記者2千人の朝日新聞が「調査報道」できないのはなぜか? 朝日出身「ワセダクロニクル」編集長が語る理由

朝日新聞を退社して、新メディア「ワセダクロニクル」を立ち上げた渡辺周編集長

ワセダクロニクル」という調査報道メディアが注目を集めている。2月1日に誕生したばかりの新しいウェブメディアだが、第1弾として、全国の地方紙にニュースを配信する通信社「共同通信」の記事が、大手広告代理店「電通」のグループ会社によってお金で買われていた、というスクープを放って反響を呼んだ。

共同通信は「事実誤認がある」と反論しているが、ワセダクロニクルは「連載形式で続報を掲載していく」としているので、今後の展開に注目したい。

このワセダクロニクルは、早稲田大学ジャーナリズム研究所(所長・花田達朗教授)が運営するメディアで、支援者の寄付金に頼りながら、調査報道ジャーナリズムに特化した活動をおこなっていくと表明している。

政府や企業の発表に依存せず、独自の調査で丹念に事実を集めて、権力の不正を暴こうとする「調査報道」。大学を拠点にそこに注力しようという試みは、従来の日本では見られないユニークなものだ。メディア業界での注目度も高く、すでに東洋経済オンラインTHE PAGEに、ワセダクロニクルの渡辺周編集長のインタビュー記事が掲載されている。

2月18日には、早稲田大学の近くで、創刊記念シンポジウムが開かれ、「日本で本格的な調査報道ジャーナリズムは成立するのか?」と題したパネルディスカッションがおこなわれた。そこに登壇した渡辺編集長の話が興味深かったので、紹介したい。

渡辺編集長は、朝日新聞出身で、調査報道チームなどで記者を経験したあと退社し、ワセダクロニクルの編集長に就任した。シンポジウムでは、渡辺編集長のジャーナリストとしての原点となった出来事や調査報道にかける思いのほか、朝日新聞のような既存のマスメディアで調査報道がやりにくくなっている理由が語られた――

◇渡辺周編集長の「記者としての原点」

僕自身は(2000年に)朝日新聞に入社したときから、割といろんなことをやりました。たとえば、カルーセル麻紀さんとか、「ベティのマヨネーズ」のベティママとか、ニューハーフについての連載をやったりしました。これは「男と女の間には」という連載なんですけど、結構名作なので、ぜひ見てください。

調査報道というのは、記者人生の後半に意識するようになりましたけど、それまではあまりなくて・・・。ただ、いま思えば原点かなというのは、初任地だった島根県の松江支局での経験です。

当時、松江の本屋さんや町の人、役所の人とかの面白い人たちが秘密結社みたいなのを作っていて、毎週、宍道湖のほとりのおでん屋さんで謀議を交わしていたんですね。そのなかで、あるとき、「病院で呼吸器の電源が抜けて、亡くなった患者さんがいる」という話が出ました。

病院内は紛糾していて、「警察にちゃんと届出をすべきだ」と言っている。だけど、亡くなったおじいちゃんはもともと重症で運ばれてきた人で、呼吸器の電源が抜けなくてもいずれ亡くなっていた、と。だから、自然死であり、病死であるということなんだけど、病院の中では「とりあえず報告はしなくてはいけないんじゃないか」と言っている――。

そういうネタが入ってきて、取材をしたんですけど、警察や医者を含めて、みんな同じようなことを言うわけです。「たぶん、電源が抜けた」と。ただ、そのおじいちゃんは1回、心肺が蘇生したんですよね。蘇生してから亡くなっているから、呼吸器の電源が抜けたことによって亡くなったのかどうかはよくわからない、と。警察も「業務上過失致死には問えない。過失致傷ならどうかな」とか言っている。

そんな中、亡くなったおじいちゃんの奥さんのおばあちゃんのところに取材に行きました。すると、仏壇におじいちゃんの海軍かなんかのときのカッコいい若い写真が飾ってあるわけです。「これ、誰ですか?」と聞いたら、「うちのおじいちゃんだ」と。おじいちゃんのときの写真ではなくて、若いときの写真が飾ってあるんです。

それで、(病院の対応について)「おばあちゃん、どうなの?」と聞いたら、「私は許せない」と言うんですね。「なんで?」と聞いたら、おばあちゃんはこう言うんです。「たしかにおじいちゃんは重症で運ばれて、もう先は長くなかった。ただ、呼吸器の電源が抜けて、病院から呼ばれて行ったら、病院の人たちが必死に心臓マッサージをやっていて、おじいちゃんは血をゲホゲホ吐いていた」と。

