シビアな場所マラカル----いとうせいこう『まだまだ国境なき医師団を見に行く』(南スーダン編9)

ルーデス医師が昨日生まれた赤ちゃんを診察しに訪れる(スマホ撮影)

POC(国連民間人保護区)のおうちを訪問

 同じ日、俺はPOC(国連民間人保護区)の病院に戻って取材を重ね、多くの現地スタッフ、患者、患者の家族、エクスパッツ (海外派遣スタッフ)に話を聞いた。避難民たちには他に行く場所もなく、居住区で病気にかかったり怪我をしたりして通院・入院をしていた。

 つまり、患者は治ったところであの銀色のテント、トタンで補強した家に帰るだけなのだ。『国境なき医師団(MSF)』が彼らの苦難に“絆創膏を貼っているうちに”政治的な解決が実を結ぶ以外、国内の幸福はないのだった。

大事な日々のカルテはここに
大事な日々のカルテはここに

 少し休む間に午後になり、数人のグループで妊産婦へのヘルス・プロモーション(健康啓発)を始めると聞いてついていった。責任者はポルトガル人のルーデス・ドス・サントスというヘルス・プロモーションチームのリーダーで、すでに宿舎でよく挨拶を交わしていた。ルーというあだ名のチャーミングな彼女によれば、POCで生まれる新生児とその母親を週に三日、訪ねるのだという。対象となる母子は週に30組ほどになり、現地スタッフは毎日訪問に出向くのだそうだ。

 例の土手で仕切られたPOCの中へ四駆で入っていったが、正面から青いドラム缶に排泄物を入れて運び出すトラックと出くわし、俺たちは歩きで行くことになった。ひからびた土の上を陽光に焼かれながら進み、目当ての家のあたりで土手から下に降りた。手作りの板の橋を渡って細い道に入ると、左右に銀色のテントやトタンで囲われた家があり、そこここの溝に排水が溜まっている。時々そういう道に放し飼いのニワトリが飛び出た。

排泄物はドラム缶へ閉じこめて運び出される
排泄物はドラム缶へ閉じこめて運び出される

 ある家に現地スタッフが入り、ルーを導いた。俺たちもあとから入っていく。それが避難民の住む場所だった。

 意外に中は広く、暗い部屋に7、8人の黒人女性たちがいて、ガラスのカップでコーヒーらしきものを飲んでいた。奥にはマットレスが壁に立て掛けられ、その脇に大きめのベッドがあって、上に若いお母さんと生まれたての子供がいた。湿気と高温でムンムンしている。

 袖口に白いレースをあしらった赤いドレスを着て、首に白い貝のネックレスを掛けたお洒落なお母さんがこわがらないよう、現地スタッフの女性が気を遣いながら色々話しかけた。ジョセフィーナ・ジョセフという名のそのお母さんは無表情のまま、シルク語を話し、時々舌を鳴らした。この現地スタッフがPOC側のコミュニティに属するワーカーだとあとで知ったのだが、MSFが頼りにするいわゆる「文化的翻訳者(カルチュラル・メディエーター)」というわけだ。

 他に、目の前の赤ん坊が昨日生まれたばかりだと俺は聞いて驚いた。あまりにデリケートな時期だ。現地スタッフにとってもルーにとっても、それは初訪問だった。お母さんは張り切って精一杯のおめかしをしていたのかもしれなかった。

 ルーはまず母乳の状態を聞いた。もし出にくかったら母乳以外をあげてもいいとアドバイスをし、現地スタッフは現地スタッフで授乳の姿勢を教えた。「肘に頭を乗せて」とスタッフは言う。お母さんはOKと言うかわりに舌を鳴らした。

「赤ちゃんの目を見て、あげるのよ」

 ルーはそこを強調した。現地スタッフはそのあと乳首の吸わせ方まで説明し、顎から汗を垂らした。考えてみると、そうした子供の育て方はジョセフィーナの母なり、家の入り口にたまっていた年上の知りあいなりが教えてしかるべき事柄だった。それをMSFのチームが指導しているということは、POC内の新生児死亡率を下げるためということはもちろん、彼ら南スーダン人の家族間で伝える当たり前の文化が途絶えてしまっているのかもしれなかった。ジョセフィーナは紛争によって実の母も叔母も失っている可能性があった。

 大人数で押しかけてしまったこともあって、部屋の中は蒸し暑くてたまらなかった。壁のトタンは上のほうで切れていて、外を歩く子供たちが背伸びをしてのぞくのが見えた。中に白人女性スタッフたちと、わけのわからない黄色人種が数人いるのだから、彼らにとってはちょっとした大事件なのだろう。

 やがてルーは消毒ジェルを手に塗り、赤ちゃんの手を取って握る力を調べた。少し遠くで指を動かし、目の様子を確かめると、スマホを赤ん坊の手首につけて呼吸の早さを計測し、さらに手のひらの色で黄疸かどうかを見た。それら検診をしながらルーは、赤ちゃんの手や唇が震えていないか気をつけるようにとジョセフィーナに言い、同じ姿勢で寝かさないよう指導もした。つまり実の母親のように。

少年兵のメンタルヘルスについて

 POCの病院に一度戻り、今度はメンタルヘルスを担当する現地スタッフのダーン・タップに話を聞いた。

 もともとはマラカルで水道局の仕事をしていたそうだが、POCに避難してきた後、2014年にはユニセフでFTR(ファミリー・トレーシング・リユニフィケーション)の仕事に就き、MSFには2015年12月に参加したのだそうだ。

「ファミリー・トレーシング……?」

 俺がそう繰り返すと、ダーンは淡々とこう言った。

「紛争で誘拐されたり、少年兵として親元から離されたりした子供を家族に戻す活動だよ」

 思わず俺は息を呑み、黙り込んでしまった。

これまでのMSF取材でも聞いたことのない分野の話だった。

 紛争地の子供たちは大人の勝手な暴力で苦しんでおり、中には物理的に家族の元に帰れても精神的な苦痛から逃れられずにいる子がたくさんいるのだ。

「そういう子供たちは仕事もないし、親をなくしている子ももちろん多い」

 ダーンは続けた。

「僕はそれをこの目で見てきたからね」

「なるほど、そしてMSFに?」

「そう、臨床心理士たちから色々なことを学んだ。今は精神科医と一緒に外来の患者さんにカウンセリングもするよ。鬱で自殺念慮に苦しんでいる人や過眠症、もちろん不眠の人もたくさんいる。それから、もし精神科医がいなければ内科や外科のドクターと共に治療にあたるってこともあるけど、POCに住む人たちに病院では心のケアが受けられると啓発活動をしてるんだよ」

 彼の話によれば、孤独感にさいなまれる患者、凶暴性を押さえるのが大変な患者など、様々なケースが紛争地にあふれているのだそうだ。一日に新患が2人から5人来るというから相当な事態ではないだろうか。

「他の人道援助団体にも精神科医がいないわけじゃないけど、この分野ではMSFが進んでるね。僕自身は元々お金のためにNPOで働き始めたんだけど、こんな風に行政が機能しない中ではボランティアが人の暮らしをよくする以外ない」

 俺の目をのぞき込んでダーンはそう言い、最後にこう口にして黙り込んだ。

「マラカルはシビアな場所だよ」

 俺たちは宿舎に帰る道すがら、飲み物を売っている屋台めいたところに寄ってみた。

 コーラが飲みたかったのだが、どう見てもすでに量が減っているものか、容器のフタが緩んでいてプスーと音がするものばかりだった。