あきらめない女性薬剤師----いとうせいこう『まだまだ国境なき医師団を見に行く』(南スーダン編5)

コニョコニョマーケットに入れた!(スマホ撮影)

コニョコニョマーケットへ

 その日の午後(11/4)、俺たちは『国境なき医師団(MSF)』の四駆で近くのOCP(オペレーションセンター・パリ)に行き、再び薬剤担当の的場紅実さんについて買い物へ出た。なにしろ例のコニョコニョマーケットへ行くというので、どうしても外せない予定だったのだ。

 しばらく走った先、広い舗装道路の両脇に店舗らしきものが並ぶ中、四駆が止まった。それらの店自体もコニョコニョ(ごちゃごちゃ)に含まれるらしかったが、特にマーケットらしいのは建物と建物の間を抜けた向こうで、人が一人通れるかどうかという狭い土の道の左右にびっしりと主に野菜が積み上げられていた。それがけっこうえんえんと長く続いている。まさに市場であった。

「南スーダンだって、そりゃ野菜売ってますよね」

 思わず俺はMSFの舘さんに話しかけた。

 紛争地とはいえ、争いが止まっていればすぐさま必要なのは食料であり、それを売買する場所なのは当然だった。しかし実際にその現場を見ると、どことなく信じられないような心持ちになったのだ。

 俺はメモ帳を片手に、まだ雨のあとで水たまりもある道を歩いた。的場さんはむろん必要なフルーツがなるべく安く買える店を探していた。

 メモったのはそこにあった品物の名前ばかりである。我々日本人にも親しい野菜や果物ばかりだった。しかもどれもうまそうだ。

 トマト、じゃがいも、パパイヤ、にんにく、オクラ、とうがらし、ライム、パイナップル、ピーマン、大きな緑色のバナナ、楕円形のスイカ、卵、リンゴ、オレンジ、キャベツ、ズッキーニ、太い長いも、ナス、ドリアン、いんげん豆、カリフラワー、葉ねぎ、かぼちゃ、丸ナス。

 なぜか必死になって俺はそこにある物の名前を書き続けた。そうしていると人が生きているというリアルな感覚が研ぎ澄まされ、料理する誰かが想像され、またそれを作る者たち、運ぶ者たちがくっきり見えてくる気がした。

 ただひとつ日本と違うのは、入り口付近のテントの下でマイクを持って何か叫んでいるおじさんがいることで、合間に子供たちがハレルヤ!と叫んでおり、その音声がずっと遠くまで響いていた。的場さんによると、それが彼らにとってのミサであった。労働する者たちは聞いているだけで礼拝に参加していることになるのだろう。確かに、主におばさんばかりの売り手がやけに控えめに口をつぐんでいるのは、そのせいだったかもしれない。

「去年はここに入っちゃいけなかったんです。危険でしたから。食事を作れることの幸福をかみしめています」

 帰りに的場さんはそう言った。

的場さんインタビュー

 

 それから俺たちは再び前日と同じ倉庫へ車を走らせた。的場さんの薬剤チェックと共に、そこで長いインタビューをしたかったからだ。日本人スタッフとして、またファーマシー・スタッフとしてどんな経歴のある人物か、俺には興味しかなかった。

 ありがたいことに奥の冷えた部屋に俺たちは入った。外がずっと暑いので、知らぬ間に体力が削がれているのがわかった。

 そこで的場さんはまず、自分がOCPの薬剤部コーディネーターであり、それはメディカルともロジスティックとも違う部署であることを教えてくれた。例えばMSFの他のプロジェクトではロジスティックのサプライ部門が担うこともあるらしいが、OCPでは医薬品の調達は薬剤部の仕事だという。

「なんにせよ、私たちファーマシーも、ロジスティックもアドミン(人事や経理)も後衛のサポート部隊です。そのバックアップがあるので前衛のドクターや看護師、助産師などメディカルたちに任せることが出来ます」 

「確かに。それで的場さんのキャリアをうかがえますか? どうしてMSFに入ったかを含めて」

広い倉庫の奥でインタビューは始まった
広い倉庫の奥でインタビューは始まった

 そう尋ねると、椅子に浅く座ったままの小さな的場さんはエネルギッシュに語った。

 まず的場さんは大学の薬学部に行き、しかし母親が薬剤師だったために“やれることの限界”を知っていて、遺伝子機器メーカーに入って営業として働いたのだった。

「でも勇気をもって止まるのは大事だと思います」

 自分がやりたいのはそういう仕事ではない、と的場さんは思った。

「いくつになっても何でも出来るはずだ」

 と考えていた的場さんは、しかしだからといって何をやるべきかわからなかった。そもそも学生の時、医学部に落ちて挫折を味わっていたという。

 自分は何者でもない。

 的場さんは一方でそう感じ続けた。

 けれどそれでいいはずがないとも思っていた。

 ついに営業をやめて、『世界青年の船』というものに乗った。海外が好きだし、英語をしゃべるのも好きだったからだが、同時に何もやらないことへの「言い訳も探していた」。しかし小学生の頃の的場さんにアフリカの子供たちの写真が載ったMSFについての新聞記事を見せていたという、彼女のお母さんのヒューマニタリアンな薫陶がうごめき続けていたのも確かだ。

