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本当に悲しかったNBオンラインの記事

治部れんげ東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授、ジャーナリスト

1週間前の記事は、ネットの世界では既にちょっとした過去です。本稿で取り上げるのは、3月7日付でNBオンラインに公開された「逃げる女は美しい」と題した記事。いえ、焦点はこういう記事を掲載した日経BP社の編集者と、それを許した社内の雰囲気です。

記事は現在、掲載取りやめになっていますので、ごくかいつまんで内容を紹介すると、筆者は仕事も家庭も求める女性の生き方を批判したかったようです。あれこれ書いていますが、それがなぜ、問題かというと、批判の根拠を説得的に示すことができていないからです。事例なし、データなし。こんな記事を記者時代の私が書いたら間違いなく、上司につき返されていたでしょう。「こういうの、うちの媒体では載せられないんだ」と言われて。

大学を出てすぐ、私は日経BP社で社員記者になりました。「ファクトが大事なんだ」と研修で何度も言われましたし、提出した原稿に説得力が欠けていたら「週末、ここを取材して書き直して」と言われたこともありました。今、独立して執筆や講演、コンサルティングで食べていけるのは、この会社で16年間、鍛えてもらったからだ、と思っています。差別表現に関する研修も受けました。

問題は筆者より編集者にある

育成してもらった恩があるので、この記事はひどすぎる、と思ったものの、公の場で書くことは、これまで控えていました。それでも看過できず友達のみ公開のFacebookにほんの短い批判を書くと、2時間もしないうちに性別や職種を問わず、いろんな人から意見が集まりました。ある若い女性は、記事と同じようなこと(仕事も家庭も求めることはわがままだ)をよく言われるそうです。男性から見ても飲み屋の戯言みたい、と厳しい反応でした。一番多かったのは、見識のある読者を対象にしているはずの媒体が、こんな記事をどうして載せたのか、というものでした。

ウェブ上では様々な価値観・意見が目につきます。男女ともに相手に厳しく自分と同じ属性に甘い意見は存在しますから、差別的な発言は女性だけに向けられるものではありません。男性に対して差別的なことを言う女性もいます。

元編集者としては、筆者の価値観や意見の内容、文章の質より「編集者がそれを是認すること」の方が問題だと思っています。この場合、筆者が書いているような意見を個人のブログ等に記すことは、表現の自由の範囲です。一方で信用力のあるメディアに掲載すると意思決定をした編集者の責任が重いと私は思います。メディアは拡声器の役割を果たしますし、メディアの持つブランドは書かれた記事の信頼性を担保するからです。

怒りより悲しさが先にくる理由

この記事を読んだ後、夜、布団の中で珍しく泣けてきました。なぜなら、この記事を載せた会社には、私が子育てしながら仕事をすることを支援してくれた人がたくさんいるからです。誰も、欲張りとか、君が何をしたいのか分からない、などとは言わず、私が持つ力を最大限発揮できるようにしてくれた。そういう人たちがいる組織なのに、こんな記事(問題は内容より説得力あるファクトやデータ、主張の運びになっていないところにあります)が掲載されることを許してしまったのだろう、と。

私が大学3年生で就職活動をしたのは今から20年前に遡ります。当時は今のような女性活躍推進の機運はありませんでした。育児介護休業法はあったものの、就職説明会で「子どものいる女性はいますか?」と聞くと「いません」と答えられることが多かったのです。ある企業の説明会では「女性は、事務職です」と言われました。質問時間に挙手をして「もし、女性が営業や企画を希望したらどうなりますか?」と尋ねると、人事担当者は「女性は、事務職です」と繰り返しました。この会社の筆記試験を受けながら、吐き気がこみ上げてきたことを覚えています。能力や適性、希望ではなく性別で役割を決められるのは受け入れがたい、と気づいた瞬間でした。

20年前から性別でなく能力を見ていた人も多かったはずなのに

一方、日経BP社の採用試験では私が「女であること」を意識させられることは一度もありませんでした。セミナーで登壇したアメリカ帰りの男性記者の発言に惹かれて「私もあんな風に仕事ができたらいいな」と思い、それをそのまま社長・役員面接で話しました。面接で尋ねられたのは「当社を志望した理由は?」「入社したら何をしたいですか」「大学で学んだことを仕事でどう生かすのか」「体は丈夫ですか?」だけです。内定の電話をもらった時の解放感は今でも忘れられません。

決して出来がよくはなかった新人の私に「文春の花田さんの本を読みなさい」と勧めてくれた副編集長、「夏休みはちゃんと取った方がいいよ」と言ってくれた先輩、そして「君はどう思う?」とことあるごとに問い続けてくれた編集長のおかげで、仕事が楽しくなってきました。

社内の心ある記者・編集者はどう思っているのか

だから、当時付き合っていた相手(現夫)が海外留学した時、自分が東京に残って仕事を続けるのは当たり前だと思ったのです。男性と同じように取材や出張に行き、ダメな原稿は性別関係なく書き直しを要求される。もちろん報酬は同じ仕事をしていれば男女で変わらない。40を過ぎ、子育てしながら今も仕事を続けられる基盤を作ってくれたのは、間違いなく、この会社で育成されたことだ、と今でも感謝しています。

妊娠の報告をした時、直属の上司(男性)は「休みはいつから、いつまで?」と尋ねました。部署の人員が少なく、ひとり休んだら厳しい状況になるのは分かっていましたが、私が産休育休を取ることを当たり前と受け止め「数カ月なら、俺たちで戻ってくるまで頑張るから」と言ってくれたのです。

そういう風に、子育てしながら働くことを応援してくれる人が社内には年齢性別を問わずたくさんいましたし、今もいると思います。女性記者の多くは結婚後も仕事上の姓を変えず、署名原稿を書き続けます。そういう会社から、あんな記事が出てきてしまったことについて、私は怒りより悲しさを強く感じました。あの1本の記事で会社のイメージがおかしくなり、私自身が仕事と子育てを当たり前に続ける基盤を作ってくれた人たちの存在がないもののように言われてしまうことは、本当に無念なのです。

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授、ジャーナリスト

1997年一橋大学法学部卒業後、日経BP社で16年間、経済誌記者。2006年~07年ミシガン大学フルブライト客員研究員。2014年からフリージャーナリスト。2018年一橋大学大学院経営学修士。2021年4月より現職。内閣府男女共同参画計画実行・監視専門調査会委員、国際女性会議WAW!国内アドバイザー、東京都男女平等参画審議会委員、豊島区男女共同参画推進会議会長など男女平等関係の公職多数。著書に『稼ぐ妻 育てる夫』(勁草書房)、『炎上しない企業情報発信』(日本経済新聞出版)、『「男女格差後進国」の衝撃』(小学館新書)、『ジェンダーで見るヒットドラマ』(光文社新書)などがある。

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