「公助の限界。自分の身は自分で守るという教訓」-伊藤が行く災害の現場(1)熊本県益城町

地震8か月後の益城町(2016年12月、筆者撮影)

熊本地震からもうすぐ1年になる。熊本地震では204人が死亡し(直接死50人、関連死154人)、避難者数は18万人を超えた。

その中で最も被害の大きかったのが益城町。役場庁舎や指定避難所などの損壊も多く出た。

私は昨年12月に益城町へ行き、役場の担当職員に当時の状況などについてインタビューを行った。

以下はその概要だ。震災はいつどこで起こるかわからない。その意識を私たち全員が持つきっかけとなればと思う。

庁舎や避難所の損壊

指定避難所の約半数が被災し、役場は安全だと思って多くの住民が集まってきた。役場は本来災害対策本部になる予定であったが、役場自体も被災したため、特に本震(4月16日)の直後はかなりの混乱が生じた。

そこで、16日の昼までに、自衛隊に役場に集まっている数百人の住民を受入可能な避難所へ輸送してもらった。

災害対策本部は町保健福祉センターに設置、避難者との同居状態の上、収容能力をはるかに超える避難者であふれかえり、大変劣悪な環境だった。

益城町役場(2016年12月、筆者撮影)
益城町役場(2016年12月、筆者撮影)

トイレと感染症対策

最も気を遣ったのが、感染症や食中毒の予防。

トイレは当初、簡易トイレを配布。国からの支援もあり、3日後くらいには仮設トイレが届いた。

高齢者や女性の中で「トイレ渋滞になるかもしれないから食べない方が良い」という人がいたので、安心して使ってもらえるよう努力をした。とはいえ汲み取りが大変で、地元の業者だけでは足りなかった。

また、感染症や食中毒予防のための消毒液、特に水なしで使えるものが必要になった。ありとあらゆる衛生用品を集め、各避難所のトイレ周り、食品を配るところなどに置いた。

自治会に救われた支援物資輸送

役場は14日から物資の配送を始めたが、まったく人手が足りず、警察と消防や自衛隊にも人命救助(ローラー作戦)が終わった後に物資輸送に人を出してもらった。自衛隊との交渉は、職員が直に行い、その場その場でお願いをした。

かなりの住民が自宅軒先や倉庫、ミニ集会所、公園など指定避難所以外の場所に避難しており、そこへの支援物資の配布も急務だったが、この時自治会長(68地区)の協力が大きかった。行政職員の手が足りなかったため、自治会長に必要物資を把握してもらい、支援物資の集積場所と各地区を結び、配布までしてもらった。この仕組みは地域防災計画では想定していなかった。

もっとも事前に決めておこうと思ったら、輸送に使用する車や、燃料代はどうするか、けがをしたときは…など問題がたくさん出て決められなかっただろう。みんなが緊迫感を持って対応してくれたため、本震2日後から始めることができた。

24日からは県のトラック協会の応援が得られ、職員は物資輸送からは外れることができた。

消防団の活躍

今回の地震で顕著だったのは消防団の活動。災害発生直後から消火活動、延焼拡大防止、警察・消防・自衛隊と協力して救助捜索活動にも従事し50名以上を救出した。

前震後、一件火災があったが、たまたまその地域の分団が消防操法大会の訓練で近くにいたため、すぐに消火活動が出来、延焼をくい止められた。他にも、道路寸断箇所の警戒、信号機損傷による24時間体制での交通整理、盗難警戒のための夜間パトロールなどをしてくれた。

避難者名簿作成

最初に役場で作った被災者名簿は本震で電算が壊れ、使えなくなってしまった。

その後避難所ごとに作り始めたが、内容の重複などもあり、急を要する人の名簿についてのみ、医療関係チームが聞き取りをした医療カルテで把握した。

避難所以外は、日本財団がすべての世帯を回って、誰がどこへ避難しているか整理したうえで健康調査票を作ってくれた。5月の半ばくらいには完成。とても重要な情報だった。

盗難は堂々とされる

盗難被害が多く、被害届を出してもしょうがないから出さないという人も多かった。

消防団で見回りをして県外ナンバーの車をチェックしたり、誰もが顔見知りという地区では、みんなで見張りをして地区の外からは車を入れないということもしていた。

ただ中心部では同じことはできず被害が多かった。

瓦盗難の場合、一番多いのが昼間。業者を装って作業員になりすまし、堂々と瓦を持って行ってしまう。

「熊本安全神話」

「熊本で大地震は起きない」という科学的根拠のない安全神話があったように感じる。だから自主防災組織の組織率が低く、地震保険の加入率が3割以下だったのではないか。

平成24年に地震ハザードマップを全戸に配布し、耐震補強に関する補助金制度を創設しようとしたが「耐震補強より住宅リフォームが先」との声が多く、住宅リフォーム補助金に変わったという過去がある。

これまでは、備蓄のほか、震度6強の地震を想定し、避難所への移動や行政の災害対策本部設置・運営にかかる訓練、シェイクアウト訓練※は実施していた。しかし今回の地震で「住民主体の避難所運営訓練」を実施しておくべきだったと痛感した。

益城庁内の様子(2016年12月、筆者撮影)
益城庁内の様子(2016年12月、筆者撮影)

公助の限界。「自分の身は自分で守る」

今回の震災で「公助」の限界を感じた。それを伝えるため、10月の町広報紙に「『自分の命は自分で守ること』、そのためには「自助」「共助」「公助」の役割分担をひとりひとりで考えて、今回の地震で不便に思ったこと、不都合だったことについて今から備えてほしい」ということを書いた。

冷たい言い方にも聞こえるが、住民から苦情やクレームはなかった。

例えば家庭内での備蓄は、各家庭や個人で内容が異なってくる。私の知人は自宅が倒壊し備蓄品を取り出すことができなかったが、車にも飲料水やガスコンロなどの備蓄をしていたことでとても助かったと言っていた。

自分にとってどのようなものが必要かを考え、行動することが最大の防災になると実感した。

私が訪問したのが震災から8ヶ月後の12月。似たような取材が多いと思ったが「メディアは、今はほとんど来ません」とのこと。一方、行政の対応の不備をあら探しする記者も多かったと聞く。情報発信を行う立場として、目の前の現象だけを捉えて論じるのではなく、その背景にある現場での状況や、そこから見える教訓などを伝えるよう気を付けていきたい。

構想日本では昨年度、無作為に抽出※2した住民と一緒に「防災」について議論し「自分事化」していくいための取組みとして「住民協議会」を行った。その議論や、様々な自治体にインタビューした内容を基に、今年度は「誰もが読みたくなるマニュアル作り」を検討している。

インタビューに対応いただいたご担当者は、当時の現場の緊迫感のほかご自身の反省も含めて率直にお話しいただいた。脚色のない話こそが次につながるものと感じている。心より御礼申し上げる。

※1 大規模な地震防災訓練

※2 住民基本台帳等から無作為で選ばれた住民からの参加希望者