紛争地のスーパーマーケット---『まだまだ国境なき医師団を見に行く』(南スーダン編3)

歩けるきわめて狭い地域をゆくMSF舘さん、カメラマン横田さん(ジュバ)

ジュバでの小さな外出

 翌三日(11/3)、よく寝て九時過ぎに朝食をとった。食堂は例のダイニングルームだったが、土曜日だからか地元の料理人はまだ出勤しておらず、置いてあるドーナツやら自分たちで焼いたトースト、冷蔵庫から出したヨーグルト、誰かが沸かしておいてくれた湯で紅茶を飲んだりする。

 しばらくその日の行動を『国境なき医師団(MSF)』の舘さんやカメラマンの横田さんと相談し、まずは出ていい周囲の狭い地域だけ歩いてみることにした。宿舎を出る前には当然、警備室の白板に名前と行き先を書き残す。

 ほぼ人のいない土の道を歩き出すと、五才くらいの男の子が近づいてきて無言で手を出し、物乞いをした。悲しい気持ちで首を横に振り、さらに歩いていく。道の脇、特に木の陰にプラスチック椅子を並べて座っている若者たちがいた。数人単位でところどころ。やはり人が少ない。横田さんが持っているカメラに気づくと、中の数人があっちへ行けというように手を振り、大声を出した。

 幾つか道を折れ、しかしほとんど数分で我々は宿舎に戻った。それくらいしか外出の許された区域がないのだった。

 昼食に焼いたジャガイモと現地の主食めいたクレープ、牛肉を辛く煮たものをいただき、そこからOCPの宿舎へ移動して日本人スタッフの的場紅実さんに会うことにした。時間は当初の予定から三十分遅れた。

もちろん薬剤師も大切なスタッフ

 そもそも的場さんは薬剤師としてMSFに参加しているのだが、今は海外派遣スタッフが順番に担当している食事の係(「フードボックス・マネージャー」と呼ぶ)となっており(調理は現地の専門スタッフが行うが、食費の徴収と管理、およびちょっとした嗜好品などを決められた金額内でフードボックスに満たすというボランティアベースの仕事だ)、土曜日はその任務で大変忙しいのだ。

 背の小さな的場さんは実際、オフィスで待ち合わせてからOCPの車の後部座席、ベンチになった場所に詰めて座るまで、あっちへ走ったりこっちに走ったりした。その間に我々に笑いかけるのだが、笑いは時間に追いつめられた者特有の焦りに満ちていた。

 車には、的場さんの同僚というフランス人男性が乗ってきた。親切にも彼は的場さんを手伝ってくれるのだった。もじゃもじゃの髪の毛で丸い銀縁メガネをかけてヒゲ面。Tシャツと半ズボンである。彼は的場さんと対照的にゆっくりと動き、ほとんどしゃべらない。

 発進する車ががたがた道から舗装道路へ行く間に、食事係が一ヶ月ごとに替わることがわかった。そして的場さんの本来の仕事が正式にはファーマシー・コーディネーターと呼ばれるものであることも。

 的場さんはさらに、食事係がどれだけ責任の重いものかも買い物メモをしじゅうチェックし直しながら話してくれた。例えばパンに塗るいつものチョコペースト(『ヌテラ』という欧米でもポピュラーなもの。これが本当に助かる!)、あるいはオレンジジュースが途中で切れてしまえば、スタッフのモチベーションが一気に下がる。だがだからといって、予算は決まっているから余計に買うわけにもいかない。

 事実、的場さんは少しでも安いスーパーを目指しており、それが一年前に出来た中国系の『ジュバ・モール』なのであった。これはウガンダのMSFを取材した時にも感じたことだが、中国のアフリカ進出はすさまじい。ダム建設や国連軍参加と、様々な機会をとらえて彼らはアフリカに移動しているのだ。

 スーパーマーケット前の駐車場に車を止めると、的場さんは小走りに店内に向かった。我々もフランス人男性もついていく。すると開いたドアの向こうに、すぐに中国軍兵士が複数人いた。銃を肩に下げて何か買い物を済ましたところだった。

