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刑法改正「同意なき性交は処罰を」に暗雲? いったい、法制審議会では何が議論されているか

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長
2020年3月、当時の森法務大臣に刑法性犯罪規定の改正を求める被害者支援団体等、

■ 刑法性犯罪規定 法改正に向けた流れ

 相次ぐ性犯罪の無罪判決を受けて、被害実態にあわない、現在の刑法の性犯罪規定を変えようという声が大きくなっています。

 刑法性犯罪会規定は、2017年に約110年ぶりに改正されましたが、それでは十分ではないとして、被害者の視点に立った再度の改正の必要性が叫ばれてきました。2017年に始まった#MeToo運動や、伊藤詩織さんの問題提起、さらには2019年3月に立て続けに下された4件の無罪判決を契機に、同意なき性交等を処罰する抜本的な改正が被害者や市民社会から強く求められるようになりました。

 日本全国で被害者の思うに寄り添う法制度を求めるフラワーデモが起き、刑法性犯罪規定の改正を求める署名も10万筆以上集まり、大きな世論となってきました。

 刑法性犯罪規定の改正をめぐる中心的課題をまとめると以下のようなことになるでしょう。

●日本の現在の刑法では、意に反する性交等を無理やりされても、それだけでは性犯罪とはならない。

●性犯罪が成立するためには、意に反する性交等であるだけでは足りず、暴行・脅迫・抗拒不能などのさらに厳しい要件を満たす必要がある

●そのため、多くの性暴力被害事件で被害者が泣き寝入りを余儀なくされている

●諸外国では同様な問題意識から、暴行・脅迫という要件を撤廃し、不同意性交等罪(基本的に、不同意+性交で性犯罪が成立)を導入している

●日本でも国際的な潮流に基づき、被害実態に即して、同意なき性交等を処罰する「不同意性交等罪」を導入すべき

 この声に突き動かされ、2020年に法務省では刑法性犯罪規定の再改定を進める検討会が設置されました。

そして、2021年秋には、法改正を目指し、法務省が法制審議会に具体的な諮問を出しました。その諮問内容は以下のようなものでした。

第1 相手方の意思に反する性交等及びわいせつな行為に係る被害の実態に応じた適切な処罰を確保するための刑事実体法の整備

1 刑法第176条前段及び第177条前段に規定する暴行及び脅迫の要件並びに同法第178条に規定する心神喪失及び抗拒不能の要件を改正すること。

2 刑法第176条後段及び第177条後段に規定する年齢を引き上げること。

3 相手方の脆弱性や地位・関係性を利用して行われる性交等及びわいせつな行為に係る罪を新設すること

4 刑法第176条の罪に係るわいせつな挿入行為の同法における取扱いを見直すこと。

5 配偶者間において刑法第177条の罪等が成立することを明確化すること。

 「相手方の意思に反する性交等及びわいせつな行為に係る被害の実態に応じた適切な処罰を確保する」といえば、まさに不同意性交等罪が導入されるだろうと多くの人は期待するはずです。法務大臣もその意向だったのではないでしょうか?

 確かに、この諮問を受けて、法制審議会の部会が発足した際、この部会の検討事項は意に反する性交を処罰する検討を行っていくかのような期待感があふれていました。ところが、半年もたたないうちに急速に議論に暗雲が立ち込めてしまったかに見えます。

◾ わかりにくい、法制審議会の議論と条文案

 今年3月、刑法性犯罪規定の改正条文案のとりまとめに向けて、二つの案が示されました。

 それがこちらです。

第6回会議資料 検討のためのたたき台(第1-1 刑法第176条前段及び第177条前段に規定する暴行及び脅迫の要件並びに同法第178条に規定する心神喪失及び抗拒不能の要件を改正すること)より抜粋
第6回会議資料 検討のためのたたき台(第1-1 刑法第176条前段及び第177条前段に規定する暴行及び脅迫の要件並びに同法第178条に規定する心神喪失及び抗拒不能の要件を改正すること)より抜粋

