スラムの小さな病院でーーーーいとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く(フィリピン編6)

狭い診察室で母親の背中を見ている女の子(スマホ撮影)。

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道の上の飢えた子供たち

 一度病院に戻ってから、昼食をいつもの屋台で買うことにした。俺は豚の血の煮込み、巨大なナス入りのオムレツ、白い米(計60円)を半透明の薄いビニール袋にそれぞれ入れてもらって、すっかり慣れたスラムの道を歩いた。前にはジェームスジュニーがやはり各々のランチを手にぶら下げていた。

スラムめし。
スラムめし。

 向こうからクズ拾いのカゴを背負った少年たちが来た。日本で言えば小学校低学年から高学年の5人組は一団になって歩いていてほほ笑ましかった。

 けれど、彼らはジェームスが持った白飯をまじまじ見た。その目を俺は忘れることが出来ない。彼らは飢えているのだった。ぶらつく白飯が彼らにはごちそうなのだ。

 むろん後方から少年たちに近づく俺の手にも食べ物があった。出来ればそうしないで欲しいと願ったが、彼らはやはり俺の手の先をまじまじと見た。見れば腹に入るとでも言うように。

寡黙な人と

 

 食事はリカーン『国境なき医師団(MSF)』が共同経営する例の小さな病院の一階ロビーの奥でとった。スラムで唯一の医療機関の狭い廊下にジェームス、ジュニー、ロセル谷口さんがひしめきあった。

 その後、前回書いた受付の「若い寡黙な女性」に話を聞けることになった。あの旧式の計りで母親たちの体重を記録している黒目がちの人だ。長い髪の彼女は名前をクリスティン・T・タレスと言った。30歳になる既婚女性だった。

 もともと2008年からアウトリーチ(地域への医療サービス)の手伝いをしていたクリスティンは3人の子供を持ち、大工である夫との生活をニンニクの皮むきで支えていた。そして5年ほど前のある日、4人目の子供を出産時に亡くしてしまう。それですっかり失意の底に落ちていたところを、リカーンの一員であるアテリーナというエネルギッシュな中年女性が何度も元気づけ、病院で働いたらどうかと連れて来たのだった。

 インタビュー中もクリスティンは度々他の何かを言おうとしてかすかに唇を動かし、結局そのまま無言で寂しそうに笑った。そういう人だった。

 4人目の子供をトライシクルに乗せて、クリスティンは方々の病院を回った。どこも受け入れてくれなかった。走るトライシクルの中で、彼女はもう子供は作らないと決めた。

 アテリーナの勧めを受け入れた彼女は、以来毎日病院に来て受付をしているとのことだった。これ以上自分のような女性を増やしたくないと考え、リカーンが行っている最高裁の前での避妊薬の許可を求めるデモにも積極的に参加していると聞いた時、俺は心の中で驚いた。そしておとなしく無口な彼女の中にある信念の存在に打たれた。

「クリスティンはね」

 とジュニーがにこやかに言った。

「誰よりもエモーショナルに抗議をするんだよ」

 クリスティンは例によってわずかに唇を動かした。続く言葉を待ったが、それは呑み込まれた。あとには伏し目がちな微笑みが残るだけだった。

「ここでの仕事はお続けになりますか」

 と谷口さんが聞いた。するとクリスティンは堰を切ったようにスムーズにしゃべり出した。

 もちろん活動を続けたいと思っています。なにしろここはすべて無料なのです。みんな来たがっています。たとえ朝の5時に起きてでもここへ来て助けて欲しいのです。私はそういう人のお手伝いをしたい。

 彼女自身、2010年から避妊用インプラントを体に入れているとのことだった。2014年に2回目の処置も行った。苦しむ子供、亡くなっていく赤ん坊を彼女はもう二度と見たくないのに違いなかった。

 彼女は彼女を救うために日々病院に来ているのだった。

クリスティンの秤。
クリスティンの秤。

看護師アントニーという個人

 じきに二階の診療室も見ることになった。

 狭い階段を上がると小さな部屋が4つばかりあり、それぞれがカーテンで締め切られていた。中に母親や幼児がいるのは声でよくわかった。

 俺たちのインタビューに答えてくれたのはアントニー・タネオという背の高い看護師で、挨拶をする段階で彼が、いや彼女がというべきだろうか、セクシャルマイノリティであることがわかった。

 あたりの柔らかいアントニーは長い足を組み、狭い診察室の椅子に座ったまま、

「日本語わかる、少しだけ」

 とふさふさの髪に触れながら言った。そしてまったく臆することなく、自分はLGBTの関係で新宿にいたのだと言い、なんでも聞いて下さいと言った。

 ここでもまた俺はフィリピンの性に関する自由、寛容に感銘を受けた。そして彼の、彼女の、いやアントニーという個人そのもののキャリアへと質問を向けた。

アントニーの椅子。
アントニーの椅子。

 そもそもは政府系の、つまり公立の病院で働いていたアントニーは、2014年1月にここに来たのだと答えた。公立病院にいれば安泰だろうに、リカーンの病院はリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関わる健康)に特化していてユニークだということ、また他の公立診療所などではいまだに資金不足から「塩」が支給されるところもあること(どうやらフィリピンではお金のかわりに塩が使われることがあるらしい)、そしておそらく何よりも女性と子供の権利を守ろうとするリカーンの姿勢があらゆるセクシュアリティの権利運動と結びつき得ると考えて、アントニーは今もその“NGOが草の根運動で開いている医療機関”にいるのだった。