 その兵士の横を抜けて的場さんは走った。俺たちもメモの内容を少し覚えていたので、的場さんに「手伝いましょうか?」と声をかけるのだが、猛烈に急いでいる人にその余計なお世話は聞こえない。

 ということで的場さんはプリングルスを色んな味で数本買った。他の基本的な菓子を買い、ヌテラも買ったと思うが、ジュースだけは買わなかった。

「他にもっと安いところがあるの」

 的場さんはけっこう叫ぶようにそう言った。

 なるほどとうなずく我々は彼女の足手まといになる子供のようだった。なにしろ俺などはフランス人男性が個人的に買った煙草の箱を、よかれと思ってかわりに運ぼうと奪い取ろうとし、驚かれて取り合いになったくらいだ。

 さらに的場さんは『フェニシア』というスーパーに寄り、そこでジュースなどを仕入れた。的場さんがレジでお金を払う間、役に立たない我々は背の大きな白人の店主と話をした。

 こぎれいで敷地もなかなか広い『フェニシア』には二階もあり、そこではピクニック用具もファッションコーナーもあるらしかった。もともと小さな店を出していたが、苦労して稼いで大きくしたのだという。

 俺は一階にあるケーキ売り場の、その種類の豊富さと色遣いの多彩さにも驚いた。真っ青な川を模した土台のケーキに、ジャングルと動物たちを描いたマジパンの数々。白いホールケーキに真っ青なビキニを着せ、はちきれたバストがすっかり出てきてしまっているというデザインなどなど。

 ジュバに平和が訪れつつあるということに違いなかった。そのへんは商人が現実的だし最も敏感だ。

 そして消費者が戦地の跡に生まれつつあるのだった。

こんなケーキ群がジュバに。
こんなケーキ群がジュバに。

コニョコニョ・マーケット

 

 続いて的場さんはコニョコニョ・マーケットに行くらしかった。これは前日から我々が気にしていた場所で、コニョコニョとは南スーダンの言葉で「ごちゃごちゃ」なのだそうだ。あらゆるものが売られていて、しかも安いらしい。的場さんが狙いをつけないはずがなかった。

 がしかし、車輌後部のベンチで的場さんがさっきの買い物のレシートを見ながら難しい顔をし始める。買い物ではスーパー店内にある両替所でお金を換えるのだが、金額が合わず、手持ちがずいぶん少なくなってしまったというのだ。

「ここで取り戻さないと、あとが苦しい」

 的場さんがしぼり出すようにそう言うので、我々にも事の重大さがわかった。急いで車でスーパーに戻り、的場さんより早い勢いであの店主を探した。すぐに見つけて舘さんが的場さんと一緒に英語で冷静にまくしたてた。横では横田さんがカメラを構え、あたかも“嘘ならそれを暴く”みたいな雰囲気を出した。もちろん俺もメモ帳を無駄に使い、なんでもかんでもばんばんメモった。重大な犯罪がそこに起こったみたいな感じになった。

 店主の公正さゆえ、お金は無事返ってきた。フランス人男性がクールな表情で、インフレゆえにやたらに多い紙幣を数えた。当初の計算通りの額におさまったのがわかった。

 的場さんの子供みたいな気持ちになっていた我々は、うってかわっておおげさな笑顔で白人店主に礼を言い、外に出た。しかし的場さんからはこんな事実が告げられた。

「時間がなくなっちゃいました。買い物はまたにします」

 我々はがっくりと肩を落とした……というのは嘘だが、役に立てなかった情けなさはそれなりにあった。

 さて、なぜ的場さんがそこまで急いでいたかというと、彼女は同時に本職の薬剤師として、薬剤の倉庫へ行って荷物を受け取る必要があったからだった。

 先に書いておくと、薬剤は常に指定された温度で管理されねばならず、それをまた決められた時間ごとにチェックしなければならない。つまり、的場ママは何も出来ない子供たちを連れてコニョコニョ・マーケットで買い物なんかしてる場合じゃないのだ。

