川を行き、戦闘の跡へ----いとうせいこう『まだまだ国境なき医師団を見に行く』(南スーダン編11)

もうひとつの居住地へと俺を導く少年(スマホ撮影)

アウトリーチへ

 そして11月8日。

 俺は7時に起き、朝食をすませて8時からのミーティングに参加した。

 その日、俺はマラカル市内に住む4人の現地スタッフ、そして海外スタッフでケニア出身の看護師ジョブ・オンディエキ・カマンダ、パキスタン出身の薬剤師アルシャド・アハメッドらと船で移動することになっていた。

 他の海外スタッフからもわざわざ、

「センシティブな地域だから気をつけろ」

 とアドバイスがあった。

 俺たちは遠隔医療を施すため、一時間以上、その“センシティブな地域”のど真ん中を流れる川を遡行しなければならないらしかった。

 宿舎の前には2台の四駆が来ていた。俺と広報の舘さん、そしてカメラマン横田徹さんを含め、8人が多くの荷物と共にそれに乗った。

 いつもの検問を受けながら、少しだけいつもと違う方向へ行くと、じきに川岸へ着いた。見ればそれほど広い川ではなかった。水は茶色く濁り、中が見えない。ただ両岸にびっしりと水草が生えていて、心地よい風までがあった。

 船着き場とも言えないような泥の斜面の下に小型ボートが一艘、俺たちを待っている。そこにスタッフたちは無言でどんどん荷物を運び込んだ。中には少年のような男子もいた。水の民かもしれない。

 俺たちのボートの脇にはもう一艘、こちらは完全に漁師のものがあって、その上に立った数人が水の上に網を広げ直していた。あの少年の家族だろうと思われた。

 車からの荷おろしを手伝っている俺の背後に少し高い木組みの塔があり、手前にヘスコが並んでいた。塔の上には小屋がひとつあるが窓の奥が見えない。

 スマホを向けようとして、すぐにスタッフにいさめられた。

「監視塔だ。撮っちゃいけない。中で銃を持っている」

 政府軍ということになるのか、小屋の中には常に兵士がいると言うのだった。

 俺は何事もなかったように装い、また荷おろしに戻った。

 こういう監視は、本当に相手がいるかいないかわからないからこそ恐ろしいと俺は実感した。意図や存在がわかるような監視なら対策も練ることが出来るのだが、そこにあるのはすべて憶測に過ぎないのだ。だからこそ常時緊張が続く。日本の自衛隊が味わっていた数百分の一だけれど、俺にもそのストレスはよく伝わった。

川は爽やかだが……

 オレンジ色のライフジャケットをつけ、船に乗った。キャンパス地の屋根のみの簡易な船で、先頭にはクーラーボックスやら多くのプラスチック椅子やらが山盛りになっている。それを縄でくくりつけた不安定な状態の後ろに、俺たち人間が一列三人ずつ、確か三列になった。他にそこで現地スタッフが増えた気もするが、後ろをあまり振り向かないようにしていたのでよくわからない。

 濁った川はゆったり流れていた。俺たちはそこを遡り始めた。だんだんとスピードが上がっていく。とはいえ、時速60キロメートルくらいかもしれない。それでも荷物でいっぱいになった船では重量が心配だった。モーターがしゃかりきに動いているのがわかった。

 時おり岸に浮き草が固まっていて、そこから紫か白かの花が突き出ていた。長い葉が流れに沿って漂っている様子や、白い鳥(夜のPKO宿舎付近で見た鳥のようだった)がふと飛び立つ様子を見ていると、次第に気分が上がってくる。両方の岸にはどちらもえんえん青い草が茂っていた。

 その草が時々途切れ、とんがり屋根の土で出来たような家が見えることがあった。いかにもアフリカの伝統的な家屋である。川の水の粒を浴び、風を浴びている俺は、そういう風景の中でヒャッホーと叫びたい気分になった。そんな俺に隣からすぐ注意が与えられた。いかにも軽薄な表情をしていたのだろう。

「家には軍が駐屯していることがある。カメラには気をつけろ。向こうから撃ってくるぞ」

 あれほど爽やかだった景色が、突然『地獄の黙示録』のように見えてきた。川は変わることなく流れ、花は咲いている。しかしそこに人間が潜み、こちらを見ているかもしれない。

