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イスラム国の刻印を押された家族たちと反政府抗議運動への複雑な思い イラク・ファルージャ編 (5)

伊藤めぐみドキュメンタリー・ディレクター
ファルージャの街中では車窓からはイスラム国との戦闘で破壊されたままの建物が見える

ファルージャ市内から車を20分ほど走らせると、国内避難民のためのハバニア・キャンプがあらわれる。イスラム国の支配から逃れて来た人たちを受け入れてきたキャンプだ。2014年にファルージャがイスラム国の支配下になった当時はこのキャンプに12,600 家族が逃れて来ていたが、現在は600家族ほどが暮らしているという。

イスラム国がファルージャから掃討されてから3年以上。なぜ人々はもとの家に戻らないのか。家が破壊されたために帰れない人々もいるが、中には複雑な事情を抱えた人々も多いという。

■イスラム国関係者の家族がいるキャンプ トライブ(部族)という力

ある1つのテントを訪ねると女性を中心にした一家がそこで暮らしていた。控えめなその家の女性に代わって、たまたまキャンプの外から尋ねてきていた姉にあたる人物がこの家の事情を話してくれた。

「4年間近くこのキャンプに妹家族は暮らしています。妹の夫がイスラム国のメンバーだとみなされていて、もともといた地域の人たちが彼女を受け入れたがらず帰れないのです。

彼女の夫はイスラム国のメンバーだったのではなくて、逃げずにファルージャの街にとどまっただけです。彼はイラク軍が来た時に降参して見せたけれども、殺されてしまいました」

このキャンプには、今はイスラム国の「被害者」ではなく、イスラム国の「関係者」とみなされる人たちも多く住んでいるのだ。このような事情を抱える家族は珍しくない。

ファルージャのような町では地域や人のつながりがとても強く、それぞれの「トライブ(部族)」が力を持ち、彼らを中心にものごとが決まることがある。同じトライブの人々を保護したりする役目も果たしているのだが、一方で必要以上の権力を持つことにもなる。

イスラム国の支配が及んだ時期には、イスラム国のメンバーになった人たちが自らの隣人や親族を殺すという事態も時にあった。

こういったこともあってイスラム国の支配が終わったその後、その地域のトライブ(部族)が、同じトライブのイスラム国関係者とみられる人たちの帰還を拒否しているのだ。

成人男性のイスラム国関係者であればすでにイラク政府によって刑務所に入れられ、裁判などにかけられているが、女性や子どもとなるとその立場は曖昧だ。女性は夫に従わされたという場合が多い。

しかしトライブは、イラク政府が「一応のところ」裁きの対象にないとみなしている人たち(戦闘員の妻や子ども)であっても、帰還拒否の対象にしているのである。

■進まぬイラク政府の対応

その家の主人の女性は疲れたように私たちを遠巻きに見ていたが、たまらずに話し始めた。

「逃げてきた時にIDや書類は全部置いてきて来ました。イラクのシステムに新たに登録しようとしているのですが、それができません。息子は書類がないから学校にもいけません。何度も役所に通って手続きをしていますが、ある段階にまで進むと書類が破られて追い出されてしまいます」

難民や避難民にとってIDや書類は重要になることが多い。手持ちのお金も重要だが、その後、どのような支援を得られるかが自分の状況を正確に説明できる書類があるかどうかで、決まってくるからだ。

書類のない彼女たち家族が救われる唯一の方法は裁判所に行って、「夫はイスラム国のメンバーであったが、自分は反対した」と宣言し彼を非難し、新たにイラクのシステムに登録されること。しかしそれは同時に夫がイスラム国のメンバーであったと正式に認めることにもなる。夫はメンバーではないという彼女にはしたくはない選択だろうし、認めた時に生じるデメリットもあるだろう。

