スーダンはどう変わるのか 在外スーダン人と「準軍事組織」の存在

(写真:ロイター/アフロ)

紛争では一体、誰が戦っているのか?

まずは「政府軍」。正規の訓練を受け、上官の指揮の下で動く部隊だ。「傭兵」という存在もある。いわゆるプロの兵士で、その紛争に利害関係はないものの、報酬を目的に多くは国家に雇われて戦う。

「政府軍」に対抗したり、立場を異にする武装集団もある。「反体制派」や、「解放勢力」とも呼ばれる。多くの一般人を動員しながら戦う「ゲリラ」や、恐怖心を煽ることで影響力を得る「テロリスト」という存在もある。

そしてまた1つ「民兵」「準軍事組織」という存在がある。一般人から構成され、正規の訓練を受けていない点がまず特徴だ。「反体制派」と重なることもあるが、対政府とは別のレベルの宗教、民族でまとまる民兵も、また政府をサポートする民兵も存在する。特に政府側の「民兵」は、政府軍が表立ってできない行為を、民兵にやらせるということが可能であるため、政府にとっては都合よく使え、また戦争法違反の行為が起こりやすいという側面がある。シリア内戦やイラクでのイスラム国掃討作戦でもイラン政府が背後にいるシーア派民兵が戦闘に参加した。イラクではイスラム国掃討作戦で貢献したといわれる一方で、拷問や一般人への攻撃を行ってきたことでも悪名高い。

そしてその政府側の元「民兵」「準軍事組織」の存在が、大きく影響した出来事があった。6月に多くの一般人の死者を出したスーダンでの混乱なのだ。

スーダンで何が起きたのか

アフリカの大国スーダンで今年4月、30年以上権力の座を独占してきたオマル・バシル大統領が辞任した。バシル氏は2003年に始まったダルフール紛争で、国連が30万人に上ると指摘する、大量虐殺に関与したとして、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が出ている人物だ。現職の大統領に逮捕状が出ているというのはこれまでにないケースだった。

事態が動いたのは昨年の12月。物価上昇をきっかけに首都ハルツームなどで政権に抗議するデモや座り込みが始まったのだ。南スーダン独立後、石油による外貨収益が減ったことに対する経済政策の失敗が背景にある。運動は平和的に広まり、市民の抗議行動に賛同する兵士もおり、市民を守るために抗議行動に参加することもあったそうだ。市民による働きかけもあり、また軍部の損得勘定も働き、最終的には軍がクーデターを起こしバシル氏は辞任した。

しかしそれは新たな独裁の始まりだった。軍の上層部はまさにバシル政権下で権力を享受して来た人々である。軍事独裁政権が始まる流れを察知し、市民は抗議行動を続けた。これに対して新たに発足した暫定軍事政権はかつてバシル氏が民兵を集めて作った軍事組織、「急速支援部隊 (RSF, Rapid Support Forces)」やイスラム主義の「影の大隊 (Shadow battalion)」を使って民間人に攻撃を加えた。6月3日には座り込みをする人々らに攻撃し128人の死者を出した。重石をつけ手を縛られた状態でナイル川に投げ捨てられた遺体がいくつも発見されている。レイプは40件報告され、けが人は700人、拘束された人も多くいるとみられる。

終わりのない混乱が懸念されたが、7月に入って市民側の勢力と、暫定軍事評議会側が、共同の統治機構を持つことで合意に達し、17日に署名を交わした。とりあえずのところ、これ以上の犠牲は回避することができたという状況だが、暫定軍事評議会の中心部ではRSFのリーダーが今も力を振るっているのだ。

在外スーダン人との出会い

このスーダンの状況について話をしてくれたのは、在外スーダン人のA氏だ。安全上の理由からA氏の名前、所在地は明らかにできない。NGO職員のA氏は市民による抗議運動の主体となった団体の1つスーダン専門職組合(SPA, Sudan Professional Association)の熱心なサポーターでもある。

SPAは2013年頃から活動をはじめ、国内外のスーダン人の知識人、ジャーナリスト、法律家などによって構成される団体だ。バシル政権を倒すことを目的に、変革に向けて支持者を増やし準備してきたのだという。多くのスーダン人に支持される団体だが、SPAは政治政党ではなく、誰がその中心にいるのかあまり知られていない匿名性を保つ運動体だ。その匿名性が成功の理由の1つで、A氏も数年前にその運動に大きな刺激を受けた一人だと説明してくれた。