「交通費もバカにならないから、ここに来られるのは周辺のスラムに住む人に限られているけど、ここから紹介した病院も無料になりますよ」

 とアントニーは英語で付け加えた。つまりまだまだ多くの患者を診察したいし、リカーンとMSFによって無料の医療機関が増えることを願っているのに違いなかった。そしてアントニー自身、ジプニーやトライシクルで通って来ているのだと言った。一日に50人から100人を診ているのだという。

「それから、リカーンが受け入れるのはリプロダクティブ・ヘルスを通して、実は性暴力に傷ついた女性、虐待を受けた子供、そして貧困に苦しむ人々なんです」

 核心部分をアントニーはそう話した。“リプロダクティブ・ヘルスに特化していてユニークだ”と初めに言ったその奥に、硬質なリアリティがあるのがわかった。

 アントニーはマイノリティからの視線を失わず、自分のあるべき居場所を見つけたのだと思った。

 それがリカーンとMSFの営む病院だった。

なぜ彼女たちは通うのか

 階下に下り、今度は患者の女性にも話を聞いた。

 チャンダ・U・フエンテスというその41歳の女性は「ブルックリン」という文字が大きく描かれたTシャツを着てタオルを首に巻き、髪は茶色に染め、きれいに眉を整えて唇にピンクのリップを塗っていた。そしてファミリープラニングの話を小さな声でする度に、顔を赤らめた。

 2013年からIUD(子宮内避妊器具。T字のプラスチックの先にナイロンの糸のようなものが付いていて、子宮に入れておくことで受精卵の着床を防ぐ)を入れていたが、建設業を営む夫がニュージーランドへ働きに出たため避妊が要らなくなり除去。しかし一ヶ月後に帰って来るのでもう一度入れてもらいに来たのだという。ピルは体に合わないので前と同じIUDを希望しているのだそうだった。

 すでに3人の子供がいて全員が男の子、上はもう18歳で下が5歳、もうそれ以上に子供は産みたくないし、育てることも出来ない。

 これはあとでもまた書こうと思うが、こういう時にフィリピン男性は避妊を“男らしくない”と考えがちなのだと言う。それはかつての日本もそうだったから俺にもよくわかった。

 だが子供を育てるのを男たちは女性にまかせっきりにしてしまう。おまけに稼ぎもとうてい足りない。結局食べるものを削るのは母親であり、寝る間も惜しんでアルバイトをするのも女性になる。実は俺自身、たった二人兄妹だけれどそれでも小さな頃は母が昼食を抜いていたと大人になってから聞いた。母親は子供の俺たちにその分の食事を与えていたのだった。ひどく痩せていた母の写真を、俺は今でも机の引き出しに入れている。

 俺だけでなく、チャンダさんへのインタビューンのあと、ロセルとそんな構造的な男女差の話になった。彼女は自分が育ってきた環境の中でも裕福さは遠くにあるものだったと言い、俺はとても深く共感した。

 そのうち谷口さんが、ギリシャの難民キャンプで出会ったアレッポ出身のアミナさんの話をロセルにした。アミナさんは難民を乗せたボートの上で夫を亡くし、ヨーロッパの受け入れが厳しくなってキャンプで暮らし続けながら、自らの悲劇をじっと耐えていたのだった。

 ロセルはつぶらな瞳に涙を浮き出させて何度もうなずきながら、その見知らぬ女性の境遇に思いを寄せた。

 すると谷口さんがなぜか俺に話しかけた。

「私はいとうさんの『想像ラジオ』はどの国の言葉に訳しても理解されるだろうなとよく思うんです」

 俺にはなんのことかわからなかった。谷口さんはロセルに短く俺の小説の解説をした。巨大な災害と人災によってたくさんの人の命が失われ、生き残った者がどうやってその事態を受け入れるか、いや自分が亡くなっている気づかない者がいかに死を受け入れるか。

 ロセルは真剣に聞き、やはりうなずいた。

 谷口さんはその上でまた俺に言った。

「残念なことですけど、苦しみは普遍的ですものね。アミナさんのこともロセルのことも、チャンダさんの暮らしも、あの小説のメッセージの中にきっと入っていますから」

 そうか、そう言われればそうだったと俺は思った。

 ギリシャ取材で現れた機内での人影もまた、そうした普遍性の中で俺の隣に寄り添い、無言でいなくなったのではないか。

 俺はやはり代弁者であることの誇りととまどいと偽善への疑いを持ち続けながら、このあとも他人の話を聞き続けるのだ。

 次回は日本人スタッフ、菊地寿加さんがなぜ『国境なき医師団』に参加し、どんな日常を送りながらなお活動に闘志を燃やしているのかに、俺は耳を澄ましたいと思う。

 

続く