おばあちゃんは「もうそんなことをしなくていい、苦しそうだから」と言ったんだけど、病院の人は「ここで亡くならせるわけにはいかないから」とやっている。「いずれ亡くなったんだろうけど、最後にあんな苦しい死に方をさせたのはかわいそうで仕方ない」と、おばあちゃんは話していたんです。

それで、「病院の人は謝りにきたの?」と聞いたら、「謝りには来てないけれど、お葬式には来た」と。「どうだったの?」と聞いたら、「お香典を20万円置いていった」と――。

そのとき思ったのは、「誰の立場に立って記事を書くのか」ということです。(病院の医療者たちが)仕事をしている中では、ミスも当然起こるんだけども、自分たちの職務上やるべきことをやったのかどうか。犠牲者の立場に立ったとき、はたしてどうなのか、ということです。

いま振り返れば、この体験が(調査報道に力を入れることになる)原点だったかな、と思っています。

ワセダクロニクルは、共同通信と電通に関する調査報道「買われた記事」を掲載した
ワセダクロニクルは、共同通信と電通に関する調査報道「買われた記事」を掲載した

◇元警察官僚が「ジャーナリズムの今後」を心配

記者人生の途中から調査報道をやるようになったんですが、大阪の実家に帰省したとき、母親に「あんた、いま何をやってんだ?」と聞かれたんですよね。「調査報道だよ」と言ったら、「あんた、いままで調べずに書いていたの?」と言われて(笑)。

そんな感じで、調査報道というのは何かとか、定義はいろいろあるんだろうけど、いまのような状況になってくると、やっぱり調査報道は必要だな、と思います。

そのことを痛感したのは、去年亡くなった大森義夫さんという元警察官僚の方に言われた言葉です。

彼は公安畑が長かった人で、内閣情報調査室の室長とかをやっていて、諜報機関を作りたいという運動をしていた人。要するに、権力のど真ん中で仕事をしてきた人ですよね。相当いろんなことを見てきて、権力の中枢にいたわけですが、去年亡くなる前に、彼からお便りをいただいたんです。「調査報道に命をかけてください」と。

これは励ましの言葉として、うれしいのはうれしいんだけれど、危機的だなとも思いました。そのあとに大森さんに会って話を聞いたときも、「メディア、ジャーナリズムの側が弱すぎる。ヘッポコすぎる」と言っていました。

「こんなことでは、もうどうなるかわからん」ということを、権力のど真ん中にいた人が言っているわけです。彼らは彼らで仕事をしているんだろうけども、「自分たちをチェックしてくれる力というのが非常に弱い」と。これはすごく危機的だなと思いましたね。

◇「フォロー取材」ばかりしている大新聞

今回のテーマは「調査報道ジャーナリズムは成立するか?」というものですが、それは、やるかやらないかだけの話だと思うんですね。

考えてみてほしいのは、たとえば朝日新聞には記者が2000人以上いるわけです。我々、ワセダクロニクルはお金がなくて、10人ぐらいの記者と、学生のリサーチャーたちで調査報道をやろうとしている。

朝日新聞は2000人以上も記者がいるのに「調査報道ができない」というのは、どういうことなのか。なぜできないかといえば「フォロー取材」ばかりしているからなんですよね。(他社が書いた記事を)落とさない。特オチ(他社に特ダネを書かれること)をしない。あるいは、自分が担当しているところはしっかり守るけれど、その陣地から出ていかないという取材をしている。

日本中にそういう取材のエネルギー、明日わかることを今日書こうとするエネルギーで満ち満ちている。(新聞などのマスメディアが)それにかけるエネルギーというのは、相当すごいと思いますよ。「落とさない」「抜かれない」ための取材というのは結構大変で、夜回りして朝駈けして、「今日は他社に抜かれていないか」と毎日ビクビクしている。

でも、読者は誰も求めていないんですよ。そんな「落とさない新聞」とかは。あのエネルギーを調査報道に使ったらどうかと思います。

調査報道ができるかどうかは発想の問題で、規模の問題とかでは全然ないわけです。「調査報道ができるのか」と言えば、(その気になれば)当然できるということですね。