A氏がSPAを知り、支持するようになったのは最近のことだが、スーダンの弾圧の状況に関しては身をもって体験し、争ってきた一人である。A氏はまだスーダンで暮らしていた時に、国連やNGOの仕事を通して、後述するように2003年に始まったダルフール紛争における政権側の残虐行為を多く見た。そのため政府から脅迫を受けるようになり、A氏は国を追われたのだ。

それでもA氏のスーダンへの思いは強く、政府からの監視には常に警戒しながらも時々、スーダンに一時帰国していた。バシル政権が失脚する数ヶ月前にも、抗議行動が広がりつつある中、A氏はスーダンに最低2週間の滞在予定で帰国していた。A氏は現地の様子を直接見て、この運動を広げられるよう自分からも何かアドバイスできないかと考えていたからだ。しかしながらA氏の滞在中に仲間が2人捕まり、うち1人は殺され、もう1人は逃げられたものの国を追われた。A氏自身も拘束され尋問を受ける危険を感じ1週間の滞在でスーダンを離れざるを得なくなったのだ。

16年前の大虐殺を起こした民兵の再来

A氏が今回の混乱でもっとも懸念していることの1つとして話してくれたのが、前述の民兵、あるいは準軍事組織である「急速支援部隊(RSF, Rapid Support Forces)」だ。

RSFはA氏の出身地、ダルフールと深い関わりがある。その成り立ちからしてRSFはいわくつきである。スーダンにはいくつもの民族が存在している。2001年頃、スーダンの西にあるダルフール地方のアフリカ系の民族が、安全な水が手に入らないなど自分たちが開発から遠く取り残されていることへの抗議を政府に対して行った。しかし、政府はこれになんら手を打とうとしなかったため、彼らは反政府勢力を組織しはじめた。これに対して政府は地元の政府軍兵士を使って抑え込もうとしたが、兵士は取り締まる対象が同郷の人々とあってその任務を嫌がった。そこで政府が目をつけたのがいくつかのアラブ系の遊牧民族だった。ラクダや馬を操る彼らは元来、戦闘に強く、「ジャンジャウィード」と呼ばれていた。このジャンジャウィードを政府は自分たちの側に取り込み、反政府勢力を支持する主にアフリカ系の民族に対する虐殺を行わせたのだ。時にこの対立は、アフリカ系対アラブ系の対立、あるいは農耕民対遊牧民の対立として理解されることも多いが、実際には政治的思惑に左右された複雑な対立関係だった。

A氏は当時、ダルフールのユニセフ、赤十字国際委員会、セイブ・ザ・チルドレンなどの人道支援団体で働き、ジャンジャウィードによる虐殺を目にし、それを記録する仕事をしていた。

「アフリカ系の3つの民族に対して虐殺が行われました。大虐殺です。どこかの村が攻撃されると、その2日後くらいに、5台のトヨタのランドクルーザーで怪我した人を運ぶためにその村に行くのです。到着した時、村は空っぽ、ほとんどが焼かれていました。残っていた村のリーダーが来てあっちに3人の遺体が、こっちに2人の遺体がある、別のところに女性の遺体が1つあるといって教えてくれるのです。一つの村で15人とか20人とか。人の体が炭みたいになっていた。本当に酷かったです。2日前に亡くなった女性の遺体を見つけた時、その近くに1歳くらいの赤ちゃんがいました。まだおっぱいを吸おうとしていました。幸運なことに赤ちゃんは生きていました。でもその光景が今も忘れられず、トラウマになっています」

「ある時は1ヶ月で250件のレイプを記録しました。13歳の女の子が、6~7人の人にレイプされるんです。若い女の子が血を流している、なのに自分は何もできないんです」

「聞いた話では、ジャンジャウィードが来て、生まれたばかりの新生児を奪って、水瓶に入れたとか、6~7歳の子の足首を掴んで火の中に投げたとかそんなことを聞きました」

A氏は反体制派のエリアにも、政府側のエリアにも行かなければならず、両方の勢力から警戒された。反体制派も規模は異なるが、敵対する民族に攻撃を行っていたからだ。A氏は特に政府側の勢力から尾行されたり、殺すと脅迫され、最終的に国を出ることになった。ダルフール紛争は現在も続いている。