 しばらく行くと施設らしきものがあった。物見の塔があり、実際人がいた。例のとんがり屋根があり、脇に鉄骨を組んだだけの建物みたいなものが見えた。WFPの白い旗が幾つもはためいていて、それが国連世界食糧計画の駐屯地だとわかった。

 さらにひたすら風に吹かれ、乾いた目をしばたたかせ続けていると、船がスピードを下げ、右岸の水草だらけの場所に入っていった。そこが目的地かと思ったが、そうではないらしい。

 草を分け入ると、一艘の手こぎ船が泊まっていた。一人の漁民がいて、船上に引き上げた魚を仕分けている。鯛のような桜色をした淡水魚であった。

 その舳先にただの泥土の切れ目があり、そこからスタッフが数名上陸をした。俺も好奇心がわき、自然についていく。トウモロコシがぽつんと一本植えられ、他にもタバコの葉やカボチャの蔓が見受けられた。つまり人がそばにいるのだとわかった。だが、そこは畑でもなく、あまりに寂しげな栽培地だった。

 すぐにトタン板が見え、中に入るとわらに囲まれた大きな樹木の下に椅子が数脚あった。その椅子に村の長らしき人物とお付きの者が座っている。とはいえ、長は薄青いシャツに焦げ茶のスラックス、黒いサンダルというごく自然な普段着である。権威があるようには見えなかった。

 しかしMSFのスタッフは彼らを恭しく扱った。丁寧な握手をし、挨拶を述べる。俺も行きがかり上、樹木の下の涼しい暗がりに入り、長らしき老人の手を握った。柔らかかったのをよく覚えている。労働をしない人の手のひらだった。

 アブラハム・カメージというその人物こそ、政府軍が支配する周囲数ヶ所の地域を治めているリーダーなのだそうだった。彼の許しを乞うてからでないと、船は先に進めないというのだった。スタッフはアブラハムさんのお付きの人が差し出すノートに、名前と職業を書いた。俺も書いた気がするがそこはきちんとした記憶がない。けっこう緊張していたのだ。

 自分たちの船に戻って、また少し行った。やがて左岸の草の中に大きな洋館が見えてきた。石造りの立派な建築物である。

 その手前には砲台の跡地なのか、直径一メートルほどのコンクリートのモニュメントがあり、上にフタがしてあって下に蛇口が付いているのが見えた。そこに子供が数人上り、俺たちが近づくのを見張っている。

 素早く全員で上陸すると、子供たちは洋館へと走った。大人に知らせようというのだろう。スタッフはまるで気にせず、二本の大樹の下に荷物を運び始めた。もちろん俺も手伝う。

 うち一本の木には何本かのトウモロコシがぶら下がっていた。干して保存しようとしているのだろう。意外に食べ物が豊富なのかととまどっていたが、あとで事情がわかる。

おいしそうだが、これでは赤ん坊一人さえ養えない
おいしそうだが、これでは赤ん坊一人さえ養えない

 プラ椅子を配置し、テーブルを組み立てる俺たちをいつの間にか戻ってきた子供が見ていた。目を合わせると恥ずかしそうに笑うので、こっちも笑う。するとますます子供たちは笑った。鼻水だらけだが元気なやつらだ。

 体重計が運ばれ、透明なプラスチックボックスからカルテが出され、聴診器がテーブルに置かれる。つまり“病院”を俺たちは作っているのだった。

 じきにスタッフの一人でコミュニティ・ヘルスワーカーのガラン・ロニー・ガランがトラメガを持ち出し、「遠隔治療が来たぞー」と呼びかけを録音すると、それを再生しながら洋館に近づいた。俺も当然ついて行く。

 すると、紛争以前は病院だったという洋館の中に女たちが住んでいるのがわかった。窓ガラスもない。扉もない。ただただ建物の基礎部分があるだけの場所に、彼女らは住みつき、廊下で少量の薪を燃やして何かを煮ていた。中庭にはヤギがつながれている。

不法占拠した病院内
不法占拠した病院内

 紛争を逃れてきた避難民であった。しかも政府軍側の部族である。にもかかわらず、彼女らは家もなく、300人ほどであたりに拠点を作っていた。MSFは二週に一度ずつ、彼らを診察しに出張しているのだそうだった。

 栄養失調児の調査、子供の予防接種、妊婦検診、大人を含めた診察と薬の処方。以上、四つの柱でアウトリーチ(遠隔地治療)は行われており、場所はその元病院だけではなかった。