 このうち、A案は、「意思に反して性交をした者は、強制性交の罪」となっており、不同意性交罪といえるでしょう。

 さらに、「次の事由により」ということで、暴行・脅迫だけでなく、威力や監禁、不意打ちといった事由がある場合も、性犯罪が成立することが想定されています。これまで「暴行」「脅迫」に限定されていた性犯罪の要件をより広く具体的な場合にも拡大し、列挙事由のどれかに該当すれば、それだけで性犯罪が成立するという提案です。

 スウェーデンなど、諸外国でもみられる立法形式であり、十分議論に値すると考えますが、なんと、この説は少数説だというのです。

 一方、非常に有力とされるのがB案(ややこしいことにその後、この案はA2案という名称にかわりましたが、ここではシンプルにB案としておきます)ですが、この改正案では「拒絶する意思を形成・表明・実現することが困難であることに乗じて性交等をした者」という要件になるというのです。

 この場合も、A案と同じように、暴行・脅迫だけでなく、もう少し広い事情も列挙事由として記載されるようですが、そうした事情が立証されるだけでは足りず、さらに、「拒絶する意思を形成・表明・実現することが困難であることに乗じて性交等をした」ことが認定されなければならないことになり、そのように絞り込まれた場合にだけ有罪になるとされます。その絞り込みにあたって、裁判官の主観的判断、裁量の余地を残してしまうことになるでしょう。

 いかがでしょうか?

 これまで、性犯罪の成立要件である、「抗拒不能」が曖昧でわかりにくい、裁判官に白紙委任しているようなものだ、と言われ、批判されてきました。そこで、新たに諮問までして検討して浮上したこの「拒絶する意思を形成・表明・実現することが困難」という要件、非常にわかりにくいと思いませんか?

 しかし、このままでは、不同意性交罪という多くの人々の期待に反して、このような条文の刑法改正にまとまってしまうかもしれません。

法務省庁舎
法務省庁舎写真:西村尚己/アフロ

■ 「拒絶する意思を形成・表明・実現することが困難であることに乗じて性交等」への疑問

 私がこの要件に対して感じる懸念は、いくつかあります。

 第一に、この要件がいったい何が言いたいのか?わかる人はどれくらいいるでしょうか?しっかり理解して記憶する人はどれくらいいるでしょうか?

 刑法は禁止規範・行為規範という性質から、誰からみても何をしていいか、悪いかがわかりやすいことが必要です。

 ところが、率直に言って、この規定は一般の方から見てわかりにくく、わかりにくい規範は破られがちである一方、被害にあった人も、何が違反であるか明確にわかりにくいため、被害を告発しにくいという点にあります。

 第二に、この法律をもとに捜査する警察官、起訴する検察官、有罪無罪を判断する裁判官によってもわかりやすい規範だとは到底言えないでしょう。

 そして、裁判官に白紙委任され、これまでの要件と同じように判断するケースが相次ぐことが懸念されます。

 2019年の4件の無罪判決では「抗拒不能」という要件やその故意について判断が分かれ、一審は無罪、高裁では有罪という判断が相次ぎました。同じように、判断が分かれる危険性、法的な安定性を欠く事態が当然に起こりうるでしょう。これまでの議論の解決になっていないのではないか、と言わざるを得ません。

第三に、有罪にするハードルがかえって上がるのではないか、という懸念があります。

 これまでは暴行または脅迫が強制性交等罪の要件でしたが、今回、これに加えていくつかの事情が例示列挙されるようで、そうした具体的事例を絞り込む要件として、「拒絶する意思を形成・表明・実現することが困難であることに乗じて」いることが求められます。

 そうなると、①加害者の具体的行動を立証したうえで、②「拒絶する意思を形成・表明・実現することが困難」であること、③加害者がそれに「乗じた」こと、④「拒絶する意思を形成・表明・実現することが困難であることに乗じて」いる故意があること、を立証しないと有罪にできないことになるのではないでしょうか?

