『東大美女が隣りに座ってくれるキャンペーン』のまずかったトコを夜の世界から考えてみた。

(写真:アフロ)

まずこの件に関しては、千田先生が大学教員のお立場でとても読みやすく社会的に大事なことを示唆された記事を書かれておりますので、まずそちらを参考にしていただければと思います。

旅行会社の「東大美女が隣に座ってくれる」キャンペーン即日中止について、大学教員として考えること

その上で、一連の批判に少なからず「キャバクラかっ!」という指摘が散見されていることをうけ、僕の方では、夜の世界側のあり方から、この企画がどう見えているのか。どこがまずかったのかを分析してみたいと思います。

■浅はかな企画だったか??

茂木健一郎さんはご自身のブログでこのように批判されていました。

男性(というかおじさん?)視線のキャンペーンを、どうして思いつくのでしょうか。

SNSでも同様の批判が散見されます。しかしながら、例えばミスコンが行われている大学は少なくはないはずですし、大学×美女+○○みたいな企画も珍しくはありません。ではなぜ、この企画に対し特に批判が集中したのかを考えてみたいと思います。

世の中の反応を見てみると、セクハラ・性差別というキーワードが際立っていますが、ここは判断が難しく、法的に違法なことをしていないのであれば、企画への是非は個人の感性によるところが大きいものです。それよりも、事前に参加する学生達から同意は取れていたのでしょうから、まずは本人たちがどう思っていたのか?を聞くことが大切だと思います。その工程を経ること無く、一方的に不謹慎という主張を押し付けてしまうことは少々乱暴な意見です。

それよりこの件に関して致命的にまずかったことは見せ方にあると、夜の世界を見てきた立場からは言い切りたいと思います。

■『教育』はなんだかんだで聖なる場所

企画を考えられた方々は、事前にある程度の批判が生まれることは想定していたと推測できます。その根拠は有名私立大の女子大生ではなく、“東大”という最高学府の女子大生を意図的に設定していることから窺えます。「東大=最高学府」という社会的記号がつくことで、浅はかさが生じても払拭できると考えたのではないでしょうか。しかし、ここが安易だったと思います。

女子○○という記号が社会に与える浅はかな先入観はかなりのものがあります。また教育のあり方に対する反応も同様で、浅はかに見られる表現は許されないのです。情報発信を行う者はこの部分にかなり神経を尖らせなければいけません。こうした先入観は東大生を前面に出したところで拭い切れるのものではないのです。

少し思い出していただきたいのが、去年の11月に『奨学金返済ナビ』というサイトが立ち上がるも即炎上、閉鎖という出来事が有りました。炎上の原因は、奨学金という教育に近い性質のものに夜の世界の仕事を結びつけようとしたことが原因です。

『東大の女子大生と飛行機に乗り合わせてお話』という見せ方では『奨学金返済ナビ』同様、教育の領域に浮ついた出来事を持ってきたとされ拒絶反応を生んでしまうのです。今回の企画者が『奨学金返済ナビ炎上』に学んでいなかったことが悔やまれます。

■誰に見せたかったのか?の設定が曖昧だった

H.I.Sの企業理念をみると、

ツーリズムを通じて、世界の人々の見識を高め、 国籍、人種、文化、宗教などを越え、世界平和・相互理解の促進に貢献する。

出典:H.I.S.企業理念

とあります。一人旅行もいいものですが、誰かと一緒に出かけたり、道中の出会いは旅の醍醐味です。その機会を代理店として設けること自体は決してこの理念からは大きく外れたものではありません。

では、何が行けなかったのか?

キャバクラの広告をやられている方にこの件について意見を聞いてみたところ、

「万人受けを狙ってしまったことがまずい。その結果、女子大生とお話ができることでキャバクラかっ!のような批判が生まれてしまっている。」と解答をいただきました

実際のキャバクラ等、夜の世界の広告はどのように行われているでしょうか?世の中には夜のお仕事間に関する求人情報は想像以上に溢れていますが、まず前提として共有しておきたいのが、夜の業界は元々そういう仕事を探している層に向けて情報発信をしているということです。

つまり、はじめから短時間×高収入などのキーワードを求めている女性をターゲットとして情報を発信しているわけです。興味のない人に見られるところに広告を出すことはありません。なぜなら批判しか生まれないからです。

だからこそ、ターゲットを明確に定義した上で掲載場所や、メディアを選定し予算を投下しています。また、ありもしない情報で騙したり、明らかな嘘や誇張表現の発信は現代においてはほぼ行われていません。なぜなら斜に構えられて見られている業界だからこそ、見られ方、印象の持たれ方については業界の広報担当者がかなり神経を使っているためです。

■どうすればよかったのか?

企画の趣旨は会社理念を考えるとそこまでおかしいものであったとは言えません。ただ、企画から生じている浅はかさの払拭を東大生という記号に託してしまったことが問題だったと思われます。健全性というものは見る人によって異なるものです。最初から誰に見せたかったのか?をきちんと定義すべきだったと思われます。

1)受験を控えた大学生

2)夏休みの家族連れ

3)一人で旅行を検討している女性

当初からこうした層に使ってもらう為の内容に設計し、情報発信を行う企画なのだと定義すれば間違いなく社会の反応も異なってきたでしょう。こうすることで、「等身大の東大生を知ることで先入観をなくして、自分にも東大合格できるかもしれないと勇気を与える」といった趣旨の企画にすることができたと思います。

■東大生に恋した日

繰り返しますが、企画の正当性を東大という記号に依存し打ち出したことは詰めが甘すぎと言わざるを得ません。多様化した社会では社会の反応を事前に予想し、情報発信や表現を行うことは必須のリテラシーです。企画主が万人に知られた上場企業であることを考えると、批判が生まれてしまった以上は、中止して不謹慎だったと謝罪するのはしかたありません。

とは言え、個人的には人生で一度は、東大生からお話を聞く機会を作ることは有意義なことだと言い切れます。なぜならば、当たり前なのですが、彼ら彼女らも我々と同じ普通の人間であることがわかるからです。世の中は東大生を特別な存在として見すぎています。

我々はあらゆる意味で学歴という記号に少々踊らされ過ぎなのではないでしょうか?

記号に踊らされず、等身大の人間を知ることは重要な事です。奇しくも明日、明後日は東大本郷で五月祭が開催されます。お祭を通し、東大を特別視することなく、身近な存在として認識してもらえればいいなぁと強く願います。