ジュバの宿舎の流儀とは---いとうせいこう『まだまだ国境なき医師団を見に行く』(南スーダン編2)

OUTRAGE(全員悪人)のTシャツがこんなところにまで(スマホ撮影)

宿舎の豪華さは任務の激しさに比例する?

 同日(11/1)、18時過ぎにOCBAジュバ事務所を四駆で出た我々は、乗り込んできた4人の『国境なき医師団(MSF)』スタッフと共に宿舎へ移動した。

 名物ガタガタ道(それはランダムに土に穴を深く掘って作ったんじゃないかと思うほどで、自動車移動を阻む意図さえ感じる)をゆっくり行くが、行き交う人は驚くほど少ない。これは空港からの舗装道路でも感じたことなのだが、人口が他の国(例えば隣のウガンダ、あるいはハイチ)に比べて圧倒的に少なく感じられる上に、特に中年から年寄りまでの層を見受けないのである。もしかしたら相次ぐ内戦で若い者以外は避難してしまった、あるいは命を落としてしまったのかもしれない。

 たった数分で鉄扉の前に着き、中に入ると洒落た建物があった。エントランスにもmソファがある。建物自体に入ればダイニングがあってテーブルにはすべて白いテーブルクロスがかかっており、別の部屋はなんと広いバーでこちらには玄関以上にふかふかのソファが幾つかあって、その奥のカウンターの向こうに様々な種類の酒が置いてある。どうも元はホテルだったらしい。それをうまく借りたのだ。それはそうだろう、内戦の激しかったジュバでホテル経営は難しい。

こんな瀟洒な『国境なき医師団』があるなんて!
こんな瀟洒な『国境なき医師団』があるなんて!

 しかも俺たち日本からの取材班に与えられたのは四階の三部屋で、荷物を持って入ってみると冷蔵庫がありテレビがあり(何も映らなかったが)、空調があった。これは俺のMSF取材歴で初めてのゴージャスな部屋だった。そして俺がキングサイズのベッドに飛び込みながらつぶやいたのは以下のセリフだ。

「ここのストレスはよっぽど凄えぞ」

 さすがに幾つもMSFを取材していると、考え方が変わってくる。

 特にストレスが宿舎の作りに比例しているわけではない。

門限というより立ち入り厳禁

 しばし荷ほどきして一人で一階に降りると、背の高い白人女性がダイニングにいた。事務所から移動する時に四駆に同乗していたベルギー出身のエレン・ダールで、彼女とは滞在中よく顔を合わせることになる。疫学を専門としているというエレンは常に好奇心旺盛で質問も多い。

「で、あなたは?」

「作家です」

 と答えるときょとんとしている。それはそうだ。国境なき医師団のミッションに「文学」なんて項目はない

「インタビューしてるんです。その、あらゆるスタッフに」

 説明を追加してもエレンの寄った眉はほぐれなかった。そこに医療コーディネーターで黒人男性のアデリー・メンギストゥ・エンダショウさんが歩いてきて、

「彼はジャーナリストだよ」

 と助け船を出してくれる。

 それでエレンもああ……とうなずいた。確かに「報道」であれば理解しやすい。そこで書かれたニュースが状況を変えることもあるだろう。だから俺は積極的に自分をジャーナリストと名乗るべきなのかもしれないと思い、また同時にそんな知識も技術も彼ら独特の常識もないと恐れ多く感じるのであった。

 ダイニングでじっとしていると舘さんも横田さんも降りてきた。エレンともう一人の小柄なフランス人女性も参加し、エチオピア出身のロジスティック・コーディネーター代理ティショメ・タデスから再びくわしいセキュリティ・ブリーフィングが始まった。配られた紙を見れば、夕方までに自由に歩ける範囲はごく狭く、前回書いたように車で移動出来るゾーンにしても早い時間に細かく「curfew」が設定されている。あるゾーンは18時まで、隣のゾーンは16時までという風に。この単語を前回は「門限」と訳しておいたけれど、ニュアンスとしては「立ち入り禁止」「外出厳禁」に近い。

 その細かい設定に戦場カメラマンの横田さんは言った。

「紛争地で活動している人たちがここまで自主的に細かく注意していることを知った上で、“世間”の人たちは自己責任って言って欲しいですよね」

 確かにそうだった。

 さて、ちなみにティショメのキャリアを聞いてみると、最初はエチオピアの現地スタッフとしてMSFに参加し、その後は海外派遣スタッフとなってロジスティックとセキュリティ管理を二十年勤めているというベテランなのだった。ナイジェリア、イエメンなどなどミッションを果たした地域も十五以上で、いかにも頼れそうな雰囲気を出している。

 一番きつかった場所はと質問すると、少し考えてから「ナイジェリア」とティショメは答えた。

ボコ・ハラムがさんざん暴れたあとの、まだ彼らが点在している町に入ったんだけど、たくさんの人が殺されていて……」

 まさにメンタルの医療が必要なケースだろうし、むろんすでにティショメはそれを受けていただろうと思う。

 そういえば、彼からはいかにもジュバならではの、こんな注意も受けた。

「もし交戦を目撃したら……」

 安全上の問題に敏感な場所ゆえ、それ以降の言葉はカットしておく。

 そのあと、ティショメは宿舎のあれこれを実際に案内しながら説明した。例のバーでは小さな金庫に自分で金を入れてビールやコーラが飲めた。さらに下の階には大きなキッチンがあり、大きな冷蔵庫があった。近くの部屋にはシャワールームなどもある。ただし、これら施設の充実を贅沢と考えてはならない。ある部屋に入ったティショメはこう言うのだ。

「大きな紛争の時には、ここに避難してください。キッチンには(情報カット)」

 とティショメは言ったのだ。

 最初に「ストレス」を予想したのは当たっていたことになる。

 さらにティショメは、夜に部屋へ上がる者は必ず宿舎内の扉を複数の錠前で閉めるようにと掟を教えてくれた。

 きわめて厳重に、ジュバのMSF宿舎は自衛をこころがけているのだった。

現場を愛する者たち

 続いて経理に関するブリーフィングがあったのも独特だった。語り手はチーフのミラン・ガシー。少し太り気味で優しい笑顔のセルビア人だ。

「まず君たちに質問がある。ディナーは?」

「まだです」

「じゃ短くすませるよ」

 といかにもなジョークから始まり、彼らが一日何ドルで三食をまかなっているか(したがって、ここのMSFスタッフは皆、毎月まとめて食費を払うシステムだ)、南スーダンの為替レートがどうなっているのか、まず各自に渡される額はいかなるものか、と始まってみればミランのしゃべりは非常に流暢で、かつ終わる予感を見せなかった。

 しかも好奇心旺盛なエレンがよく質問した。同席した小柄なフランス女性も、ふわりとしたワンピースの裾から女神像らしき入れ墨が大きく入った片方のふくらはぎを出したまま、ささやき声で様々なことを聞いた。質疑応答となればミランもますます調子を上げ、あらゆることを教えてくれる。

 この人はミッションの責任者をやったことがあるだろうな、と俺は思った。MSF全体の動きを非常によく把握していたからだ。それが今、わりと地味な経理部門を任されているのは彼自身が現場にいることを志願するからではないか、とも俺は腹をすかせた状態でぼんやり考えた。

 そのへんが「MSFあるある」であることも、俺はすでに知っていたのである。

 

セルビア出身のミラン。いかにも経験者らしい落ち着きとユーモアにあふれている
セルビア出身のミラン。いかにも経験者らしい落ち着きとユーモアにあふれている