 そうだとすると、被害者にはかえって立証の負担がこれまでよりも重くなるのではないか?と懸念されます。

 特に、「拒絶の意思を形成・表明・実現することが困難であることに乗じて」という状態は一般の人にはわかりにくく(率直に言えば、私にもわかりません)、加害者とされる人からはそんな状態にあるとは認識していなかった、そんな状態に乗じていない、として「故意がなかった」「誤信した」という主張が出てくるだろうことは必至でしょう。そうした懸念をどう払拭できるのかなんら明らかにされていません。

わかりにくいですね。
わかりにくいですね。

 第四に、被害者側の事情で犯罪の成否の絞り込みを行う要件を課すことを通じて、結局、被害者の落ち度が問われるのではないか?ということが問われるべきです。

 A案であれば、加害者が被害者の意に反して性交をした場合、または、加害者が一定の行為をして性交をした場合はそれだけで性犯罪が成立します。

 ところが、B案では、加害者がNoと言われたのに性交に及んだり、被害者の意思を制圧するような行動をとっただけでは足りず、「拒絶する意思を形成・表明・実現することが困難である」という被害者側の事情が考慮されることになります。

 これまでも性犯罪の裁判は、被害者側の「落ち度の有無」が問われる場となり、刑事裁判の審理の過程で被害者が傷つけられてきました。

 それを脱却することは今回の改正の重要な課題だったはずです。

 ところが犯罪成立の要件の中心を占めるのが加害者の行為ではなく被害者側の事情だとする改正案はむしろ被害者の落ち度を問う方向を強化しそうな懸念があります。

 特に、「拒絶」という言葉は、強い表現であり、「やめてほしい」「望んでいません」と言っただけでは足らず、全身で、強い態度で拒絶する意思表示をすることを被害者に求めるもののように聞こえます。

 事実上「抵抗」に近いのではないでしょうか?

 被害者が事実上抵抗義務を課してきた、これまでの実務を彷彿とさせる用語であることから被害者の方々の間でも懸念が広がっています。

 第五に、「No」というだけではなぜ足りないのか?という点です。

 A案であれば、被害者が「No」と言ったのに、性行為に無理やり及ぶのはそれだけでアウトなはずです。それが同意なき性交を処罰するということです。

 しかし、B案では、それでは足りず、「拒絶する意思を(形成・表明できたとしても)実現することが困難である」ことが求められます。

 拒絶をする意思表示をしたにもかかわらず、それでも無理やり加害者が性行為に及ぶ場合、どのような場合であれば、「拒絶意思を実現するのが困難」なのでしょうか?

 「被害者は本当に自分の意思を貫くのが困難だったのか?逃げられなかったのか?」が問われる、現在の運用とどう違うのでしょうか?

 これまでの無罪事例を見ると、被害者が加害者に「No」と言っているにも関わらず、キスをしたり、抱き着いたり、押し倒したり、馬乗りになったり、服を無理やり脱がせたりして性交に及んだ事例について「合意で行われる性交でも通常随伴する程度の有形力の行使に過ぎないから」として「暴行」の要件を満たさず無罪とする例が相次いでいます。被害者が下着を脱がされないように抵抗したのに加害者の力が強く押し切られてしまったような事案では「抵抗できる力があったので抗拒不能には当たらない」と判断されてきたのです。

 そのようなことが繰り返されないようにするには、「拒絶する意思を実現することが困難」というまどろっこしい要件ではなく、意に反して性交した、とすればよいのです。

 それが規範として確立すれば、「No」と言われた時点で、罪に問われたくない人間は断念するでしょう。

オランダ 性暴力に抗議
オランダ 性暴力に抗議写真:ロイター/アフロ

 わかりにくい要件を導入することで、加害者に付け入るスキ、濫用する余地を与え、Noといった被害者であっても、無理やり性交等をすることを免罪しうるというメッセージを法が送ってしまうことは深刻と言わざるを得ません。

 このようにわかりにくく疑問が多々あるのに、安易に決まってしまわないように、ヒューマンライツ・ナウでは質問状を送りました。

◾ なぜこんなわかりにくい要件なのか?

 それではなぜこのようなわかりにくい条文になってしまったのでしょうか?

