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内政でも外政でも争点化――「殺し屋」プーチンの憂鬱

亀山陽司元外交官
(写真:ロイター/アフロ)

バイデンとプーチンの口喧嘩

米露両国大統領が大っぴらに互いをけなし合ったやりとりが注目を浴びている。17日、まずバイデン大統領が、プーチン大統領は殺し屋(killer)だと思うか、との記者の質問に対し、そう思う(I do)と答えたことが報じられた。これに関連して、ロシア外務省はその日中に、アナトーリー・アントノフ駐米大使を呼び戻した。因みにこれは大使の「召還」ではなく、「協議のため」呼び戻したとされている。大使は国の特命全権であるから、大使召還という措置は、外交関係を打ち切るまではいかなくとも縮小することを意味するわけだが、今回はそこまでの姿勢を示したわけではない。ただし、大使を呼び戻しての協議の目的について「米露関係が後戻りできないほど悪化することを避けるため」としており、不快感を明確に示しているとは言えるだろう。

翌18日、プーチン大統領がバイデン大統領の発言に対して早速お返しをした。まず、「健康を祈る。いや、これは皮肉や冗談ではない。」と述べた。この発言には、脅迫じみたニュアンスが感じられるが、別に意図してのことではあるまい。むしろ、78歳というバイデン大統領の高齢を意識しての皮肉であろう。続いて、「それぞれの民族や国家の歴史には、たくさんの困難でドラマチックで流血に染まった出来事があるが、我々が他の民族や他国を評価する際には、まるで鏡を見るようなものだ。」と大上段から説き起こす。「我々はそこに自分自身を見るのだ。」その語り口はまるで心理学者か精神分析家のようでさえある。と、突然、自身の子供時代の思い出話を始める。子供同士のけんかでよく使った言い回しとして「馬鹿という奴が馬鹿」を例に挙げ、「これは子供じみた言い回しや冗談ではない。その意味は深く、心理学的だ」と言ったという。

プーチン大統領批判の世界的な高まり

こうした批判の応酬自体は米露関係にとって特に珍しいものではない。レーガン大統領は、ソ連を「悪の帝国」と呼んだ。しかしながら、今回はプーチン大統領自身が争点に挙がっていることが問題である。この「殺し屋」発言も、反政府活動家であるナヴァリヌイ氏毒殺未遂事件を念頭に置いている。ナヴァリヌイ氏の問題は、米欧各国の対露制裁にも及んでおり、ロシアという国家ではなく、プーチン大統領という個人に向けられた非難の様相を呈している。

まず、今回の一連の動きにおいて、プーチン大統領の得意とするウィットと皮肉に富んだ大上段の言い回しと、外務省による駐米ロシア大使の一時帰国指示との間には温度感には齟齬があるように感じられる。プーチン大統領は「馬鹿という奴が馬鹿なのだ」、私のことを人殺しと呼ぶバイデン大統領にこそ身に覚えがあることだろうと切り返して終わりにしているが、外務省は即日、大使一時帰国という措置をとることで明確に不快感を表明している。バイデン大統領が記者の質問(プーチン大統領は殺し屋と思うか)に対して、「そう思う。」と答えたのはあまりに率直で外交的儀礼に欠くとしても、翌日プーチン大統領が「お前こそ殺し屋なんじゃないか。」という意味の切り返しをしたことでおあいことも見える。因みに、米国人記者が使ったkillerという英語には、「殺し屋」という意味のほかに、「とても魅力的な人」という意味もあるようだが、今回はそういう意味で使ったのではないだろう。いずれにせよ、ロシア外務省の迅速な措置を見れば、プーチン大統領という個人が諸外国からの非難の的にされることを容認できないと考えているということである。ナヴァリヌイ氏逮捕以来、国内的に反政権(反プーチン)の機運が高まっている中、これは多分に内政的な要素のある問題であると見ることができる。

