国連PKOの夜をのぞきに----いとうせいこう『まだまだ国境なき医師団を見に行く』(南スーダン編7)

夜の道に、各人道主義団体の宿舎が続く(スマホ撮影)

さらなるブリーフィング(医療活動に関して)

 人道主義者エリアにある『国境なき医師団』(MSF)マラカル宿舎でのブリーフィングは、次々人を変えて続いた。

 例えばパトリシア・ポツゴというスペイン人女性からのメディカル・ブリーフィング。

 マラカルのプロジェクトには三つの重要なものがあって、それが前にも書いた二つの病院、そしてアウトリーチ(移動診療)である。その各々で一般診療、小児科、産科、新生児科、救急、HIV(エイズ)、TB(結核)、風土病対策、予防接種があり、まだ小さなスペースではあるもののメンタルケアも始まっているのだそうだった。

 ちなみに取材当時、ジュバに次ぐ都市であるマラカル市内には2万人(元は20万人)、POC(国連民間人保護区)に2万8千人がおり、アウトリーチとなれば地域にたくさんの避難民が散らばっているため、200人を超える現地スタッフと18人のエキスパッツ(海外スタッフのこと)でも多忙な毎日である。

 さらに雨季となると動きがとれないのだそうだった。その際にはボートで川を移動する以外に方法がなくなってくる。他に、例の薬剤倉庫で見たあの超巨大な車で水に覆われた世界を行くしかない。

 そこで常に地元採用を求めているが、南スーダン内に医療的スキルのある人材があまりに少なく、衛生管理士、助産師に空きが出てもとうてい埋まらない状態なのだそうだ。

 症例として多いのは呼吸器感染症や皮膚感染症であり、MSFはアウトリーチで行く遠隔地でもPOCでもコレラや肺炎、はしかの予防接種を行っている。ただ成人死亡率の高いのは今は慢性疾患のせいらしく(つまり紛争での殺し合いは減り)、その対策には出来るだけ高度な医療がもっと必要なのだった。

 続くハビエのセキュリティ・ブリーフィングは機密も多くてほとんど内容を書けないが、こちらマラカル宿舎でも当然ヘスコがぎっしりと積まれた場所があり、防空壕が説明された。いざという時は、俺もそこに入って数日を過ごすわけだった。

 また地元スタッフのアタナシオ・シボンゴが、ロジスティックのサプライ部門の説明もしてくれて、宿舎も病院も彼らが作ったことを教えてくれたし、常に動き続けるジェネレーター(発電機)の点検、またきわめて重要な無線設備の作動確認に関する業務も彼らの担当だった。特にマラカルでは、俺がこれまで訪ねたどの国とも違い、俺自身にもでかい無線機が支給され、腰に着けておくそれで何かあればすぐに連絡を取り合えるようになっていた。

 彼の仕事をあらかた理解してから、俺はアタナシオの個人的な経歴を聞いた。すると高い身長のわりにとても小さな声で話す彼は、素直にこう答えた。

「僕は中学校の教師で、アラビア語を教えていました。でも学校の給料がよくないのでNGOに参加することになったんです。さらに民間企業で働ければ、公務員の25倍ものお金になります」

 そう言いながらもアタナシオはMSFのことを誇らしげに話した。

「私たちは世界のどこにでも行く準備があります。そしてどこででも患者さんに一番近いのがMSFです。国連の敷地内だとは言え、ここに宿舎を構えているのだって患者さんに近いからです。すぐそこがPOCなんですから」

 そして彼はこう付け足した。

「次の5月には和平協定が有効に働いて、平和が来ると僕は信じています。だって、ずっとずっと戦争だったんだから

 小さな声のアタナシオは、しかし願いの強さをあらわしてそう言い、にっこり笑って仕事に戻っていった。

夜の国連ゾーン

絶対ハードロックカフェじゃないやつ
絶対ハードロックカフェじゃないやつ

 その日はもう予定がなかった。

 俺は宿舎の中で与えられた部屋に空調をかけ、ベッドで昼寝をした。プレハブの住居部分は三畳あるかという面積。しかしプラスチックのテーブルの上に背負ってきた荷物を置き、無線機を置き、椅子にMSFのベストをかければあとは毛布をかぶって眠るだけだ。