 多くのアフリカの国々などを五十日間かけ回るはずだった。しかも乗るのは十五カ国の人間たちだった。

「『アジア青年の船』というのもあるんです。日本ってすごいんですよ。そういうことを実はたくさんやってるんです」

 だがこの船に乗り込む直前に911テロが起こり、航路が変わった。アフリカには行けず、ニュージーランドやタイへ船は向かった。社会が変貌するのを的場さんは海の上で目の当たりにしただろう。

「そうやって色んな人たちと交流していたら、私に昔の元気な魂が帰ってきました」

 それが25才のことだった。

他にMSFジャパンのインタビューも受ける的場さん
他にMSFジャパンのインタビューも受ける的場さん

 真面目に薬剤師をやってみようと思い、それから十年ほど様々な場所で的場さんは働く。しかしアフリカに行けなかったということが気にかかっていた。そのある種ささいな思いは、結局的場さんの人生を変える。

 まず的場さんは職場の同僚医師から、MSFに参加したことのある女性医師についての話を聞いた。しかもその同僚はこう言った。

「的場さんと同じ匂いのする人なんだよ」

 この段階ですでに的場さんはMSFに参加することを目標としたのだろう。早速女性医師を紹介してもらい、さらに話を聞くと長崎大学熱帯医学研究所の熱帯医学研修課程のことがわかった。なんと、そこを履修すればマラリアやHIVの勉強が出来るし、その研修課程なら医師や看護師だけでなく、薬剤師も参加出来るというのだった。

 的場さんはいったんは補欠となるが、十五人の合格者の一人が自衛隊員でイラクへ派遣されたため、結局滑り込むことになる。

 おかげで三か月の履修をし、晴れてMSFに初めて応募するが不採用。だがあきらめなかった的場さんは、発展途上国での経験もなかったためタイのマヒドン大学へ行って公衆衛生の修士を取得した。

 そして再びMSFにチャレンジするが、また不採用。

「ね? 私なんて落ちこぼれなんです」

 しかし彼女はまだあきらめない。

 経験を積むため、救急やICUのある病院に勤務先を変え、4年間勤務。

 そしてようやく的場さんは、MSFに採用されるに至る。

感動的な言葉の数々

 あらゆる困難を越えて、彼女は今目標の中にいる。そういう人物の言葉は重かった。

「MSFって、人に勧められていやいや来るなんて人は一人もいないんです」

 的場さんはそう言った。

「ここで働きたくない人はいません。もしいたらすぐ帰ってるわけですし、ていうかそもそも来ないでしょ。だから私は朝起きていやだなあと思うことがない。自分が選んでここにいるという充実した思いしかありません」

 この言葉の強さは俺を打った。そんな働き口が他にどれほどあることだろう。

 それで的場さんは現在での間にMSFで7カ国、他の人道支援団体で1カ国を経験してきた。

 ただ、日本に戻っている間は、つなぎの仕事しかない。この海外ボランティアに対するシステムの欠如は大問題で、俺が出来ることは彼女たちが自国にいる時の仕事先を確保することだと思っている。なんとか人道支援の法律が作られるべきではないか。

「10年やってても、日本に戻って大学病院に行けば1年生として扱われます」

 むしろ経験としては超一流の人材を、我が国では軽んじてしまう。だからまた人材は外に流れていく。

「この仕事、やりたくてやりたくて止められないんです。離れているとムズムズしてくる。いとうさんもそういう仕事じゃありませんか? 自分で選んで自分で続けてる」

 おっしゃる通り。そもそもこの連載も自分から進んでやっているし、誰にお金をもらってるわけでも、強制されてるわけでもない。書きたくて書きたくてムズムズしている。

「それと、日本だと社長のためとか、自分の給料のためとか、あるいは不安だからとか、そういうモチベーションですよね。でもMSFはシンプルです。患者さんのため。それだけ」

 うーん、ぐさぐさ言葉が刺さる。勇気がわいてきてしまう。的場さんはそれでもまだまだ語った。  

「私、人見知りなんですね。群れることも出来ない。日本にいると他人を気にして動きにくいんです。世間が神様で。でも、ここでは個でいられます」

 黙って俺はうなずいた。

「誰と比較する必要もありません。自分で計画を立てて、患者さんのためになるだけです。だからストレスがないんです」

 理想の職場ではないか。そして逆にいえば、日本がいかに働くことへの能動性を奪われる社会か、ということでもある。

 俺たちはすべからくMSFのような職場を作らなければいけない。少なくともそういう場所への希望を捨てるべきではないのだ。

 絶対に。

 

 ただ、あとから的場さんに聞いたMSFあるあるギャグは(そういえば昔、他の活動地でも聞いた覚えがある)、理想の職場ゆえの女性たちの傾向を示している。

「MSFはMany Single Femalesの略」

 もちろんこの手の冗談のバージョンは様々あるのだが、いかに女性が自立的に働いているかがよくわかる例のひとつだ。 

 

ちなみに的場さんの買い物メモがこれだ!
ちなみに的場さんの買い物メモがこれだ!

続く