行政の計画策定を自分ごと化する~香川県三木町「百眼百考会議」~

スローガンは「『わたしのまち』と一人称で呼んでもらえる三木町」をめざして

職員もあまり知らない? 行政の計画

行政は、一般に「子ども・子育て支援事業計画」「環境基本計画」など、様々な計画を策定し、それに基づきながら行政運営を行う。「計画」(プラン)は、当然、実行しなければ意味がない。しかし、全国の自治体の中では、計画を作ることが目的となってしまい、その計画に何が書かれているのか、どのような理念に基づいているのかなどについて、市民はおろか行政職員の中でも知る人間が少数ということも少なくない。

その原因としては、

1.計画書作成を外部コンサルタントに丸投げする

2.住民参加がない、あるいは住民参加の仕組みがあっても参加者の顔ぶれが同じであることが多い(公募で市民を選んだり、「充て職」として各種団体の長を選び「市民の声を反映」という形をとるなど)

3.職員の関心は計画(理念=あるべき姿)より事業(予算)で中長期的視点を持たない

などが考えられる。

これを脱却し、計画策定自体を「自分ごと化」した自治体の手法を紹介したい。私にとっても最も心に残る事例である。

香川県三木町の「百眼百考会議」~無作為に選ばれた住民が総合戦略策定の議論に参加

地方創生の一環で、全国の地方自治体は5年間の重点戦略である「総合戦略」を2015年度から策定している。私が所属する構想日本が策定に関わった自治体の一つに、香川県三木町がある。

三木町は、高松市の東に位置する人口28000人ほどの町。私たちが協力するにあたっては、

1.職員が自分たちの頭で考え、戦略を作成する(構想日本は、頭の整理や戦略作成の支援を行う)

2.住民が「自分ごと」として関わるプロセスを入れる(構想日本がこれまで培ってきたノウハウを全面活用する)

の2点を前提とすることを三木町とも確認した上でスタートした。

いきなり初めから「これからの教育においては○○すべきだ」などの「べき論」を行うのではなく、これまでの実績のチェックや現状把握から始めることにした。現状把握をして初めて課題は浮き彫りになると考えるからだ。

現状把握にあたっては、外部の人が加わって実績や事実のチェックを行った。そうすることで課題が見えてくる。三木町の全事業の約4割について外部によるチェックを行った。

次に、チェックで見えてきた課題を整理したうえで、無作為に選ばれた住民と一緒に議論する場を設けた。三木町では以前から「百眼百考会議」(50人、100の目で三木町を見てもらい、それぞれの考えでアイディアを出してもらうという意味)という名で行われていたので、この会議を総合戦略策定のための「素材づくり」の場として活用することにした。

無作為に選ばれた住民を「移住促進・受入れ」、「行政と地域組織の役割」、「地場産業と雇用」、「結婚・出産・子育てなど若年世代対策」の4つのグループに分け、それぞれのグループに構想日本が選定するコーディネーターを置いた。

「百眼百考会議」は抽選で当たった住民が、4つの班に分かれて議論。構想日本スタッフ撮影
「百眼百考会議」は抽選で当たった住民が、4つの班に分かれて議論。構想日本スタッフ撮影

「百眼百考会議」は月1回のペースで全6回開催した。まずは課題の整理、現状の確認、そして日常生活の中から感じることや改善策をどんどん出してもらう(発散してもらう)。4回目、5回目は少しずつ集約のための議論を行う。ただし、この会議ですべての答えを出すわけではない。あくまでも「素材を出す」ことを目的としているので、できる限り、住民の生活実感から来る思いや意見を引き出すことに時間を使った。

「幸せな暮らしは自分だけではできない。周りの人や行政と一緒になって何をすればよいのか考えたい」

これは会議で出てきた発言。自由に話せる空間だからこそこのような発言が出てきたと感じている。

住民と各界トップランナー混成の委員会で意見をとりまとめ

この会議で出された「素材」をとりまとめていく段階では、有識者からなる委員会を作った。三木町では、全体をとりまとめる「総合戦略策定委員会」のほか、日本一子育てしやすい町を目指すための具体的な取組みを検討する「まんで願いきいきタウン構想策定委員会」(「まんで願」とは「すべて」という意味の方言)の2つを設置した。

この2つの委員会の構成メンバーには大きな特徴があった。一般的な行政の会議体では、例えば商工団体の会長や農協の組合長、銀行の支店長など、その町に住む「有識者」が委員となることが多い。しかし、三木町の筒井敏行町長(当時)は「町の識者の話は日常的に聞くことができる。今回は全国で活躍する人たちと一緒に議論して作り上げたい。ただ、私(町長)はそのような人たちとのつながりがないので、人選はすべて伊藤さん(私)にお願いしたい」という考えであったため、私が人選を進めた。

その結果、「総合戦略策定委員会」は座長に我孫子市長や消費者庁長官を歴任した福嶋浩彦氏、委員には、広告代理店「博報堂」の執行役員や、ネット生保「ライフネット生命」の常務(女性)、情報システム企業の「IBM」の政策渉外部長(女性)などが就任、「まんで願いきいきタウン構想策定委員会」は座長に「アエラ」の編集長に就いてもらうなどした(肩書きはすべて当時)。