 夕食の前に起き出してまた人に話を聞き、共有スペースのテーブルに並んだおかずを各自で好きなようにとって食べたりしていると、やがて日は暮れてきてすぐに外は暗くなった。

 舘さんと横田さんが「国連の施設に行きませんか?」と聞いてくる。といっても避難民の方のインタビューというわけではなく、“ハードロックカフェ”に行くのだという。二人ともウキウキしているように見えて、それが面白いので俺もついていった。

 四駆を出してもらい、闇の中を照らしてもらって進むと、国連やユニセフなどの四駆がずらりと揃っているのがわかる。みんなそれぞれの宿舎に帰ってきているのだ。

各国の国旗が出迎える
各国の国旗が出迎える

 検問をふたつほど抜けて暗がりの道の途中で降りると、オレンジ色の照明の中にわりと広い家が整然と並んでいて、いかにも住宅街である。おそらく国連PKOに所属した世界中の軍人が住んでいるのだろう。

 歩いていく道の脇には点々と木が植えられていて、小さめの葉ながらよく茂った上にびっしりと白いカラスめいた鳥が止まっているのが見えた。やつらがばさばさと羽根をはばたかせる以外に、音はしない。不気味なくらい静かなその道の上を、向こうの方から野犬が来て集まり、ある程度の距離を取りながらこちらをじっと見た。

 幸い野犬の前へ行くより早く、右側から音が聞こえ始め、近づくとコンクリートの入り口があった。そこがマラカルに派遣された者たちが“ハードロックカフェ”と呼ぶものだった。実際、そういう名前が書いてあったようにも記憶する。ともかく足を踏入れると、短い廊下の両側に各国の国旗が飾ってあった。抜けてホールに行くと、中はどかーんとだだっ広く、屋根も高かった。客はどういうものか、やたらに少ない。あちこちにテーブルと椅子があり、右奥には大きなカウンターがあったのでそこへ歩いていって、俺はエスプレッソを頼んだ。舘さんたちはビール。

 ひとつのテーブルを俺たちのものとして乾杯し、カウンターと反対側の壁ぎわでビリヤードをする軍人らしきTシャツの男たちを見るともなく見ていたが、特に盛り上がるわけでもないので三人で立上って、入り口からまっすぐ奥の部屋に行ってみた。

 音楽が大きく聴こえてくるのはそこからで、ホールからするとずいぶん狭い空間に照明で作られたミラーボールの反射のような光が動いている。客は誰一人いない。

 DJブースがあるので覗くと、音楽はスマホからつながって出ていて、特にCDJがあるわけでもなく、機材のつまみもきわめて少なかった。そこからアフロダンスホールらしきものが聞こえている。低音が効いたビートの上にインドの旋律がしたり、ジャマイカンのような乗せ方でがなる声がしたりで、「ああ、これがインターナショナルなダンスシーンなんだろうな」と俺は妙に納得した。その音楽に貫かれて、人々が享楽的に踊る夜もあるのだろうが、その日は残念ながらみな家で静かに休んでいるらしかった。

 三人で踊るのもどうかと思われ、無言でテーブルに戻った俺たちはなんとなくもう少し粘り、やがて夜10時前、野犬の群れが腹をつけて寝ころんでいる道をとぼとぼ歩き出した。いつのまにか店の真ん前に犬の新しい糞があり、気をつけて避けて通る。連中からのちょっとした挨拶だろう。

 舘さんが無線で呼んでおいた車両部の車に乗り込んだ俺たちは、もらったIDカードを検問で見せながら早くも懐かしい思いのする宿舎へ帰った。 

 ま、ともかく、どう考えてもあれはハードロックカフェではない。

これが閑散とした国連施設唯一の盛り場だ!
これが閑散とした国連施設唯一の盛り場だ!