リゾート地の難民キャンプに至るまでーーーーいとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く(ギリシャ編9)

この美しいリゾート地の沖から難民たちは港に上陸したのだった(スマホ撮影)

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ニコラスの預言

 翌日目覚めてすぐ、俺はカーテンを引き開け、幾つかのプールの向こうに存在する紺色の水の集積を見た。その海はいかにも深そうで、しかも向こう岸に何があるかわからなかった。陸地側は小高い丘の重なりになっていたが、海の近くで絶壁のように切り立っていたから、難民の乗るボートが着岸出来ないのは明らかだった。

 果てもないような海水の塊を、俺は重力の溜まり場のように感じた。力に引っ張られて小舟などはすぐに沈んでしまいそうだった。

 モリヴォス、というのが自分が来てしまった場所の名前だった。見下ろすプールには白いパラソルが広がり、朝の光がその脇でふくらむ小山の肌と、歩き回る子ヤギを照らしていた。

 広いベランダとつながった大きな食堂に降りていくと、あのニコラスがいた。日本から来たと聞いて「ジンム」の神話を話し出した不思議な青年だ。

 ニコラスは例によって首をもじもじ動かし、右下左下を交互に見るようにしながら、顎に指をあてて俺に言った。

「セイコーくん」

 この時、彼は「くん」までを発音した。つまりそこだけすべてが日本語なのだった。面くらう俺にニコラスは英語で続けた。

「世界は悪い方向に向かっている。違うかね?」

 突然そう問われて、俺は思わず、

「おそらくそうだ」

 と答えてしまった。

 するとニコラスは顔色も変えず、

「やっぱりね。いずれにしても、僕の友達がアニメ好きだといいんだが」

 と婉曲な話法で言った。僕の友達というのが俺のことだと気づく頃には、ニコラスは食堂を背にしてどこかへ歩き去っていた。

 まるで意味がわからなかった。“世界は悪い方向に向かっている”というのが有名な日本アニメの名セリフだと言うのだろうか。なぜニコラスは俺にアニメを思い出させようとしたのだろう。

 狐につままれたような思いでリゾートホテルのバイキング朝食を食べ、そこに合流してきた谷口さんから「今もMSF(『国境なき医師団』)のオフィスに連絡を取っていますが、返事が来ません」という報告を聞いた。

 俺たちは難民キャンプを管轄する行政からの、取材申請への返信を待ったまま、来てしまえば彼らもむげにはしまいと祈るような思いでレスボス島へ渡っていたのだった。

 ともかく、とホテルの従業員たちに俺は話を聞いて時間を過ごした。食堂を囲む広いベランダに出て、ある眉毛の濃い女性は海を指さしながらこう話した。

明るい女性従業員。オーナー家族だろうか。
明るい女性従業員。オーナー家族だろうか。

「去年はすごかった。女性や子供もたくさん舟に乗って、そこの海に集まって来たの。あれは本当に悪夢だった。彼らはもうどこかへ行ってしまったけれど」

 彼女は難民の方々の行き先を知らないかのように言った。俺は別の質問をした。

「観光にも影響が出たんじゃないですか?」

「そうね。七割くらいお客さんは減ったわね。国連の保障がないと大変。でも来年は元に戻るわよ」

 目の黒々とした明るい女性は自分もまたビーチで遊ぶようなリゾートファッションで、そう展望を語った。

 その間、ニコラスは出てこなかった。

 

行ってみるしかない

 十時半、いずれにしてもいったんMSFのオフィスに向かってみることになった。

 すぐにタクシーを呼んでもらい、十数分後俺たちはニコラスのいたホテルをあとにした。

 ほど近い、城のふもとの小さな村でいったん車を止め、谷口さんは銀行で金をおろした。まさかタクシーで往復二時間半以上を移動するとは思っていなかったからだ。郵便局みたいな感じの銀行のそばでうろうろしていると、土地を離れたことのなさそうなおじいさんたちが好奇心を抑えながらこちらを見るのがわかった。ギリシャの田舎そのものという場所に、いきなり異国から難民が数万人やって来た時、彼らはどう反応したのだろうかと思った。

村と城。まるでドラクエの世界だ。ここに難民が押し寄せた。
村と城。まるでドラクエの世界だ。ここに難民が押し寄せた。

 ただ、おじいさんたちは露骨に俺を見るわけではなく、そこにある上品さがあるのが感じられた。考えてみれば、彼らは大昔から海の向こうから来る者と交流しているはずだった。歴史が彼らを鍛えているのかもしれなかった。

 村からは、岩と褐色の土で出来た岡の横を通り、オリーブ畑を通り、小山を越えてひたすら南へ移動した。途中の町の角に青年がいるので道を聞くのかと思いきや、何か小さな袋をドライバーのおじさんは受け取った。

「速達だよ」

 とドライバーは言った。せっかく港町に行くので運搬を頼まれているのだった。

 タクシーはそこからカッローニという大きめの町を目指した。山を行くと松林で道路が松かさだらけだった。オリーブが点々と生える向こうに白馬がいた。奇妙な夢のようだった。