どちらの委員会にも、「百眼百考会議」の代表者や町内の各種団体のトップの方にもオブザーバーとして参加いただき、住民と外部委員の混成チームとなって議論を重ねた。

ちなみに、お願いした外部有識者は全員が引き受けてくださった。委員会は両方とも4回の開催。多忙な方ばかりで、東京からの移動を含めると丸一日かかってしまう。それでもお引き受けいただいたのは、各界のトップランナーは現場で起きていることにとても関心を持っているからではないかと感じた。

私は双方の委員会の委員だった。私自身、行政の会議には数多く出席しているが、この2つの委員会の議論ほど「おもしろい」と思ったことはない。現場で起きていることや生活実感から来る意見と、日本や世界を舞台に活躍している人の経験や考えが化学反応を起こして新たなアイディアが生まれる場面に何度も遭遇した。行政の会議の議事録を見たいと思う人はほとんどいないと思うが、この議事録は読んでいても眠くはならないだろう。

すべての議論に参加した職員の手で総合戦略を策定

委員会で議論したものを最終的に文字に落とし込んでいくのは職員だ。当時、多くの自治体で総合戦略の策定をコンサルタントに委託し、コストはかかるけれど最終的にはきれいな戦略書が出来上がる、というケースが見られたが、それではせっかくの戦略が「他人ごと」になってしまう。計画は実行しなければ意味がないからこそ、職員が委員会の議論にも参加し、当事者意識をもって作ることこそが大切だと感じる。三木町ではプロジェクトチームを設置して総合戦略を作り上げた。

三木町での計画作りにおいて気を付けたのが、多くの意見を出した住民の思いが委員会での議論や職員が文字に落とすプロセスで落ちないようにすること。そのため職員によるプロジェクトチームには、初めの百眼百考会議から常に議論に加わることで熱を感じてもらった。

この委員会でとりまとめた総合戦略を、再度百眼百考会議を開いてフィードバックした。百眼百考会議で出た住民の意見すべてが戦略書に盛り込まれることは無理だ。しかし、その取捨選択のプロセスもすべてさらけ出すことで、「自分の考えがすべて取り入れられているわけではないけど、これでもよいかな」といった納得感が生まれる。この納得感こそ、行政と住民の関わりを考える上で最も重要な要素だと思う。

傍聴した住民も感動! 総合戦略の完成

このようなプロセスを経て、三木町の総合戦略は完成した。タイトルは「三木町まんで願大作戦~『わたしのまち』と一人称で呼んでもらえる三木町をめざして~」。

個人的にはサブタイトルがとても好きで、これは当時の筒井町長の発言を抜き出したもの。住んでいる人みんなが、「わたしのまち」と思えるくらいに町を自分ごと化してほしい、そのような町になればとても魅力的になる、といった願いが込められている。

完成後、この策定手法や戦略の中身について、多くの自治体から問い合わせや視察、策定プロセスについての講演依頼などがあったとのこと。ここで述べた手法が注目されたと言えるが、三木町の総合戦略の策定が成功した重要なポイントがもう一つあると私は感じている。それは、町長、副町長(ともに当時)、そして若手を中心とした職員の「気持ち」だ。

審議会などでは、初回の冒頭のあいさつしか出席しない首長も少なくない中、総合戦略策定委員会、まんで願いきいきタウン構想策定委員会の全8回、すべてに町長と副町長がフル参加し、そして一緒に議論をした。当然のことのように聞こえるかもしれないが、実は容易なことではないし、非常に重要なことだと私は思う。外部の委員や住民と一緒に町長や副町長が議論することで、トップの考えが内外にとてもよく伝わる。何より、トップの熱の入り方が庁内全体に伝わる。2つの委員会は平日昼間の開催であったが、「この場の雰囲気や議論を聞くことはとても勉強になる」という町長の思いがあったため、職員の傍聴を業務として推奨した。若手職員を中心に20人以上が傍聴した会もあった。

総合戦略の表紙。デザインも「行政らしくない」ものを目指した。
総合戦略の表紙。デザインも「行政らしくない」ものを目指した。

そしてプロジェクトチームを組んで関わってきた職員。若手を中心に構成されていた。スタート当初から受け身ではなく、せっかく大々的に戦略を作るならより良いものにしていきたいという積極性を強く感じていた。

「行政は新しいことには拒否反応がある」と感じることがあるが、三木町にはその言葉が無縁だった。最終的に戦略をまとめ上げていくプロセスにおいて、三木町と構想日本の間で「この仕事はどっちがやるべき」なんていう言葉は一切なかった。百眼百考会議や委員会で熱く交わされた議論をどう落とし込んで、最高の成果物にするか、その目標のために双方が一体化して作ることができた。そのくらいに職員が新しいことに対してネガティブにならず前向きに物事を捉えてくれた。

最後の会議が終わった直後、傍聴していた住民の方々からの「感動した」「涙が出てきた」という発言は4年たった今でも頭に残っている。このような住民と一緒にまちをつくりあげる環境づくりを引き続き行っていきたい。

※「時の法令」2069号寄稿文を加筆修正したもの