能な影響力を行使する」としている。

気候安全保障が本当の要因

しかし、今回の共同声明を可能にしたのは、軍事的な安全保障、エネルギー安全保障に加え、もう一つの安全保障問題、すなわち気候変動対策でもあることに注意が必要だ。それは、この共同声明のタイトルにも明記されている。そして気候変動対策はバイデン政権が最も重視する政策の一つでもある。今回のノルドストリーム2容認に至る背景には、気候変動対策での協調という側面があるのだ。欧州のエネルギーの対露依存が安全保障の脆弱性だという論点だけでは、もはやノルドストリーム2を阻止するのに十分ではなくなった。エネルギー対策は、グリーンなエネルギーへの転換でなければならないのである。ドイツを含む欧州にとって炭素排出量が高い石炭火力発電からの脱却を果たすには、天然ガスへの依存度を高める必要がある。因みにドイツは発電量の約40%を石炭火力発電に頼っており、32%程度の日本よりも高い。一方、天然ガスによる発電の割合は12%前後とかなり低いのが実情だ。ノルドストリーム2を救ったのは、気候安全保障に対する関心の高まりと言っても過言ではない。

共同声明において、ドイツはウクライナのためのグリーンファンドを設立し、米と協力して少なくとも10億米ドルのグリーンファンドへの投資を促進・支援するとしている。このファンドは、再生可能エネルギー、水素エネルギー、エネルギー効率改善、脱石炭、カーボンニュートラルといった気候変動対策を促進するものとされている。今回のノルドストリーム2に関する動きは、短期的にはウクライナにとって政治的な打撃となるかもしれないが、2024年以降もウクライナ経由のガス輸送がドイツの支援の下で継続されれば、経済的には大きな損害を免れ得る。そのうえで、エネルギーインフラの改善が図れるのであれば、ウクライナにとっても有益なイニシアティブとなる可能性もある。一部からは、欧州を分断させるものだと共同声明に対する批判も聞かれるが、名実ともに欧州のリーダー的存在となっているドイツがロシアと安定的な関係を維持することは、欧州の安全保障にとって悪いことではないはずだ。

気候安全保障上の脅威、中国

今回の動きは、2030年のCO2排出量を13年比で46%削減するとのハードルを課した日本政府にとっても、注目に値する動きだ。米国も、中国との対立が高まる中で、気候変動など協力できる分野では協力するとしている。中国は年間90億トン以上のCO2を排出する世界一の「炭素国家」だ。この点でも、中国は気候安全保障上の「脅威」とも言える。中国は、2025年までの5年間で、GDP当たりのCO2排出量を18%削減するとの目標を示しているが、仮に年5%のGDP成長を果たせば、CO2排出量は2020年比で10%増となるとの見方もある(参考)。気候変動に実質的な対策をとることなく、一方的な現状変更で影響力を拡大しようとしているのであれば、中国とはいったい何者なのだろうか。CO2排出量2位の米国と、気候安全保障の分野での協力をぜひとも進めてもらいたいものである。筆者の移住先である北海道では、歴史的な猛暑が続いている。

元外交官

元外交官 1980年生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修了。外務省入省後、ユジノサハリンスク総領事館(2009~2011年)、在ロシア日本大使館(2011~2014年)、ロシア課(2014~2017年)、中・東欧課(ウクライナ担当)(2017〜2019年)など、10年間以上ロシア外交に携わる。2020年に退職し、現在は森林業のかたわら執筆活動に従事する。気象予報士。日本哲学会、日本現象学会会員。著書に「地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理」(PHP新書)、「ロシアの眼から見た日本 国防の条件を問いなおす」(NHK出版新書)。北海道在住。

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