モスクワで行われたある市民投票が示すロシア国内の分断

全く関係ないように見えるもう一つの事案を取り上げてみたい。2月25日からモスクワのポータルサイトで実施されたネット投票である。投票に付された議題は、モスクワ中心部のルビャンカ広場に誰の銅像を立てるべきか、である。選択肢は二人。ソ連時代のKGB(国家保安委員会)の前身組織であるVChK(ヴェーチェーカー又は単にチェーカー)という治安組織の長となったロシア革命の闘士フェリックス・ジェルジンスキーか、中世ヨーロッパの辺境であった草深い13世紀ロシアの救国の英雄アレクサンドル・ネフスキー公かを選ぶのである。因みにアレクサンドル・ネフスキー公は、13世紀ロシアを西から攻めていたスウェーデンやドイツ騎士団に勝利し、ロシア侵略を阻止した軍事的天才であり、帝政ロシア時代からソ連時代に至るまで一貫して英雄とされ、ロシア正教会の聖人にまで祭り上げられている人物である。ジェルジンスキーはどう考えても分が悪いのだが、この二人が並べられたのにはわけがある。

そもそもルビャンカ広場は旧KGB、現FSB本部前広場であり、もともとジェルジンスキー像が立てられていたのだが、ソ連崩壊後に移動された。それを一部活動家たちが元に戻そうとモスクワ市に提案したのがこの投票の発端なのである。これに対して、では市民に是非を問いましょう、ただし、ジェルジンスキー一択というのではなく、何人かほかの候補も上げましょうということで、アレクサンドル・ネフスキー公やイワン三世、アンドロポフなどが提案され、最終的に上記の二人に絞られた経緯がある。

この投票の結末はあっけなかった。2月25日の投票開始のすぐ翌日、ソビャーニン・モスクワ市長が、この投票は分断を助長する、という理由で、ルビャンカ広場を現状のまま残すこととする決定を下したのである。その時点での投票結果はアレクサンドル・ネフスキー像に55.3%、ジェルジンスキー像に44.6%であった。ジェルジンスキー像に半数近くの人が賛成したことに筆者は驚いたのであるが、問題は、この投票が市民の分断を助長するという理由でわずか二日間で中止されたことだ(予定では3月5日まで)。

プーチン大統領自身が選択肢に

この投票をめぐってはよくわからないことが多く、メディアではいろいろと憶測が飛んでいる。モスクワ市は本当はジェルジンスキー像を戻したくなかったので途中で中止したとか、ルビャンカ広場の改装はプーチン大統領の希望だったなど。その中には、反政府活動家ナヴァリヌィ氏逮捕に関連する市民の関心を逸らすためのものだったとの見方まである。因みに、ジェルジンスキー像を旧に復そうと提案した人々は作家・ブロガーのグループであり、ソ連主義者とでもいうべき政治的立場を有している。同時にプーチンの支持者、応援団というべき人々である。

ソビャーニン・モスクワ市長が危惧したような市民の分断は、ジェルジンスキーか、アレクサンドル・ネフスキーかではなく、実際には、プーチンか、反プーチンか、であった。ジェルジンスキーを推しているのは明らかに親プーチン勢力であり、かつプーチンはKGB出身なのである。おそらくは、モスクワ市政府の意図に反して、ルビャンカ広場の銅像問題は、結局プーチン大統領を争点にした分断に行きついたということであろう。こうした事態は、アメリカ大統領選で、トランプか、反トランプか、が争点となったことを想起させるものだ。

このように、外交でも、内政でも、プーチン大統領自身が争点化され、分断の中心になっていくことは、ロシアにとってはなはだ危険な状況であると言わざるを得ない。というのも、プーチン大統領はロシアその物と化しており、プーチン大統領を否定するには、ロシア自身が新たな「国のかたち」を模索する必要があるからである。

元外交官

元外交官 1980年生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業、同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修了。外務省入省後、ユジノサハリンスク総領事館(2009~2011年)、在ロシア日本大使館(2011~2014年)、ロシア課(2014~2017年)、中・東欧課(ウクライナ担当)(2017〜2019年)など、10年間以上ロシア外交に携わる。2020年に退職し、現在は森林業のかたわら執筆活動に従事する。気象予報士。日本哲学会、日本現象学会会員。著書に「地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理」(PHP新書)、「ロシアの眼から見た日本 国防の条件を問いなおす」(NHK出版新書)。北海道在住。

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