傷ついた人々が95万人ーーいとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く(ウガンダ編4)

ごった返す難民登録所。夕方になっても人は並び続ける(スマホ撮影)

過去回はこちら

インベピの難民登録所

人、人、人だ
人、人、人だ

インベピ居住区の外来診療施設からまた土ぼこりのデコボコ道を行き、俺たちは難民の受付をしているという場所へ移動した。

あたりは南スーダンから逃れてきた人々であふれ返っており、点々と例のUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が配布した銀色の遮光シートで作られたテントがあった。そこに男も女も子供も歩き回っていた。全員が難民の方々だった。

ひとつの大きなテントが左手にあり、その前に何本もの木の枝が立っていて、それぞれが赤いビニール紐でつながれている。よく見れば、それが人を並ばせるための仕組みになっているのだった。ただし俺たちが訪れたのが夕方前だったので、すでに当日の作業は終わっていた。

そのテントでは『国境なき医師団(MSF)』が他団体と共に、まず5才未満の子供たちにワクチンを打つのだそうだ。中に入って見学させてもらい、入り口近くに置かれた小さなテーブルの近くへ行ってMSFの現地看護師に質問すると、こころよく記録帳を開いてくれた。その日1日でポリオのワクチンが273人に、はしかが534人、加えて、怪我をしていた15 歳から45歳の人18人に破傷風ワクチンが接種されたという。すごい数の難民がそこを訪れ、次々に注射されていることがわかった。なにしろ全体では2000人が1日ごとに流入し続けているのだ。

「これでも今日は少ないほうです」

と看護師は教えてくれたから、彼らの仕事が日々どれほどハードなのかがわかった。

向こう側にぎっしりと人が群れている大きなテントがあった。入りきれずに周囲に座り込んでいる人たちもいる。聞いてみると、そここそがインベピの難民登録所なのだそうで、のぞきみれば中に4卓ほどのテーブルがあり、その前にそれぞれびっしりと人が並んで順番を待っていた。全員がその日、南スーダンからたどり着いた人だという。

子供を抱く女性、老人、若い女性。色鮮やかな服を着ていても表情は暗く不安そうで、いつ怒り出してしまってもおかしくない雰囲気があった。

彼らはまったく理不尽な理由で故郷をあとにし、一家離散の状態で列をなしているのだった。

もはやひとつの町としての人ごみだ
もはやひとつの町としての人ごみだ

ビディビディに近づく

道を急ぎ、ビディビディ居住区近くのユンベという場所へ車を走らせた俺たちの前に、対向車として何台かの大型バスが近づき、がたがた揺れながら消えていった。それもまた国境で難民を集め(荷物は荷物として別なバス)、登録所へ運んでくる車両だそうだった。こんな時間にもまだ、と驚いているとさらにバスは来た。

「5万人規模のキャンプでこうですからね。ビディビディは20万を越えて、ひとつの都市になっています」

広報の谷口さんは言った。実はそのあと難民はさらに増え、これを書いている2017年6月下旬現在、ウガンダ全体では95万人、うちビディビディに27万人、インベピに10万人という状態になっているそうだ。

狭い道を走っていると、道端に少年たちがいてそれぞれに自前で作ったらしい弓と矢を持っていた。登録所から同乗していたMSF現地スタッフが以前撮ったという映像をスマホで見せてくれたところによると、猿を射て食べるのだそうだった。彼自身は「うまいとは言えない」そうだったが、あたりび食糧事情からすれば馬鹿にできないタンパク源なもかもしれなかった。

と、見ると一人の少年の腰に、確かに灰色の猿が一頭だらりとぶら下がっていた。少年は誇らしげに左右を見ながら歩いていた。

ユンベ県都ユンベ

ユンベという町に着いたのは18時過ぎ。

そこにMSFの宿舎があった。

世界中どこでもそうであるように、MSFのロゴマークのついた鉄扉が開く。中には左手にまず広いかや葺きの小屋があり、右手に大きなマンゴーの樹があった。

実る巨木
実る巨木

小屋には数人の外国人派遣スタッフがいて、俺たちをあたたかく出迎えてくれる。各人と握手をして名乗りあったのもつかのま、付近にあるMSFの別施設を見学することになる。というか、俺的にはどこに泊まるかわからないまま、あちこちに移動している感じだ。

スタッフが「ファーマシー(薬局)」と呼んでいる場所へ車で行くと、そこにも外国人派遣が数人、奥の小屋のベンチの上に座っていた。

挨拶をしてベンチに座ると、ベランジェリイ・ゲ通称ベラという女性とドゥニ・バドゥヴァンという男性が現在の難民居住区の状態をくわしく説明してくれた。彼らフランス人スタッフはどちらもプロジェクト・コーディネーターで、拡大する緊急援助活動の現地責任者だった。

さて、ビディビディは5つのゾーンに分かれており、もともとは昨年の8月に始まった居住区であり、MSFは緊急の対応としてすかさず包括的医療とWATSAN(水と衛生)のスタッフを送り込んだが、居住区はなんと12月にはいっぱいになってしまい、インベピを増設するに至ったとのこと。現在、他の人道団体を含めて食糧、住宅ともにうまく供給が出来ているのだそうだ。