そもそも書類を理由にしているだけで、イラク政府がこの問題にどれほど積極的かも疑問が残る状態なのだ。

ファルージャ市内 筆者撮影
ファルージャ市内 筆者撮影

■疎外され抱いた憎しみが向かう先

このキャンプ・マネージャーがイスラム国関係者の家族が、地域社会から疎外されていく問題についてこう指摘した。

「ここにいるのは多くが女性です。女性は戦闘員じゃないから元いた地域に帰るべきです。なのに、子どもは学校にもいけず、排除、疎外されています。お母さんはイスラム国だと言われて育ち、怒りを持ち、将来、逆にイスラム国に共感してしまうかもしれません」

抱える課題は大きいが、帰還のための取り組みもなされてはいるようだ。

「地域のアンバール県の委員会の人やNGOが来て、社会的な和解の取り組みをしています。最初に彼らはキャンプにいる家族と、受け入れを拒否する地域社会のリーダーと別々に話して何が問題かを聞きます」

これまでに40家族ほどがこれらの取り組みを通して帰還しているそうだ。現在キャンプにいる600家族の中にどれくらいイスラム国とのつながりがあった家族かは教えてもらえなかった。

キャンプ内では書類がない子どもたちでも通える低年齢層の児童の学校が運営されている。できるだけ外の世界と触れられるような環境を作って、地域社会に帰りやすくするためだという。

ただマネージャーは今の一番の問題は「食料」だと答えた。

「今は寄付もNGOも少ないです。月に1回の定期的な配給は政府とマーシー・ハンズというNGOからありますが、家族ごとに配られるもので家族の人数は考慮されません。食料が足りないのです」

食料という基本的な生存条件さえ満たされていないのだから、教育や帰還のための取り組みにはさらに困難があることが考えられる。

ファルージャのシンボルでもある青いモスク 筆者撮影
ファルージャのシンボルでもある青いモスク 筆者撮影

■ファルージャ市民のデモへの考え

前回取り上げた先天異常を持った新生児の問題を含め、ファルージャが抱える問題は重い。現在のバグダッドや南部で行われている政権退陣を求めるデモに街の人々は期待しているのだろうか。

自動車修理工場の前で雑談をする男性たちに声をかけてみた。

「抗議行動は人々にとってよいことではないと思います。1つには経済が悪くなるから。輸入品などが高くなりすでに影響が出ています。2つには多くの人が死んだり、誘拐されてしまうから。3つめにはこのファルージャでもかつて抗議運動をしたけれど、抗議行動の後にイスラム国が現れたからです」

ファルージャの人々はこの抗議運動にはかなり悲観的であった。

アンバール県では2013年に反政府抗議運動が行われていた。テロ罪を理由に女性を含むスンニ派の人たちが不当に拘束されているとして、その解放を求める非暴力の運動が行われていたのだ。

しかしこれを政府軍は武力で制圧した。

しかも問題はそれだけではなく、この混乱の中で過激派が力を伸ばした。それまではアンバール県の過激派は、トライブ(部族)の力によって押さえつけられ、コントロールされていたのだが、政府軍とトライブとの衝突の最中にトライブが力を失い、イスラム国が入り込む余地を作ってしまった。

「国家はかわるべきだと自分たちも思います。気持ちはよくわかります。人々は苦しんでいるのですから。でも傷つく人たちがたくさん出ます。要求は簡単には達成できません。

それに私たちは抗議すらできません。スンニ・トライアングルと呼ばれる地域で抗議を行ったらテロの罪を着せられてしまうからです。イスラム国の仲間だと言われてしまいます。前回の抗議でとても苦しみました。4年間、生活を失いました。もうここでは抗議運動はしません」

ファルージャの人たちは運動に共感を示しつつも、どこか冷めた気持ちもあるのかもしれない。言外に「自分たちもすでに抗議していて失敗している。その時の自分たちのことを見ていなかったのか、知らないのか」と。

バグダッド、南部イラクの運動はさらに混沌としてきている。ファルージャの声はそこに届くのだろうか。

2013年にアンバール県で行われていた抗議行動の様子 筆者撮影
2013年にアンバール県で行われていた抗議行動の様子 筆者撮影
ドキュメンタリー・ディレクター

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程に留学中。

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