そしてこの虐殺を行ったジャンジャウィードのリーダーの1人が、2019年現在、バシル失脚後の暫定軍事政権のナンバー2の座についているのだ。モハンマド・ハムダン・ダガロ、通称、ヘメティと呼ばれる人物だ。2014年にバシル大統領によってジャンジャウィードはRSFと名前を変え、正規軍の一部とされたが、兵士はジャンジャウィード民兵だった人がほとんど。16年前に始まった出来事が新たな殺戮を生んだのだ。

周辺諸国はどう反応したのか

ジャンジャウィードあるいはRSFを中心とした現在のこの暴力に深く関与しているのが、スーダン国外の勢力だ。サウジアラビアやアラブ首長国連邦は、2015年に始まったイエメン内戦に軍事介入している。介入はしているが、サウジアラビアやアラブ首長国連邦としては、自国民兵士の犠牲者を出したくないということで、スーダンのジャンジャウィード元兵士らをリクルートして参加させているのだ。スーダン政府としては兵士を送ればサウジなどから外貨を獲得できるため都合がよく、またジャンジャウィードの兵士も家族も金銭を得られるということで加わる。少年兵も多いと言われ、ジャンジャウィードもある一面では戦争の犠牲者でもあるのだ。サウジなどは民政移管されれば、ジャンジャウィード兵士を使えなくなるという懸念から、変革を妨害するために暫定軍事政権側に資金提供しているといわれる。

またヨーロッパ各国もその責任から逃れられない。移民難民の受け入れが大きな課題となっているヨーロッパ。その流入を事前に防ぎとめるために、ヨーロッパ各国とアフリカ各国による「ハルツーム・プロセス」という綱領が取り決められている。リビアが地中海を渡ってヨーロッパにたどり着くための一番の入り口になっているわけだが、そこに至るまでのルートにはいくつかあり、東アフリカルートと一部の西アフリカルートではスーダンが通過点となっている。移民難民の移動を阻止するために、ヨーロッパがスーダンに資金を提供し、「急速支援部隊(RSF, Rapid Support Forces)」が移民難民を取り締まり、それがRSFの資金源になっているのだ。3月中旬に資金がRSFによる市民への弾圧に使われることを懸念してスーダンでのプロジェクトは一旦停止されたが、移民難民を迎えたくないヨーロッパはRSFの存在を長年見逃して来た事実は変わらない。スーダンには少なくとも1億2500万ユーロが渡っている。

これからのスーダン

暫定軍事評議会側と市民の側のとりあえずの合意を経て、これ以上の大規模な混乱は避けられたかのようにみえる。

A氏に国連組織、各国政府などにどのような対応を期待するかと聞いてみた。

「何もしないでほしいです。外からの介入は緊張を高めるだけなので、やめてほしいです」

A氏は理由を次のように説明した。

「将来的には国際刑事裁判所でバシル政権やジャンジャウィードのやったことを裁かれるようにしなければならないとは思っています。証拠はすでにスーダン人によって集められています。でも、その裁判も今のタイミングではないと思っています。ようやく合意ができました。市民側に優秀な人はたくさんいます。今は彼らが準備できる時間が必要です」

A氏は希望的な見方もしていた。

以前はスーダン国内でもダルフール以外の人にはジャンジャウィードの行為があまり知られておらず、政府がそんなことをさせるはずがないと思われていた。しかしA氏は今回の件で理解され、スーダン人自身の団結が強まった点を肯定的に捉えていた。

別のスーダン東部出身のB氏も同じく、

「スーダン人のよいところは教育を受けた人がある一程度いることです。異なる民族の対立関係も言われることがありますが、でも基本的にはそんなことを気にしないのです。団結できること、それが私たちの強みだと思っています」

そう力強く答えた。

A氏はこうも言う。

「今後、外国にいるスーダン人もどんどん帰国して国を変えて行くでしょう。彼らからの寄付も集まるので資金もあります。私も状況が落ち着けば帰国したいと思っています。鍵となるのは一般の市民です」

海外在住のスーダン人はA 氏によると少なくとも200万人はいると言われている。

国際社会に対して「何もしないでほしい」というA氏の言葉は、傍観していてほしいという意味ではもちろんない。今、スーダンで何が起きているのか、知ってほしい、見てほしいという熱意がA氏からは強く伝わってくる。日本政府もスーダンから石油を購入し、バシル政権を支えてきたという事実からも逃れられない。

いまだにスーダンの情勢はどうなるかわからない。RSFのトップのヘメティは金鉱山ビジネスでいまだに強い力を持ち続けているという。しかしすでに変化を始めたスーダン。どう変わるのかは今後にかかっている。