ただ、これから本格的な雨期がくるのでマラリアや、水を介した感染症、栄養失調があやぶまれ、実際に下痢の症状が幾つか見られるため、衛生教育も開始するところだという。

ベラはとても熱意のあるしゃべり方をする、いかにもMSFらしい女性で、それをドゥニが優しく見守るコンビネーションのようで、居住区のオリエンテーションは立板に水で続いた。

現在、MSFでは全域を対象に水や住まい、感染症に関する満足度を調査中で、心理ケアのために心理療法士を導入し、PTSDの治療にも乗り出し、また性暴力にも対応していること。なんと難民女性のうち、10人に7人がレイプされているのだとベラは言い、深いため息をついた。その心理ケアをなくすべきではないと彼女は強調し、俺も大きくうなずいた。

難民はただ逃げてきているわけではない。その間に身の毛もよだつような体験をし、多くの死者を見、金や土地を奪い取られ、男性女性を問わず性暴力被害にあっているのである。そうした傷ついた人々が95万人存在していることへの想像を失うべきではない。

まして「難民はただ金のために国を移動しているんだろう」というような、国際感覚からひどくずれた把握が散見される日本の政治家たちには、是非彼らの様子を彼らの中に入って知って欲しいと思う(その意味では、今日6/22に発表された岸外務副大臣による、今週ウガンダで開かれる南スーダン難民支援会合への出席は大変よい機会だろう)。

ベラの説明に戻ると、ビディビディ居住区はその当時、なんとほぼ9割が女性か子供なのだそうだった。あたりの風習として、一人の女性が5、6人生むのが当たり前だとのことで、難民キャンプでも日に日に子供が増えていくのだそうだ。これは言われてみないとわからないことだった。

また男性、特に若者は最後の最後まで自分たちの家の財産を守ろうとし、南スーダンでは牛がその財産そのものなのだそうだが、それを手放すまいと政情厳しい土地に残る。だからこそ、ますますキャンプが女性と子供だらけになるのであった。

「ただし」

とベラは言った。ドゥニはそれを見ていた。

「そんな若者さえ、次第に避難をし始めているから、南スーダンの状態はよほど悪いということになるわね」

再びベラはため息をついた。

ここウガンダにいてさえ、南スーダンの中は危険で先祖代々の土地を棄てなければならないほどだとわかった。それを日本の自衛隊が救おうとし、しかしなぜ武器を携行すべきだったかのか俺にはわからなかったし、突然任務を解除されて戻らねばならない彼らの悔しさや中途半端さが理解出来る気がした。

少し話が途切れ、ベラもドゥニも俺も谷口さんも黙った。

いわゆる「天使が通る」と言われる沈黙のあと、ベラがこんなことを言い出した。

「取材は一週間に一度くらいあるんだけど、今日は二度目なの」

俺は直感的に何があったのかわかった。ベラは続けた。

「その人の国では知られた人らしいんだけど」

同じことはハイチの性暴力被害センターでも起きたのだった。俺の前に、俺めいた人間がいるのだ。

ウガンダの奥地で、世界が二重になっている感じにとらわれている俺にかまわず、ベラは言った。

「その人にも言ったんだけど、ここウガンダでも100万人を超えると事態が変わると思う。配給が間に合わなかったり、経済的にもインフレが起きてしまう。そうなるとウガンダが受け入れを継続してくれるかどうか……」

あとわずか5万人だった。

一日に2000人が難民として来ている。

俺がウガンダのリポートを書き終える頃、リミットを越えてしまうのではないか。

危機の感覚が、個人的にも難民を考える上でも俺にあった。

その日、いったん宿舎へ寄り、宿を手配してくれた看護師のジョセフィーヌの案内で真っ暗な道を車で移動して、荒野の中のコンクリート造りの一階建てモーテルのような場所に泊まった。運転手のボサは俺より安い部屋で溜まった水をシャワーにしていた。基本的に電気など使わないし、停電の時間も決まっているのかも知れず、誰もいない食堂だと思っていると暗がりにたくさんのアフリカ人がいてサッカーを観ていたりした。

俺たちはその横のやはり食堂の一部でロウソクの灯の中、決まったメニューとしてディープフライドの牛肉とフライドポテトを食べ、俺はコーラを飲んだ。

蚊取り線香を持参していたので、あとで一人で食堂にライターを貸してもらいに行くと、マッチさえなかった。係の女性が笑いながら俺の蚊取り線香を台所の奥へ持っていき、ずいぶん帰ってこないので興味がわいてきて勝手に中に入ると、床に幾つか穴が開いていてそこの炭に火がついていた。女性はしゃがみ込んでそこから線香に火をつけていた。

真っ暗な平原を横切るようにして、俺は火のついた蚊取り線香を持って井戸の横を歩いた。ふと気づくと闇の中に敷物を広げ、そこで神に祈りを捧げているイスラム教徒がいた。ほとんど見えなかったが、何度も頭を下げているのがわかった。

水が落ちてくる仕掛けの部屋のシャワーを浴び、持っていた手ぬぐいで体を拭き、俺はもう一人の俺のことを考えていた。

そしてその人物なら、インベピ居住区で「風呂に入りたい」と言っていたダウディさんにこの水を分けてあげていたかもしれないと思うと、自分の取材が偽善に思えてならなくなった。

それでも自分は取材を続け、最後まで書くことに違いはなかった。俺はもう子供ではないし、偽善だろうがなんだろうが自分一人の完全な正しさのために世界に目をつぶるのがいかにくだらないことか、それも知っているつもりだったからだ。

続く