 法制審議会で議論をしている学者の方々の見解を見ると、「処罰すべきではない行為を除外する」ために並々ならぬ情熱が注がれたことがうかがえます。

 処罰すべきでない行為の筆頭は結婚詐欺のような事例だそうです。

 しかし、そうであれば詐欺や欺罔という類型の構成要件だけ、別途規定を設け、それ以外のシンプルに犯罪が成立しそうなもの(例えば威迫したり監禁して性交した場合など)は、シンプルに犯罪が成立するようなわかりやすい要件にすればいいのではないでしょうか?

 法制審議会の学者の方はきっと真面目に検討されていると思いますが、結局誰からも歓迎されない条文になるのではないか、と危惧されます。

■ ドイツの改正法条文と比べてみる

 このB案は、ドイツの2016年改正法を参考にしたのではないか?と思われます。日本の刑法が大きな影響を受けたのがドイツ刑法。ドイツの2016年の刑法改正は以下のような規定であり、歓迎されています。

刑法第177条第1項

他人の認識可能な意思に反して、その者に対する性的行為を行い、その者に性的行為を行わせ、又は、第三者に 対する若しくは第三者との性的行為をその者に対して遂行若しくは甘受させた者

刑法第177条第 2 項第 1 号

行為者が、その者が反対意思を形成または表明できない状況を利用した場合

刑法第 177 条第 2 項第 2 号

行為者が、その者が身体的又は精神的状態に基づき、意思形成又は表明が著しく限定されている状況を利用した場合。但し、行為者がその者の同意を得た場合を除く。

 B案は丁寧に場合分けをして性犯罪を規定したドイツ刑法と異なり、一つ一つ分けないで、ごっちゃにしてしまったためにわかりにくくなっているのです。

 ドイツ刑法のように反対意思を表明した場合と、それができない場合で、条文をわけて規定するのが、誰からもわかりやすいのではないでしょうか?

 そして、日本とドイツの大きな違いは、相手がNoと言っている場合に、「他人の認識可能な意思に反して、その者に対する性的行為を行い」とするか「拒絶意思を実現するのが困難であることに乗じて」とするかです。

 両者の溝は非常に大きい、前者はシンプルなNo Means Noであるのに対し、後者は裁判官のあいまいな主観的判断が入り込む余地があり、不同意性交処罰といえないことは、上述した通りです。いっそ、ドイツと同じ条文にすれば、問題は解決に近づくでしょう。

■ 原点に立ち返り、同意なき性交は明確に処罰を

 刑法改正に思いを託した人々は専門家の間で、こんな議論がされているなど、思いもよらないでしょう。

 私たちが求めてきた刑法改正と似ても似つかないものではないか、という大きな失望につながりかねません。

 社会的なコンセンサスもないのにこのようなわかりにくい条文を学者主導でごり押ししていいのでしょうか?

 立法を求める人々の声や、法制審議会に対する法務大臣の諮問の趣旨に立ち返るべきではないのでしょうか?

 それは意に反する性交、同意なき性交についても適切に処罰し、被害を防止し、被害者を救済したいという切実なる道理ある要請に根差しています。

 多くの人に刑法改正をめぐる議論の深刻な現状を知っていただき、社会的な議論を深める必要があります。

 そして、現在議論を進めている専門家には、改正の原点である被害者や市民が何を求めてきたのか、その思いに立ち返ることを強く求めます。(了)

改正を求める人々の思い
改正を求める人々の思い

参考 

「19歳の娘に対する父親の性行為はなぜ無罪放免になったのか。判決文から見える刑法・性犯罪規定の問題」

https://news.yahoo.co.jp/byline/itokazuko/20190411-00121721

「被害者の強い思いを受け、市民団体が不同意性交処罰等・刑法性犯罪規定改正案を公表。今こそ議論を。」

https://news.yahoo.co.jp/byline/itokazuko/20191124-00152116

「10か国調査研究 性犯罪に対する処罰 世界ではどうなっているの?

〜誰もが踏みにじられない社会のために〜」

http://hrn.or.jp/2019_sex_crime_comparison/

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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