 ようやくカッローニに着くと、今度はドライバーが交代した。やはり道角に息子さんが待っていて、そこからは彼の出番だった。

 英語で自分たちは『国境なき医師団』でここへ来たと息子さんに言うと、すぐに意味がわかり、何千人の難民がここに来たとか、今はきついが来年はいいだろうとか、ホテルの女性と同じようなことを言った。

 そこからさらに一時間半ほど。

 俺たちはようやくミティリーニという港町に着き、MSFの陣取る二階建てのかわいらしいオレンジ色の瓦屋根の家を見つけ出した。 

あまりに美しいオフィス。
あまりに美しいオフィス。

 門から入っていくと、家の脇の薄暗いところで女性が3人ミーティングしていた。正面扉の前には椅子があり、おばあさんが腰をかけていた。来客を迎えるのだろうか。

 中に入ると、そこにもたくさん人がいて部屋の中で事務をしていたり、二階から下へと移動したりしていた。

 俺たちを迎えたのは茶色いヒゲを生やしたイギリス人でプロジェクト・コーディネーターのアダム・ラッフェルで、彼が使っている部屋に招き入れられてそのまま「レスボス島の状況」についての概説を聞いた。

 彼自身、去年から活動に参加したそうだったが、ピーク時にはメディアも難民も一日に千人から3千人訪れていたのだそうだった。すさまじい数の人を、アダムたちは適切な場所へ誘導しなければならなかった。

 当時、MSFとグリーンピースは地中海で共同して事にあたることにし、レスボスの北部に3つの難民上陸拠点を作った。そのひとつ、モリヴォスが俺の泊まっていた地点であった。

 海の上でさまよう難民のボートを大型ボートで見つけて乗船者を救助すると、MSFは彼らを拠点へと上陸させた。そのあと、難民たちは行政の指示で東側の海岸沿いに南へと徒歩で移動したのだそうだ。大変な旅は終わることがなかった。MSFは彼らが歩かなくてもすむようバスの運行を行い、やがて国連もバスを出したらしい。

アダムの熱いブリーフィング
アダムの熱いブリーフィング

 さらにアダムたちは、マンタマドスなどの一時滞在センターで食事や救援物資や医療を提供した。中でも最大5000人が島に到着しながらも、もともとの滞在想定人数が700人だったというホットスポットモリア(漂着した移民・難民など“保護希望者”の審査・登録を行う目的で2015年10月からギリシャの主要な島に設置された難民管理センター)では当然フル回転の援助が続いたという。

 モリアで難民申請が通った者は管理センターの保護下に入るはずだったのだが、例の『EUートルコ協定』によって彼らの立場が不安定になってしまい、追い返される事態が発生した。

 トルコ側は国境警備隊を配置し、ギリシャとの境を見張っているため、かつてのような流入はないものの、それでも今も1日に1隻程度のボートは海上で発見され、10人から15人が乗っている計算になるという。

 MSFでは彼ら苦難を経てきた人々に、グループセッション、あるいはあまりに厳しい経験を経た人へはマンツーマンの心理ケア、また法的支援、ないし健康教育の広報を通しての啓蒙などを続けているとも聞いた。

 ちなみに、マンタマドスでは特に親を失った子供の保護施設を設け、それまであった場所を勉強のためのものへと変えたそうで、そこにはギリシャ行政の協力も入り、MSF側は場所と医療を提供しているという。

 俺たちが話を聞きに行っているその場所はOCB(MSF内のオペレーションセンター・ブリュッセル)が統括しているのだが、彼らだけでも現地スタッフが70人ほど、そして外国人派遣スタッフが8人。ほとんどが現在は港町ミティリーニのコーディネーション・チームと、マンタマドスに集中している、とアダムは言った。

 活動領域を考えればその人数でもてんてこまいだろうし、難民流入のピークには相当なハードワークだったろうことが推測された。

アダム!

 

 概況を教えてもらってから、俺はアダム自身のことに質問を向けた。彼はもともとイギリスの人道医療組織におり(ただしその組織自体、元MSFの人が作ったものだそうだ)、セーブ・ザ・チルドレンに移ってアフリカ諸国を巡ってからMSFに参加し、南スーダンのピボールに9ヶ月いて武力衝突による情勢悪化にも遭遇したそうだった。

 彼のような歴戦の勇がいるのは他の人道団体との連携を深めるMSFギリシャにとって確実に有益で、実際に国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)、国際赤十字委員会、セーブ・ザ・チルドレンなどと彼らは週1回は情報共有をして意見をすり合わせ、課題ごとには常に連絡を取り合っているという。顔見知りなどがいればなおのこと、話が早くつくというものだ。

 さて、ずんぐりむっくりしたその重要人物の一人アダムはブリーフィングのあとで、俺たちにおもむろにこう言ったのだった。

「では14時30分までランチを取って、それからまた来てくれますか?」

 それはつまりどこかへ連れて行ってくれるということか。

 現地取材が可能になったというのだろうか!

 アダムは机の上の書類から少し上目遣いをするようにしてこちらを見ると、少しだけ強い調子で続けた。

「カラ・テペの難民キャンプに僕がお連れしましょう」 

続く