薬剤倉庫にて 

 

 

 ということで倉庫へ目標を変えた。

 どのくらいの時間がかかったかは安全保障上の理由で言えない。

 ただそこは巨大で、全部で五つのOC(オペレーションセンター)十六のプロジェクトを抱えている南スーダンにおいて、なんと四つのOCが薬剤を備蓄している場所だった。

 的場さんは車から降りて、また小走りになった。我々も当然そうなる。

 幾つもある倉庫のうちのひとつの大きな扉が開くと、中に痩せた白人男性フレッド・ドゥワールがいた。彼がサプライ・コーディネーター(物資の輸入、運搬、建設など担当)だと手短に紹介される間、俺は倉庫内に宮崎駿映画の音楽が流れているのに気を取られていた。ナウシカの曲だった記憶が強い。

 なぜその音楽にインパクトがあったかといえば、倉庫内に見たこともないほど巨大な四駆があったからで、それはイダなど雨季に道が通れなくなってしまう場所を走破して薬を届けるための、戦車より車高の高い車輌だった。俺にはそれがナウシカのオームに見えた。的場さんを手伝っていた男性はどう思ったものか無言で車輌にかじりつき、やがて運転席に座ってこちらを見下ろした。何か人間離れしたものを感じていることに違いはなかった。

 そんな俺たちにはもちろんかまわず、的場さんはずっと奥の、温度管理されている部屋に歩いていった。急いであとからついていくと、中でようやく基本情報を教えてくれる。

 南スーダンのミッションで使用される薬剤はいったんジュバに輸入され、陸路やMSFの飛行機などによって国内各地に運ばれる。そうした過程で薬は決まった温度以下で保管されねばならない。

 的場さんは少しひんやりした室内で、

「一日に二回、その温度をチェックするんですが、今日のようなウィークエンドなんかで人がいない日は、私たちが来ないといけないんです」

 そう言いながら、大きなボックスを次々に開けてはログタグと呼ばれるチェックグッズのモニターを眺め、低下の記録がなかったかをメモに記録していく。

温度の推移がすべて記録されるログタグ
温度の推移がすべて記録されるログタグ

「休みの日だときついこともあるんですよ」

 的場さんは笑うような泣くような表情をして言った。他の役職ならば十分に休める一日を、薬剤師たちの何人かは少なくとも二回、中断しなければならないのだった。しかもそこに食料係が回ってきたとしたら。

 まさにその多忙の権化が、我々の目の前にいる的場紅実さんだった。

 

 さて、こちらも安全保障上の理由でどのオフィスとも書けないが、我々はいったんOCPに帰ったあと、しばらくあるMSFの建物の周囲をぼんやり見て回った。すると、ある場所で横田さんが変な三文字を口にした。

「え?」

「ヘスコです」

 言われても意味がわからなかった。

 大きな筒だった。青い布を筒状にして土を巻き、針金で作った格子をその上からさらにぎゅうぎゅうに巻いてある。それが何本も、建物に高く立てかけてあった。

 俺だけだったらまったく気づきもしなかったろう。何かの建材だと思って。戦場カメラマンの横田さんにはむしろそれは常識中の常識だったらしい。

 それは砲弾を防ぐ防壁で、簡易な方法で出来て非常に強度が高いのだそうだった。つまり布と針金を一緒に巻いて運べば、あとは現地で土をぎっしり詰めるだけなのだ。きわめて軽い防壁である。

 そんなものが建物の窓を隠していること自体、南スーダンがどういう状況だったかを示すよい例だった。

 俺はジュバの空に飛び交った砲弾のことを、ようやくリアルに想像することが出来たのだった。

宿舎を守るヘスコ。紛争地ならではの防壁だ。
宿舎を守るヘスコ。紛争地ならではの防壁だ。

続く