 ガランと一緒に、俺も建物を抜けてより奥へ歩いていった。焼き畑をしたあとの黒い土の上にくねる狭い道を行く。点々と緑なす樹木があり、枯れ木があり、やはり枯れきったオクラとトウモロコシの茎があり、左手には錆びて使い物にならなくなった装甲車のようなものが捨てられていた。

 次第に見えてくるのは木の上に上げられた監視小屋で、その向こうにさっきのと同じ洋館があった。昔は学校だったのだそうだ。爆撃で屋根に穴が空いている。

置き去りの装甲車
置き去りの装甲車

 ガラン・ロニー・ガランに駆け寄るように女たちが出て来た。口々に何か言っている。どうやらサソリが多くて困ると訴えているのだった。さらに彼女たちは石鹸がないと言い、蚊帳を運んでくれと懇願し、履く物が欲しいと声を上げた。その周囲に子供たちが、やはり鼻水を垂らして寝ころんだり走ったりしている。

 元の村はとっくに破壊されたそうだった。破壊した者の中には、俺の目の前にいるディンカ族があった。地域の支配をめぐって戦闘は続き、結果誰も幸福になっていないのだ。

 洋館で彼女らは干しトウモロコシを粉に挽いていた。けれどそれはとうてい足りる量ではなかった。風が吹けばすぐに飛び散ってしまうような、粉の低い山の前に子供が座り込んでいた。

 じきにガランが薄いプラスチック製の(フェスで腕に巻くような)細いプラスチック板を取り出し、自然に集まってきた子供たちの二の腕にそれを巻いて、どのくらいあるかを計り出した。ただし個人名は特定せず、五歳以下を男女に分けて測定する。中には近づいてきたくせに計られると泣き出すやつもいた。ガランが持っていた果物をあげても泣く。仕方ないので近くのお母さんがやつを押さえつけ、ガランに協力した。

 けっこうな数の子供の腕を計ったガラン・ロニー・ガランに聞いてみると、彼は23歳で元教師だった。しかしもう教える場所も少なくなったのだろう。MSFで働き始めて一年半。今はそういう形で子供たちを導いているのだった。

「ガランさん、肩が痛むんだよ」

 一人のおばさんがそう言い出した。川岸で治療をするから来て下さいとガランが返事をしても、その場で必死に痛みを訴えてやまない。どうやら彼女は他部族の武装勢力に暴行を受け、その痕が痛んで仕方ないのだった。肉体同様、精神的な苦痛が彼女を苦しめていた。

 ガランが移動するので俺も建物の裏へ行った。どきっとしたのは、そこに男たちがいたからだった。ただし中年とそれ以上の年齢の者たち。彼らは一本の低い木の下で車座になり、小さい豆を煮てペースト状にしたものを口に運びながら、葉でほうきを作っていた。

「今は何に困っていますか」

 そう聞いてもらうと、一人のおじさんが答えた。

「投網が欲しいよ。漁が出来ないんだ」

 他の男たちも続けて訴え始める。

「サソリだ。ここらはサソリだらけなんだよ」

「蚊帳もないから蚊に刺されっ放しだ」

「金がないんだ。だから子供も育てられない」

「ここらじゃトウモロコシくらいしか取れないんだ」

「薪を探しにブッシュに行って、炭を作って売るくらいしかないのさ」

 さっきから女も男もサソリよけと蚊帳を所望するのは、それが売れるからかもしれないと俺は思った。彼らは食べ物に困り、つまりは金に困っている。生産に携わる道をほとんど断たれていれば、素早く現金に換えられるものが欲しいに違いなかった。

「マラカルには戻りたくない」

 同じディンカ族の都市であるにもかかわらず、一人がなぜかそう言った。同じ部族の中でさらに階層が別れているのかもしれなかった。南スーダンにある困難の、この微細な部分はよそものの俺ではわかり得なかった。

「あのー、これは焼き畑ですよね?」

 しかたなく、俺は誰にともなく足元の黒い土を指して言った。

 答えは簡潔だった。

「違うよ。鎌がないから収穫したら燃やすしかないんだ。それしかないんだよ」

 そこにいる300人がいかに追いつめられているのかを俺は知り、黙っているしかないのだった。 

 

これが彼らの命を救う「病院」だ
これが彼らの命を救う「病院」だ